第233話 勇者候補生たちの帰還

 王城と街を繋ぐ黒鉄の鉄橋は、先ほどの地震でもびくともしなかったようで無事だった。

 エリンスは橋を渡り城壁をくぐって城塞都市部へと戻る。その中心地であった広場に近づいたところで、寝そべる魔竜ランシャの姿を見つけて駆け寄った。

 広げた翼を掛け布団にするようにして、巻かれた尻尾の中で眠りについているマリネッタとメイルムの姿が見える。その横では腕を組んで立つアーキスに、何かを相談するように話をしているネムリナの姿もあった。


 エリンスに一早く気づいたアーキスが、手を振って待ってくれている。ネムリナも安心したかのような表情で微笑んでくれて、エリンスは「おーい」と手を振り返した。

 アーキスの表情を見る限り、マリネッタとメイルムも大事はないのかもしれない。ひとまず、皆が無事そうで安心した。エリンスは「ふぅ」とひと息吐くとアーキスの元へと寄った。


「エリンス、無事だったか!」

「あぁ、そっちこそ!」


 手を叩き合い、喜んでくれるアーキスにエリンスも笑った。

 だが、アーキスはすぐに眉をひそめて聞き返してくる。


「……アグルエは?」

「今は、一緒にいないんだ。後で全部話す」


 エリンスは吹っ切れたような顔でそうこたえて、肩の上ではツキノがむず痒そうな顔をしていた。

「そうか」と静かに頷くアーキスは、エリンスのそんな気もわかってくれたのか、それ以上深く聞こうとはしなかった。


「ネムリナさんも、合流できたようでよかった」


 エリンスがアーキスの隣にいた彼女へ目を向ければ、ネムリナは柔らかく目を細めて笑う。


「あぁ、彼女、捕まっていたと聞いたよ」


 今回の騒動で行方不明になっていたうちの一人だ。


「さっきの地震、なんだったのかしら。エリンスくんも無事でよかったわ」


 ネムリナは首を傾げてそう言ってくれる。

 エリンスが「はい……」と返事をすると、ちょうどそのタイミングで魔法の流れる気配を感じた。

 渦巻く空間の乱れ。転移魔法、ゲートによる空間と空間を繋ぐ際にできる、魔素マナひずみだ。開く渦巻くゲートから一人の男と、エリンスらも見覚えのある赤いコートを羽織るリィナーサが現れた。


「あ、あなたは……」と驚いて、エリンスはまじまじともう一人の男に目を配らせた。


 黄金色の鎧に純白のマント。四十を超えた皴の入る聡明な顔立ちに蓄えた金色の髭と短い金髪。鋭い視線の奥、エメラルドグリーンをした澄んだ瞳には輝くような光が宿る。腰に携えた大振りの剣、背負った盾。手にしているのは天秤が表紙に描かれる分厚い魔導書。


 ディートルヒ・ハルバ。勇者協会に所属する彼のことを知らない候補生はいない。

 剣聖けんせいと呼ばれる協会の右腕、人間で唯一転移魔法を操ることができる者。何を隠そう全国の勇者候補生をサークリア大聖堂へ一堂に集めたのは彼の力だ。旅立ちの数日前、エリンスの故郷にも彼が直々に迎えに来てくれた。


 そんな彼が、戦いに遅れるように後からこの場に現れたことに、アーキスもネムリナも驚いたような表情をしていた。


「街は酷い有様みたいだけど……あなたたちが無事で、よかった」


 周囲を見渡すように首を振ったリィナーサが、それぞれの顔を見て羽飾りのついた帽子を取って一礼する。

 こうして集まっていたことで、戦いは終息したのだとリィナーサも悟ったのだろう。

 リィナーサがここにこうして来ているということは、前線での戦いも終わったということだ。「リィナーサさんたちも?」とエリンスが聞けば、リィナーサは疲れた顔をしながらも笑って頷いた。


「えぇ、おかげさまで。無事、作戦は完了。魔族軍は殲滅……って詳しい話は、後にしましょう。ここは冷えるわ」


 眠ったままでいるマリネッタとメイルムのほうへと目を向けて、リィナーサはもう一度頷いた。

 それに同意するように「あぁ」と渋い声で頷いたのはディートルヒだった。


「そうしよう。我らは諸君らを迎えに来たのだ。詳しい話はあちらで聞こう」


 威厳を感じる物言いに一歩引きそうにもなるエリンスだったが、ネムリナは腕を伸ばして欠伸を零す。


「助かったわー、ここから徒歩で帰れ、なんて言われたらどうしようかと。街はこんなだし」


 そう軽い調子で口にしたネムリナに、リィナーサは「ふぅ」と息を吐いてこたえた。


「ネムリナ、あなたも無事だったのね」


 ネムリナは薄っすらと笑う。

 それを見てアーキスも言葉を続けた。


「積もる話は全部後にして、ひとまず、彼女たちをお願いします」


 ディートルヒに向かって頭を下げる勢いで、アーキスは眠った二人を手のひらで指し示した。

 魔竜ランシャも心配そうな表情をしている。それを一瞥して、ディートルヒは顎を撫でると「わかった」と頷いた。


「しかし、勇者候補生諸君らには集合の命令が下っている。送り届けるのは、サークリア大聖堂になる」

「集合の命令……サークリア大聖堂?」


 勇者協会総本部だ。疑問を零したエリンスとツキノは訝しむように互いに顔を向けて、小さく頷いた。

 その話にはリィナーサが補足をしてくれる。


「マースレンの指示よ。こちらの後片付けはわたしたちに任せておいて」

「うむ、閣下の命令だ。ネムリナも一緒に来てもらったほうが話は早い。何があったか、向こうで報告を頼もう」


 ディートルヒの有無を言わさない圧力に、エリンスたちも頷くことしかできない。ただ、ネムリナはやはり軽い調子でこたえた。


「……わかったわ。あそこに戻れるなら、願ったり叶ったりよ」

「我の力は一度に三人しか運べん。まず、ネムリナと意識の戻らぬ二人を運ぶとしよう。ネムリナ、一人任せた」


 ディートルヒは魔竜ランシャに近づくと、眠ったままでいるメイルムの身体を支えるように起こす。心配そうにした表情を浮かべて、しっかりと抱え上げる。

 その横でネムリナは渋々といった表情でマリネッタのことを背負った。


「しばし、待たれよ」


 そうしたディートルヒは両腕でメイルムのことを抱えながらも右手のひらを空へと向ける。彼の手がぼんやりと光ったかと思うと、現れた空間のひずみに吸い込まれるようにして四人の姿がその場から消えた。

 空間に現れたひずみもほどなくして消え、魔素マナの流れが穏やかに戻る。

 彼が立ち去ったのを確認してから、エリンスはリィナーサへと詰め寄った。


「……勇者協会は、なんて」

「わたしにも詳しくはわからない。ディートルヒが直々に出向いてくるにしても、遅すぎるし」


 リィナーサのその言い方を聞く限り、彼が現れたのは前線でも全てが終わった後だったのだろう。

 ラーデスアがこうなってしまう前に勇者協会が動いてくれていて、ディートルヒの力を頼ることができたら被害は減らせただろうに。ただ、そうではなかったということは、勇者協会内部でも何か事情があるということだ。

 エリンスはそのままリィナーサに詰め寄る勢いで、忘れてはならないことを話した。この後サークリア大聖堂に送られるというのなら、タイミングは今しかない。


「リィナーサさん、頼みがあります」


 真っすぐとしたエリンスの眼差しに、リィナーサも目を丸くする。しかし、冷静なままに覚悟を決めたような瞳で、「何?」と返事をしてくれた。


「シドゥにも、逃れられない事情があった。彼のことを、勇者協会に引き渡したくない」


 アーキスもどういうことなのか、と真剣な顔をして横で話を聞いていた。

 リィナーサも悩んだような表情を見せる。


「彼は生きているのね……けど、わたしも、協会から赤の管理者を任されている立場にいるのだけれど?」

「でも、あなたは今の協会のやり方をよくは思っていない」


 エリンスがすかさず言葉を返すと、リィナーサは「ふふっ」と小さく笑った。


「……そこまで真剣に頼まれちゃ、大人としても断るわけにはいかないじゃない」


 疲れたリィナーサの表情から滲み出る優しさが身に沁みるようだ。

 エリンスも口角を上げて頷いてから話を続けた。


「玉座の間で、まだ意識を失ったままいるはずです。彼のことは、リィナーサさんと、ディムルに託したい。勇者協会に渡したら、人はまた歴史を繰り返す・・・・・・・


 その言葉に、リィナーサは驚いたように目を見開きながらもゆっくりと頷いた。


「……詳しい事情は、今は話せないということね」


 エリンスも眼差しをそらさないままに、こくりと頷き返す。


「わかった。責任を持って、預かるわ。ディムルにもきみの意志は伝える」


 真っすぐとこたえてくれたリィナーサに、エリンスは頭を下げた。


「ありがとうございます」

「ところで、エリンス。きみと一緒にいた、あの子は?」


 そう聞かれたところで、顔を上げたエリンスは表情を曇らせた。

 リィナーサも何やら気まずさを感じたのか目をそらしたが、エリンスはしっかりと返事をした。


「……魔界へ、帰りました」

「そんな! どうして!」


 驚いたように声を上げてエリンスの肩を掴んだのはアーキスだった。


「ごめん、今は、うまく言葉にできそうにもない」


 そうこたえたエリンスに、アーキスも呆然としながらもその手を放す。

 リィナーサはそんな二人を見つめながらも優しく口を開いた。


「そう……彼女の活躍も、あったのでしょう」

「……はい、一緒に戦った、大切な仲間です」


 エリンスが真っすぐとリィナーサの目を見つめたままそうこたえると、リィナーサはそれで納得したように「わかったわ」と頷いてくれた。

 そこまで話したところで、また周囲の魔素マナが乱れるような気配が発生する。開くゲート、三人のことを送り届けたディートルヒが戻ってきたらしい。

 リィナーサから一歩離れるエリンスに、アーキスもまた平然を装って、今の話を忘れてくれたようだ。

 ディートルヒは戻ってくるや、魔竜ランシャのほうへと一歩近づいた。


「さて、魔竜様はどうするか」


 ディートルヒは魔竜ランシャを見上げて、人差し指と親指の間で顎を撫でる。

 魔竜ランシャの翼に開いた穴は塞がっていない。当分の間、飛行することは困難だろう。

 エリンスはディートルヒに一歩寄って声をかけた。


「一緒に連れて行けませんか。ここまで俺らを運んでくれた大切な仲間です」


 ディートルヒはそう言ったエリンスを一瞥すると、気持ちがいい笑顔を浮かべて頷いた。


「そうだな。骨の折れる仕事だ。だが、帝国を救ったきみらの頼みとあっては断れない。大聖堂の中ならば、魔竜様でも休むことができるだろう。これは我の独断だが、マースレン閣下も許してくださるはずだ」


 かはは、と笑ったディートルヒに、エリンスはアーキスと顔を見合わせたから、喜ぶように笑顔を浮かべて頷いた。



 そうして――勇者候補生たちは生還した。


 陥落した帝国を奪還し、支配した覇王を討ち倒し、決戦には終止符が打たれた。

 だが、全てが丸く収まったというわけにはいかないのだろう。そんなわだかまりは、勇者候補生たちもまたそれぞれ胸のうちに抱えていた。

 文字通りに命を燃やして友を救った者。それにこたえた未だ目を覚まさない者。己の想いに蓋をして行方不明となる友を追う者。全てを背負って全てを失った者。

 負った傷はそれぞれに、後々の更なる戦いの舞台へと昇華されていく。

 それはまた、エリンスも同じだった。

 離れゆく想いの最中、離してしまった手を取るために、彼は真っすぐ前を向いている。


 エリンスたちは帰還を果たす。

 帰る場所は、サークリア大聖堂。はじまりの地。

 旅立ちの日に背を向けた、あの場所へ。

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