第5話 Side-なお 波乱の予感

 通話を終え、スマホをバッグにしまうと、そこはかとない殺気を背中に感じ、振り返った。

 ソファの上には、まるで水牛のように背筋はいきんを盛り上がらせ、腿の上でぎゅっと拳を握り、鼻息荒く怒りに震えている三田が視界に映る。


「三田君……」


 それ以上、なんと声を掛けたらいいのかわからない。

 背後からはゆらゆらと火が燃えているかのように、三田の顔は熱を持っている。


「クソやろー。舐め腐りやがって。池平のくせに」

 奥歯を食いしばりながら声を絞り出した。


 三田はなぜここまで彼を見下し、憎むのだろうか?

 さっきの電話での口ぶりは、謝罪して解決したかのように見えていたのだが……。

 感情に任せ、別人のように息まく三田には恐怖さえ感じる。


「どうしたの?」

 恐々声をかけた。


「あいつ、あきが出演してるAVを差し止めしろって言ってきたんだ」

 男同士の会話と言っていた話の事だ。


「彼女のためだからでしょう。してあげて」


「できるわけないだろう。相手はヤクザだぞ」


「けど、やるって言ってなかった? さっきの電話で」


「言っとかないと、あいつすぐにでも警察に行くっていう口ぶりだったからな。とりあえず時間稼ぎだよ」


 今後の事について、ゆっくり二人で話し合うような空気ではない。


「何するつもり? 警察に行かれたらどうするの?」

 あれだけの証拠を握られていて、言い逃れはできないだろう。


「行くわけないだろう。あんなチンカス野郎にヤクザを敵に回す度胸はねぇよ」


「そんな事ない!」

 気が小さくて、優しすぎる所もあるけど、勇敢で正義感の強い人だった。


「うるさい! 黙れ! お前は引っ込んでろ!」


 ピンポーンとインターフォンが鳴る。

 さっき注文しておいたお寿司が届いたのだ。三田が対応し、ダイニングのテーブルには、豪勢な寿司桶が二つ並んだ。


「腹減っただろ。メシにしようか」

 般若の形相で息巻いていた水牛も、食事を前にすると人間らしい営みを取り戻すらしい。

 冷蔵庫から冷えた白いシャンパンを取り出し、薄いグラスと共にテーブルに並べた。

 とても乾杯をやり直すメンタルではないのは私の方。

 それでも逆らう勇気はない。


 テーブルに向かい合わせに座り、透き通ったゴールドの液体が注がれたグラスを震える指で持ち上げる。

 カチンとグラスを合わせて、遠慮がちに一口含んだ。

 口だけで笑う彼と目を合わせ、私もどうにか口角を上げた。


「先にお風呂に入ってきてもいい? 服もまだ仕事着のままだし、着替えたいの。まだ食事が喉を通りそうになくて」


 そういうと、三田は静かにうなづいた。


 ソファからバッグを取り、クローゼットへ向かう。

 新しい着替えと、スマホを持ってバスルームへ。

 脱衣所で、スマホの電源を入れて、ラインのマークをタップした。

 トーク履歴から、『池平智也』をタップ。


 三田がトモ君との約束を守らないかもしれない。

 今すぐ警察に行った方がいい。そう伝えよう。

 強姦罪は非親告罪。事件を知っている人間なら誰でも通報する事ができ、告訴されずとも処罰の対象になるはずだ。


 伝えておきたい事があります――。と文字を打ち込んだ所で、ガチャっとバスルームのドアが開いた。

 体が跳ね上がり、口から内臓が飛び出すほど、驚いた。


「何してる?」


 三田の問いが更に心臓をばたつかせる。手に持ったスマホは生き物のように手からつるりと離れた。

 バンと派手な音と共に床に転がったスマホを慌てて拾い上げる。


「せっかくだから、音楽でも聴きながら湯舟に浸かろうと思って」

どうにかそれらしい方便を繰り出し、呼吸を整える。


 その背後で、三田は服を脱ぎ始めていた。


「一緒に入ろうか」


 そう言って、ぎゅっと握りしめていたスマホをゆっくり取り上げ、私のブラウスのボタンを一つずつ丁寧に外していく。


「自分で――」脱ぐわ。と言うはずだった言葉を遮るように、ブラウスを剥がして唇をふさいだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る