パリダカ!

川崎そう

プロローグ

橋が架かる。

 橋を渡った先の対岸は、此方側の岸とは違う景色だった。

 対岸は綺麗で、青々と生い茂った草花に、目を奪われる。

 しかしふと我に帰り、足下の岸を見れば、荒れ果てた荒野が広がっていた。

 それを、羨むのか。

 それを、拒むのか。

 はたまた、そのどちらをも、渡すのか。


 岸から、岸へ。

 架かった橋に、一本の轍が、うっすらと見え始めていた。









「うおぉ!ぶおんぶおおおぉおぉぉん!!!!」


「ねーしゅうくんお砂場で遊ぼうよー」


「今見てんだろー」


 排気音を口ずさみ、手にしたミニカーのバイクを床で走らせながら、テレビを齧り付く様に注視する少年。


 その腕を、髪をさくらんぼのヘアゴムで二つ縛りにした、隣で見ていた少女がゆする。


 腕に連動する様に首もフラフラと揺さぶられながらも、少年の視線はテレビの画面一点に向けられていた。


「これ見てて楽しいのー?」


「あったり前だろ。パリダカだぞ、パリダカ!」


「ぱり…?あ、知ってる!頭がツルツルな鳥だ!」


「それはハゲタカだろ、パリダカはオートバイと車のレースだよ!」


「レース…?ここ砂漠?だよ?こんなトコで競争するの?」


 少女も画面を見つめるも、写るのは広大な、ただひたすらに広大な砂漠。


 途方もない、無数の砂粒が転がる其処に、一本の轍がうっすらと伸びていた。


「そうだよ。この砂漠を一番に渡り切ったヤツがチャンピオンなんだ。世界で一番過酷なレースで一番になったレーサーだから、本当にすごいんだぜ」


「ふーん」


「何だよ興味なさそうだなぁ」


「だってこんな大きすぎる砂漠より、私のママと、しゅうくんちのママが作ってくれた砂場の方が楽しいもん」


「全然違うだろー……もー分かったよ。行くよ」


「うん!」


 頬を膨らませて文句を垂れる少女を見て、観念して折れた少年。


 ブルーレイレコーダーの電源をオフにすると、ピョンッと勢いよく立ち上がった。


「今日は四階建ての城を作るぞ!」


「よーし頑張るぞー!」


『えいえいオー!!!』


 吊られる様に立ち上がる少女。目標を決めると勢いよく拳を突き上げて所信表明し、ドタドタと階段を駆け下りて行った。


 幼馴染の少年と少女は、こうして日が暮れるまで遊ぶのが、何時もの日課だった。


「しゅうくん何作ってるの?」


「駐車場だよ。オートバイで門を潜り抜けるて城の中にとめられるようにするんだ」


「ちょっと〜私のお城は白いお馬さんの馬車でくるんだから、バイクはダメー!」


「あんだよー。良いだろー」


 カップに土を詰めて形取った城壁の門に、穴を空ける少年と、塞ごうとする少女。


 縁側の向こうからは少女の母親が優しい微笑みを浮かべて、二人を見守っていた。


「ダーメ。コンピューターはこの中には入れませーん」


「コンピューターじゃねーし。俺が運転すんだから」


「しゅうくんが乗るの?」


「そーだ!イマドキのコンピューターの自動運転なんか興味ないぜ!おれが運転してパリダカから帰ってくるんだこの城に!」


 持って来たミニカーを潜らせながら、ピタッと作った位置に停める少年。


 小さくとも、その頭の中には、城に入るバイクのイメージが、確かに浮かんでいた。


「でも自分で運転できるようになるのって、すっごく難しいってママ言ってたよ?」


「関係ねーぜ!俺はオートバイの免許をとって、自分で運転してパリダカを走るんだ!ぶぉぉん!!」


「じゃあしゅうくん、そのときは由布子をのせてね?」


 将来の野望に耽る少年に、柔らかい笑顔で訊ねる少女。


 少年は目線こそ合わせないものの、一拍置き、威勢を弱めて答えた。優しい、声で。


「…しょーがねーな。最初は由布子を乗せてやるよ」


「やった!じゃあ練習しよ!ミカちゃん人形もってくる!」


 喜んで、立ち上がり、元気良く玄関の方へ走って行く少女。


 その足跡を、誘われる様に目で追う少年。


 少し気恥ずかしくなって、目線をミニカーの方に戻そうとした。


 その時。


「クルマの音……?」


「今日は黄色いドレスにしよー」


 近づいて来る、タイヤが地面を滑る、スリップ音。

 不安を駆り立てる、金切り音。


 長閑な町に余りに不自然なその音は、少年に危機を、本能的に感知させた。


「ん?何だろ?」


「待てッ!!由布子ッッ!!!!」


 それが、今、この場所へと向かって来る音である事は、もう疑い様は無かった。


 少年は、無我夢中で、走り出した。


 脚を縺れさせながらも、兎に角、間に合う様に。

 何としてでも、間に合う様に。


「へっ?…あ…」


「あああああぁぁーーーっ!!!」


 飛び込む様に、少女を突き飛ばす少年。


 その側面に現れた、自我を失ったかの様な、一台の自動車。


 その車幅から、少女は逸れた。


 少年もーーー。


「うぁっ!!!」


 肘と膝全て擦り剥きながらも、辛うじて避け切る。


 玄関に激突した車は、そのドアを盛大にひしゃげさせ、動きを止めた。


「しゅうくん!!しゅうくんだいじょぶ!?」


「いってぇ〜…けど…うん…立てそう…ゆうこは?」


「大丈夫だよ…よかった…怖かったよぉ…あぁ〜ん…」


 緊張が緩んで、泣きじゃくり出す少女。慰めてやりたい少年も、流石に泣き出した。


 縁側から少女の母が大声を上げながら此方へ向かうのが、微かに二人の耳に入った。


 その時。


「っ…あれなんだ」


 空を見上げると、日の光に照らされて光る物体があった。


 割れて飛び散ったフロントガラスの破片が、家の外壁に刺さった物だと、彼は後に知る事になる。


 ただ今は、それが重力に負けて、自分の方へ落ちて来る事しか、分からなかったが。


「やばい動けね…」


 落ちてくる切っ先を、見詰めるしか出来ない少年。


 それでも目の前の女の子を守れた事はよかったなと、齢九つにして思えて、目を瞑った。


「しゅうくんっ!」


「えっ…」


その身体に覆い被さる少女。瞬間、少年の目には少女の鮮血が映り、耳にはーーー声にならない悲鳴が、響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る