第52話【デート】

 気持ちのいいくらい空が青一色で広がった、土曜の午前。

 ただ天気が良いということだけで、人の気持ちというのは自然と上向きになるから不思議だ。


 今日は約束通り、朝から世愛せなに一日付き合うことになっている。

 本当なら今は悠長に遊んでいる場合ではないのだが......世愛にあそこまで真剣な眼差しでお願いされたら、断るに断れなかった。

 何か覚悟を決めたような、あの瞳――いつ父親契約が終わってしまうかもしれない今、俺はどんなちっぽけなことでもできるだけ彼女の願いを叶えてやりたい――心からそう思っていた。


 ......にしても、遅いな世愛の奴。

 女性は出かける準備に時間がかかると相場は決まっているが、いくら何でも30分以上リビングで待たされるのは、ちょっとな。

 こちとら久しぶりの遠出に昨日から緊張しているもんで、待っている間もどうも落ち着かない。さっきから立ったり座ったりを繰り返して、緊張を誤魔化すばかり。


「――お待たせ」


「ようやく準備できた......か」


 世愛の部屋のドアが開く音がし、リビングにやってきた彼女に目を向ければ、思わず言葉を失ってしまった。


「......どう? 似合うでしょ? この日のためにネットで大急ぎで注文したんだ」


 照れながらも自慢げに、世愛は俺の前で回って見せた。

 ロングコートの中には濃いめの紫色のブラウスと、少し丈の短いグレーのプリーツスカート。

 その下には黒タイツを履き、大人っぽさを強調している。

 普段の外着は年相応の少女と言った感じの、幼い印象を与える服装が多かった世愛。

 こういった大人の女性全とした格好をされるとJKであることを忘れ、心臓が跳ね上がって頬が熱を帯びてしまう。


「初詣の時も思ったんだけど、風間さんはもっと自分の正直な気持ちを言葉に出した方がいいと思うんだけどなー」


「うるせー! いいから、さっさと出かけるぞ!」

「はーい」


 見惚れ黙ってしまった俺を小悪魔っぽい表情でニヤニヤとからかう世愛をおいて、俺は先に玄関へと向かった。

 その後ろを嗅ぎなれた柑橘系の化粧水の匂いを漂わせ、世愛が遅れてついてくる。

 できれば今、俺は世愛に顔を見られたくなかった。自分でも情けない顔になっているのを知覚しているからだ。


「じゃあ今日一日よろしくね」


 玄関のカギを閉め、エレベーターの方に向かおうとする俺の手を世愛が握った。


「おい世愛!?」


 彼女の華奢な手からひんやりと、そして柔らかい感触が伝わる。


「言ったよね、これはデートなの。デート中は私と基本手を繋ぐことを命令します」

「出たな、契約主特権」


 苦笑いを浮かべる俺に、またしても小悪魔っぽい表情を向け告げてきた。


「風間さんは嫌?」

「嫌とかじゃなくてだな......こっぱずかしいというか、ムズムズするというか」


 俺と世愛ははたから見たらどう見ても兄妹にしか見えない。まてよ、今の世愛とならワンチャン恋人同士に見えなくもないか――って、俺は何を考えてんだ!

 奏緒かなの奴が変なこと言うもんだから、妙に世愛を異性として意識してしまう。


「大丈夫。もしも人混みで辛くなったら、その時は私がぎゅっと抱きしめてあげるから。安心して」


 俺の腕に身体を寄せ、彼女は微笑みの眼差しで見上げた。

 

「お、おう」


 まだ出発もしていないこの状況。

 やたらとグイグイ来る世愛相手に、俺の体力は果たして今日一日持つのだろうか?

 彼女に引っ張られながらこれから始まる長い一日を想像し、早速ちょっと決意が揺らぎそうになる自分が情けない。


「――んで、いい加減行先きを教えてもらいたいんだが」


 世愛に連れられるがまま電車に乗ったはいいものの、未だに企画者本人からは何のアナウンスもなかった。


「もうすぐわかるから、焦らない焦らない」


 扉側に立つ世愛の言葉を信じ、俺は彼女を人混みから守るようおおう形で、ひたすら目的地に到着するのを待つ。

 その間も勿論手を繋ぎ続けていたわけだが、周囲の生暖かい視線が刺さるように痛かった。

 やがてとある駅に到着したところで、大勢の人たちが降りて行くのに混じって俺たちも電車を降りた。

 なんとなくだが、世愛の目的地がわかってきた。


「......やっぱりここか」


 世愛が俺を連れてきた場所は、まだオープンして半年にも満たない、大型ショッピングモール。

 都心から少し離れた場所に位置し、ファッション関連のテナントが中心とした店内は、映画館にゲームセンター。さらには海外で有名な格安の家具専門店まで入っている。

 地方勢だけでなく、俺たちのような都心勢からも人気があるらしい。

 

「え、なんでわかったの?」

「いつだか世愛とかすみが休憩時間中に話してたろ。ここのホットドッグが食べてみたいとか」

「風間さん......女の子の話しを盗み聞きするなんてサイテー」

「たまたま耳に入ってきただけだ。ていうか、俺もすぐ隣にいただだろうが」

「バレたか」


 世愛はほんのりリップクリームが塗られた唇から、舌を少しだけぺろっと出しておどけてみせた。


「一度、風間さんと一緒に来てみたかったんだ。でも思ったより混んでるね」 

「そりゃあ土曜日だからなぁ」


 敷地内の駐車場は午前中の段階で既にほぼ満車。

 俺たちの後ろからも、大勢の様々な年齢層の人たちが建物内に入ろうと歩みを進めている。

 

「......どうする風間さん。どこか他のいてそうなところに場所変える?」


 迷いのある声音で世愛が訊ねる。


「いや、お前はここに来たかったんだろう? だったら混んでようがなんだろうが気にすん

な。とことん付き合ってやる」


 不安が無いといえば嘘になる。

 自律神経を病んで以降、これほどの人が多く集まる場所にやってくるのは初めてのこと。

 ......だが、目の前にいる俺の娘を悲しませたくはなかった。

 それに、世愛と一緒なら症状が安定するような気がした――バイトの初日の時みたいに。


「......うん。わかった」




「じゃあまずはお昼! ホットドッグ食べに行こう! お腹が減ってちゃ人混みに負けちゃうからね」

「はいよ、了解」


 調子が戻った世愛は、人混みをかきわけながら、お目当てのホットドッグが売っているというお店まで俺を案内してくれた。

 そこで昼食を取った後はというと、ただひたすら二人でいろんなお店を見て回った。

 時間の許す限り、何かを買うわけでもなく世愛との会話を楽しむ――お店側からしたら大変迷惑な客かもしれないが、俺にとっては幸せな時間が過ぎて行った......。


 ***


 時刻は夕方5時。

 さすがにお互い回り疲れてきたので、そろそろ帰ろうかという話をしようとした時だった。


「ねぇ風間さん。もうちょっとだけ、私のわがままに付き合ってもらってもいいかな? 最後にどうしても行きたい場所があるの」


「......ああ。わかった」


 あの夜。

 デートをお願いされた時の、何か強い意志の乗った眼差しで告げられては、断ることなどできなかった。


 ショッピングモールを離れ、そこから駅とは反対方向にバスを使って15分ほど移動する。

 周囲は雑木林が増え、道こそ整理されてはいるが、充分な管理はされていないように見えた。一定の間隔に設置された外灯が、散らばった大量の落ち葉や枯れ葉等を照らす。


「......着いたよ。ここが今日、風間さんとどうしても最後に一緒に来たかった場所」


 バス停から世愛に案内されやって来た先――それは、今はもう営業していない、閉館した遊園地だった――。

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