第46話【衝突】

「......わかりました」


 俺には断る理由も権利も無かった。


「ちょっと待ってよ風間さん!」


 荷物をまとめようとソファから立ち上がる俺の腕を、隣にいる世愛せなが必死に掴んだ。


「世愛、今までありがとな」


 彼女の頭を撫で、一言ながらも精一杯の感謝の気持ちを伝える。

 すると世愛は、そのまま俺の腰に手を回して抱き着いた。


「何をしているんだ世愛。行かせてやりなさい。風間さんが困っているじゃないか」

「......行かせないよ。契約を破棄する権利は、風間さんにはないんだから」


 強い意思の乗った眼差しに捉えられ、脚がその場から動くことを拒む。


「世愛! わがままを言うんじゃない! 家族ごっごはもう終わりにするんだ!」


 これまで表情一切変えず、淡々と接していた世愛の兄。

 その顔が一瞬にして険しいものへと変化し、妹の行動を咎(とが)める。


「ごっごじゃない! 風間さんは兄さんなんかと違う! こんなどうしようもない私と、正面から向き合ってくれたの!」


「大人は金のためなら平気で嘘をつく! お前はこの汚い男に騙されているだけなんだ!」

「私を理由に風間さんをけなさないで!」


 世愛の叫びが、リビングに響き渡る。

 兄妹の荒れた呼吸音が間にいる俺を挟み、ピリピリとした緊張感がまだ継続していることを本能的に知らせる。


「風間さんをこの家から追い出すなら私......もう二度と学校に行かないから!」


 感情剥き出しで兄を睨む世愛。

 初めて目撃する世愛の表情に戸惑いを感じながらも、胸の中にはくすぐったく熱いものが込みあがり、身体が震えた。


「......すいません。もう一度、席についていただいてもよろしいでしょうか?」


 世愛の兄は短く嘆息たんそくし、俺とまだ話があるようで引き留めた。

 すがるような視線を送る世愛に優しく目で合図すれば、納得したらしく彼女は俺から離れてくれた。


「興奮してしまったとはいえ、あなたに大変失礼なことを言ってしまい、申し訳ございませんでした」


 俺がソファに腰を下ろしたのを確認してから、世愛の兄は深々と頭を下げた。


「いえ......」


「この寒い季節に今すぐ出て行けと言うのは、冷静に考えれば道理的にNGかと。ですから猶予ゆうよを与えます」


「猶予?」


 訊き返す俺を、世愛の兄が頷いた。


「一ヶ月以内に引っ越し先を見つけ、ここから出て行って下さい。これが、わたくしが最大限譲渡できる案です」


「......一ヶ月ですね」

「はい。それからもう一つ約束が――」


 彼の俺に向ける眼差しが、強いものへと変わった。


「世愛とこれ以上肉体関係を結ばないと約束して下さい」

「兄さん!?」

「誤解があるようなので申し上げます。俺は世愛と一度もそういった関係を結んだことはありません」


 頭上で見下すような格好でこちらを注視する世愛の兄。

 威圧感に負けそうにながらも、俺はなんとか目を逸らさず、最後まで言い切った。


「......そうですか。でしたら良いのですが」


 含みのある言い方は信用されていない証拠だった。


「もしも約束を一つでも破った場合、それ相応の対応を取らざるを得なくなりますので。覚悟しておいて下さい」


「くどいですね。俺は絶対に手を出さないと言ってるじゃないですか」


 彼の挑発的態度が、抑えようとする俺の気持ちを逆なでする。

 自然と両手は拳の状態を作り、彼を見つめる視線にも力が入ってしまう。

 睨み合いは数秒ほど続いた。 


「――申し訳ありませんが、私はそろそろ失礼させていただきます。あなたとは二度と会うことがないことを、心から願っております」


 俺たちに背を向け、世愛の兄は捨てゼリフとも受け取れる言葉を告げ、


 

「......そうだった。世愛、担任の教師から留学の話は聞いたよ。私としてはもちろん反対だ。お前は私の言われた通りの道に進めばいい。余計なことはするな」


 最後、世愛の留学の件に異議を唱え、彼は部屋から出て行った。 

 妹にかける言葉とは思えない酷く冷たい言葉が、暖房によって適温を保っているはずの部屋の中で寒さを錯覚させた。


 ***


 緊張感から解放されても、俺の身体は疲労と今後の生活への心配で、とても安心した気持ちにはなれなかった。


「......ごめんね。急にこんなことになっちゃって」


 ソファで俯く俺を、隣に座る世愛が覗き込むように声をかけた。

 彼女の瞳からはまだ不安の色が窺える。

 距離も近く、半ば俺に寄りかかった体制。


「......世愛、兄貴いたんだな」


 安心させるように、俺は優しく呟いた。


「うん。あの人は、私が小さい頃に養子に出されたの」

「だから苗字が違うのか」


 あの人――世愛の言い方や先ほどの二人のやり取りを見る限り、兄妹の仲は決して良くはない。むしろ最悪と呼べる雰囲気。

 三者面談の保護者代行を俺に頼んだ理由も充分理解できた。

 アレでは毒親みたいじゃねぇか。


「いつもは三者面談のことなんか、こっちから連絡しなければ気付かないのに」

「そりゃあ、大企業の社長様だもんな」


 天下の来栖園くるすえんの若社長が、忙しい合間を縫って直々にやってくるなんて相当だ。


「......風間さんは、この部屋から出て行ったりしないよね?」


 世愛は上気した表情で返事を待つ。

 親と離れ離れになる子供みたいな、不安と悲しさがごっちゃになった色。

 俺の二の腕の辺りの洋服を掴む仕草が、より幼さが増して見える。


「......」


 答えられなかった。

 いや、答えることで、世愛と別れる現実に向き合うの嫌なのだ。


 世愛の、嗅ぎなれた柑橘系の化粧水の匂い。


 時折俺に見せるふわりした笑顔。


 毎日当たり前のようにあったものが、全て消えてしまう。

 いつの間にか、俺の中で世愛は家族同然の存在になっていた。

 

「......ねぇ風間さん」


 もう一度、世愛が訊ねた。


「......どうした?」

「あんなことがあったばかりで、話すのもアレかなとは思うんだけど......」

「いいから。言ってみろよ」


「――これまでの私の歴史を、風間さんに知ってもらいたい。私がパパ活を始めた理由も含めて」


 世愛は、決意という名の意思を秘めた瞳で、俺を見つめた。

 洋服を掴む手からは小刻みに振動が伝わり、彼女が覚悟を持って俺に告げようという気持ちが伝わってきた。


 俺は今まで、世愛のこれまでについての自分から訊ねることはなかった。

 知ってしまうのが怖い――俺の世愛に対する認識が変わってしまうような気がして、敢えて避けてきた。

 だが明確な別れのタイムリミットがはっきりしてしまった今、俺は家族、父親として知っておくべきでないか?

 こちらも覚悟を決める時が来たようだ――。


「......わかった」


 世愛の震える手に自分の手を重ね、安心させるように笑ってみせた。


「......ありがとね」


 にへらと微笑み返した世愛。

 目をつむり、自分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返し、やがて語りはじめた――自分の歴史を――。


 

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