忌引き届
津多 時ロウ
忌引き届
柔らかい陽射しが二度寝を誘い、小春日和を予感させる10月の朝、父が死んだ。
「うん。うん。うん……。分かったよ、母さん。今すぐには帰れないけど、夜にはこっちを出るから。うん。うん。気をしっかり持つんだよ。うん。じゃあ、また」
一人残された母を思えば、すぐにでも遠く離れた実家に帰りたいと焦りばかりが募るも、今日はクライアントとの大事な打ち合わせがある。残念ながら代役はいない。
他にやらなければならない仕事は、調整が必要なことは、と自室のパソコンを起動。この先1カ月のスケジュールを確認しようと会社のグループウェアにログインする。
「IDを入力して名前を、佐藤
その間にも思い出されるのは不愛想で無口な父のこと。
今年59歳になった父は、都内の工業大学を卒業後に中堅化学メーカーの研究部門で働いていた。派手な功績はなかったそうだが、既存の家庭向け製品の改良に好んで従事していた。年を経て、管理職への昇進を何度も打診されたが、自分には向いていないと、都度、断っていたそうだ。
研究にのめり込めば、会社に泊まり込むことも珍しくなく、俺が子供の頃にも、何度も家に帰ってこないことがあった。そんな夜には、決まって母が「あの人、研究バカだから」と諦めたような、自慢するような表情で言っていたのをよく覚えている。
「お父さんが、倒れたの」
3日前、今にも卒倒しそうな母から連絡があったときも、倒れたのは会社の研究施設だったと聞く。
それからすぐに亡くなってしまった。実にあっけないものだ。だが、研究で生き、研究で死んだのだから、父にとってみれば満足な人生だったのかも知れない。
「おっと、忘れないうちに忌引き届を提出しなければ」
俺は手早く必要事項と概要を入力して提出ボタンをクリックし、打ち合わせに使用する資料の確認作業に移った。
*
「佐藤!!」
そしてオフィスに上司の雄叫びが響いた。
「なんだこの忌引き届は!! 父親が死ぬの、これで何回目だよ!! 概要欄に細かい字でショートショート書くのもやめて!! 虫眼鏡で読んじゃっただろ!! あと、うちはグループウェアないから!! 全部紙だから!! ……まったく、なんでお前はそうやって嘘ばっかり」
「最後までご覧頂きありがとうございました。面白かったら、応援や感想を頂ければ幸いです」
「そういう話じゃないから!! なんで嘘を
「だって、しょうがないじゃないですか」
「あん?」
「政治に嘘はつきものですから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます