第4話 暗闇に隠れて ※R15
濃紺の空に、何もかもを飲み込まれたような街は、所々街灯がともり、ひっそりと呼吸をしていた。
春の訪れさえも飲みこんでしまったようで、身を切るような冷たい風が襲い掛かる。
終電はもうない
店を出た僕たちは、まだ繋がらない手が時々ふれあう距離を保ちながら、行くあてなく歩いていた。
これからどうする? そんな事を訊ねたら急にこの先へと進んでしまいそうで怖かった。
僕はまだ、あきのように前に進む準備ができていない。
こんな心持ちで一緒にいる事が、なんだか申し訳ないような気がしていた。
あきはというと、千鳥あしでもないが、長いスカートをヒラヒラとはためかせながら、歩道を縦横無尽に歩いている。
時々、電柱にぶつかりそうになるから「犬のおしっこあるよ」と釘を刺した。
「家は近く? 送って行くよ」
そう言うと、あきは僕の方に振り返ってこう言った。
「帰りたくない」
「どうして?」
「一人の家に帰ったら、死にたくなるの」
頼りなげな街灯に照らされ、風にあおられる姿は親に捨てられた子猫のように儚く見えて。いたたまれなくなった僕は両手を広げた。
「おいで」
なんのためらいもなく倒れ込むように飛び込んできたあきの髪をなでると、顔を上げて僕の顔を見つめた。
大きな瞳はもう半分ぐらいにとろけていて、色っぽい。まどろむ表情には不満に似た色が混ざっていて、僕を欲しがっている事が伺える。
服の表面からにじむ体温は低くて、温めるようにさすってやると首筋にひんやりと唇を感じた。
耳のすぐ近くでは甘い呼吸音。
抗えない波にさらわれるように、あきの髪に、おでこに、耳元に、そっと唇をおとす。
体と体のわずかな隙間は理性がまだ機能している証。
その隙間も、波が砂をさらうように徐々に崩されていく。
密着した体から伝わる柔らかい感触。
熱くなっていく吐息がお互いの体を温め始め、自然と唇が重なり合う。
顔にかかった長い髪を指で梳いて、唇とは裏腹に、火照った頬を包み込んだ。
「寒くない?」
「あったかい」
答えた後、あきは僕の腕を引き、駆け出した。
「ちょっと、どうした?」
辿り着いた場所はビルとビルの隙間。先約の野良猫たちが不服そうに去って行った。
ギリギリ二人並んで歩けるほどの空間は、風が吹くたびゴーっと音を立てる。
「ちょっと、どうしたの?」
その質問には答えず、壁に僕を押し付けるようにして抱きついた。
元カノへの想いとは裏腹に、徐々に本能が目覚めていく。
暗闇に隠された情事は、誰の目にも触れる事はない。通りを足早に過ぎていく人が時々こちらをチラ見するが、立ち止まる者などいない。
再び、音を立ててくっつき合う唇。
舌をからめて唾液を交わす。
何もかもが違うのに、唾液の匂いの奥に、元カノと同じ匂いを見つけた。
その瞬間、理性のたがは外され、飲み込むほどに強くあきの体を抱きしめた。
もっと、もっと……。
ベッドの上で、彼女の痕跡を探し求めたように、あきの体をむさぼる。
遠くの街灯にうっすらと照らされているだけで、辺りはほぼ真っ暗。お互いの顔さえはっきりと見えない。
徐々に大きくなる声と、荒く乱れる呼吸音は、生々しく元カノを思い出させる。
じんわりと溢れ出す体温の中に、僕は元カノの匂いを探し続けた。
随分長い事、あきの体をむさぼっていたような気がする。
各々何事もなかったかのように服を整え、腕時計に目を落とすと、30分程度の時間しか経っていなかった事に呆れる。
ようやく訪れた心の静寂が、僕を賢者にする。あきを抱いている間、ずっと元カノの事を考えていた。
元カノを抱いているような錯覚に陥っていた。
それ故、「ごめん」という言葉が口をついた。
「どうして謝るの?」
壁によりかかり、髪先をいじっていたあきが、その動きを止めた。
「いや……その……」「いいや。言わなくて。こういうの慣れてるから」
付き合う気などないのに、とつなげるはずだった言葉は、あきに遮られた。
暗くて表情はわからない。けど、その声のトーンは今まで聞いたどの声よりも、震えているような気がした。
「慣れてる?」
あきは、弾かれたように壁から体を剥がし、通りの方に体を向け歩き出した。
その背中を見ながら僕も同じ歩幅で歩きだす。
「私、風俗で働いてたんだ」
それは、ショックでも意外でも、何でもなかった。むしろ「なるほど」なんて言葉が、ごく自然に出て来るほどに。
「道理で……」
僕の言葉を待たずに、あきはスタスタと早足で歩きだした。
「ちょ、ちょっと待って。早い早い。どうしたの?」
暗闇に消えて行きそうなあきの腕をつかんだ。
「あいつも、同じだった。男なんてみんな一緒だね」
「あいつ?」
「そうよ。三田よ」
「は? 三田?」
三田とは、僕の彼女を寝取ったヤツだ。なぜあきが三田の名を……?
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