2-4 花畑のおじさん

 歌声と楽器の音をたどって着いた先は宴会場のような広間だった。入り口には、ちょっとした人だかりが出来ていた。アップテンポのリズムの歌に合わせて人々の体が揺れている。公民館という場所がらだけあって見物客の年齢層はやや高めだ。

「この曲……」

 樹は隣に立つ立華を見やった。

 梓たちが演奏していた曲は「フィールド・オブ・サウンド」の「風の街」だ。軽トラックのラジオから流れてくるなり、「消せ」と立華が怒り出すほど嫌いなその曲だ。

「『風の街』じゃないですか」

「……」

 今すぐ演奏をやめろと言いだすのではないかと危ぶんだのだが、立華は神妙な面持ちで聞き入っている。

「いいんですか、演奏させておいて」

「黙っていろ」

 ラジオから流れてきた時には消せと怒られたというのに、今度はその同じ曲を聞かせろと制されてしまった。

 そういうことなら、と、樹も梓のバンドの演奏に耳を傾けた。

 本家の演奏の足元にも及ばない技術の未熟さは否めない。それでも、曲の良さは伝わってくるし、何より演奏している梓たちが楽しそうにしているその空気が聴く側にまで伝わってきて、気持ちが高揚していく。

「さっき、軽トラックのラジオから流れてきた時、『消せ』って言いましたよね? 何でですか?」

「嫌いなんだ、この曲」

「どうしてですか? いい曲なのに。皆さん、喜んで聴いている」

 二十数年前に流行った曲だ。当時を知る年代の人は歌詞を口ずさんでいる。

 はじめに止まったのはベースの音だった。ベースを弾く手を止めた小柄な少女が、樹の方をまっすぐに見据えている。どうしたと言わんばかりに梓がベースの少女を見やった。少女の視線の先を追った梓が樹に気づき、ギターを弾く手を止めてしまった。ベースとギターの音が絶え、異変を察したボーカルの少年がマイクを離した。長い髪を振り乱してドラムを叩き続けていた少女は梓に制されるまで演奏が止んだことに気づいていなかった。

 楽しそうに演奏していた梓たちだったが、一転して今は脅えたように樹を――いや、樹の隣に立つ立華を見つめている。梓たちの視線を受ける立華は不機嫌な表情を浮かべている。立華のむっとした表情があらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。

「気にしないで、演奏を続けて。別にうるさいとか文句を言いに来たわけじゃないんだ」

 樹がそう声をかけると、周囲からも「続けて」と声があがった。 

 歓声に後押しされ、梓が戸惑いながらもギターを弾き始めた。互いに顔を見合わせながら、梓を追うようにしてベースが、ドラムが鳴り、ボーカルが歌い始めた。再び広間には「風の街」が流れ始める。

「いい歌じゃないですか、ねえ、立華さん」

 しみじみとそう言い、同意を求めて隣に立つ立華を見やった。二十数年前に流行った曲だが、今なお、そして今また新たに愛されている。時を経て世代の異なる人々に指示されている理由はいい歌だからだ。

「そうだな、いい歌だな……」

 ぽつりとそう言い残し、立華は曲が終わる前にすたすたと来た道を引き返して行ってしまった。


「ねえ、今の、立華さんだよね?」

 立華が姿を消すなり、ギターを放り出した梓が駆け寄ってきた。

「そうだよ。梓も知ってるだろ?」

「公民館に何が用事があって来たの?」

「柊兄さんの生け花教室で使う花を一緒に持ってきたんだ」

「なんだ、偶然か。わざわざ文句言いにきたのかと思った」

「やっぱりそう思っていたんだな。立華さん、どういうわけだか仏頂面だったけど、別に文句があるとかそういうことではなかったんだ」

「そうなんだ。すっごい、怖かったぁ」

 そう言うなり、梓は膝から崩れ落ちて床に座り込んでしまった。

「何だよ、大げさだなあ。立華さんはちょっと変わった人かもしれないけど、怖い人なんかじゃないよ」

「いっくんは立華さんをよく知っているからそう言えるんだよ」

 樹に肩を借りながら立ち上がった梓の膝がまだ少しだけ震えていた。

「立華さん、『風の街』っていう曲が大嫌いなんだよ。有線で流れていたら無理やり消させようとするくらいにさあ」

 バンド仲間がバイトしているコンビニでの出来事を聞かされながら、樹は今朝の出来事を思い出していた。ラジオを消せと迫った立華は凄みがあった。親しい間柄でなかったら怖いと感じるだろう。立華をよく知る樹でも、おやっと思ったくらいだ。

「だからさ、僕らが演奏していた時にいつの間にか立華さんが来てて、びっくりしたんだ」

「それで演奏をやめたのか」

「うん。僕らが演奏しているってどこからか知って、『やめろ』ってわざわざ公民館まで怒鳴り込んできたのかと思ってさ」

「そんなわけないだろう」

 梓の突拍子もない思い込みに思わず噴き出さずにはいられなかった。

「そうだよね、そんなわけないよね」

 浅はかな考えを反省し、梓は照れていた。

「演奏を再開しても、何も言われなかったね。そのうち『やめろ』って言われるんじゃないかって僕ら、ひやひやしながら演奏していたんだけどさ」

 梓たちが互いに顔を見合わせながら戸惑っていたわけがようやく腑に落ちた。そして再開後の演奏がどこか遠慮がちだった理由も。立華を意識していたからだ。

「そういえば……立華さん、何も言わなかったね」

 曲が流れてきた時に即座にラジオを消した立華が梓たちの演奏には聞き入っていた。嫌いだと言いつつ、「いい歌じゃないですか」という樹の言葉を受けて「いい歌だ」とは認めた。

「静佳が言うにはさ、曲が嫌いなんじゃなくて、曲にいい思い出がないんじゃないかって」

「静佳?」

「母の日に『ごめんなさい』の花を買いに来た子だよ。僕と同じクラスの森川静佳。うちのバンドのボーカル」

 どうりでボーカルの少年に見覚えがあるはずだった。「ごめんなさい」と打たれたスマホを突き出してみせた少年を樹は思い出した。

「あれ? 確か、その子、口がきけないんじゃなかった? でもボーカルなんだ?」

「不思議なんだけど、歌を歌う時には声が出せるんだ」

 母親を失ったショックでしゃべれなくなってしまったらしいこと、自分の思いを口にする以外では声が出せることなどを梓はかいつまんで話してくれた。

「いい歌声だね」

「だよね、そう思うよね」

 自分が褒められたかのように梓が喜んでいた。ひょっとすると立華の耳を開いたのは静佳という少年の歌声ではなかったかという考えがふと浮かんだ。

「それにしても、立華さん、何で『風の街』が嫌いなのかな。自分の歌なのに」

「ん? ちょっと待って、今、何て言ったの?」

 梓が目をぱちくりさせていた。驚いている梓に樹の方が驚いた。

「立華さん、『フィールド・オブ・サウンド』のボーカルだった人だよ」

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