Fragment.3 刺激的なラッカ
「キィィィィェァアァァァッッッ!!!!!!」
ラッカ・アクリジオンの怪鳥めいた絶叫が平原に響き渡る。ひらめく剣閃は稲妻を思わせる軌跡を描いて、次の瞬間、巨大な牛の首がどさりと地に落ちた。
バケツを振り回して投げたような塩梅で、ばしゃりと黒い液体が舞う。至近にいたラッカの強化鎧骨格はそれをもろに浴びて、グレーの下地を赤黒く彩った。とはいえ、それがエプロンについた最初のシミではないことは、幾重にも積層した塗膜の厚さからも明らかだった。
一方、首を失った残滓は人の似姿をしていて、蹄状の腕が失った頭を探る姿はいっそ滑稽な舞踊にも思えた。が、それもしばらくすると糸が切れたようにどうと倒れた。
地に落ちた頭の口が、断末魔を上げようと動いた。あるいは、極度の酸欠に喘いでのものだったのかもしれない。正直、どちらでもよい。既に声帯へ空気を送り込むための器官とは泣き別れしていたから、気道に残った分だけの空気が漏れる音は、ひどく静かなものだった。
平原の下草を、首の切断面から噴き出すドス黒い血が染めていく。いまだ血を吐き出す心臓ばかりが、静寂の中で唯一音を立てているものだった。
ラッカはその様を無感動に眺めてから、返り血に塗れた己が愛機を一歩後退させ、その手に握る得物をひゅんと一振りして血脂を払った。刃を濡らしていた液体は弧を描いて、平原に黒いシミを作った
「お見事です、隊長」
「――そちらは?」
いつの間にか側に侍っていた――こちらも返り血まみれの――強化鎧骨格が、傅くように片膝を地について賞賛の言葉を送る。
ラッカはその、己の部下のいささか行きすぎた振る舞いに眉を顰めつつも、小さく嘆息してから尋ねた。
生まれの階級でいうと、その部下はもともと貴族の出だった。平民上がりのラッカからすると、彼の仰々しい所作は大仰に過ぎる。その所作は、軍隊のそれではない。あるいは軍隊のそれであったとして、もっとずっと古い時代のものだ。今の時代にはそぐわない。
「ハッ、万事抜かりなく仕留めましてございます!」
「結構。良い働きです」
必要最小限に少し足らないくらいの問いかけを完璧に解釈して返答した部下に、ラッカは労いの言葉で返す。これでずいぶん優秀だから、ラッカもその所作をそう強くたしなめることもできなかった。いらぬ世話で反感を持たれても面倒だったからだ。
労いの言葉を掛けられた部下の喜色は目に見えるほどのもので、ラッカは再び眉を顰めた。
「次のポイントに移動します。今日中に割り当てのコロニーは全て潰しますよ」
「承知いたしました」
第2小隊に課された任務は、魔物――ミノタウロスの間引きである。
魔王から発生した魔物は、通常は魔王のテリトリーにとどまるが、テリトリー内の個体数が飽和すると外に向かって移動をはじめる。ゆく手に人家などがあればそれを襲撃する。やがて十分人間の勢力圏に浸透したところで、営巣をする。数体~十数体が集まって、小さなコロニーを形成するのだ。
とはいえ魔物に生殖器官などはないから、それが繁殖のためのものではないことは自明だ。魔物は魔王からしか生まれないし、魔王がどのように繁殖するのか――種子なのか、苗なのか、はたまた挿し木なのか――については未だ判明していない。だからいうなれば、そのコロニーは橋頭堡だ。
いずれにしても、放置しておいていいものではない。そもそもコロニーが複数形成されているということは、魔王のテリトリーには魔物がひしめき合っているという証左に他ならない。
「まったく、我が中隊長殿もタイミングが悪い」
ラッカは眼鏡のブリッジをくいと持ち上げ直すと、コクピットで独り言ちた。森域での催しがなければ、魔王討伐のお鉢はきっとティエスに回ってきたことだろう。宮廷が魔王の討伐隊の選定を進めているという噂はまことしやかに聞こえてくる。あのスゴスギル・エライゾが、自身の握る駒で最も勝手のいいティエスを売り込まないわけがない。おそらく今回の森域行きも、地政学的な意味以上に彼のプレゼンがあったのだろうとラッカは思案する。
「ま。どちらにしても結果は同じ、ですか」
「隊長殿、なにか?」
耳ざとい部下が、ラッカのつぶやきを拾う。どうやら独り言までも、この高性能なマイクは拾ってしまったらしい。技術の進歩も良し悪しである。ラッカはすぐさま平静を取り戻した。
「何でもありません。みなに通達を、ロットクライブ分隊長」
「ハッ! 承知いたしました!」
ラッカがそう指示を出すと、部下の強化鎧骨格は音も立てずに離脱して、第2小隊の面々を集めに走る。全く、マシンの扱いにかけては己よりも数段は上だと、ラッカはその機動を見てつくづく思った。
///
ロットクライブ・カジェレスヴァーー通称、ロック。フェンヴェール陸軍分隊長である彼は、ラッカ・アクリジオン小隊長率いる第2小隊の副官的ポジションについている青年だった。
彼の生まれはレイフェン市近郊に小さな領を持つ土着の男爵家で、エライゾ辺境伯家につかえる譜代の武家だった。そのルーツをたどれば、創世記の伝説上の人物にまで行きつくという。ロック自身はその話について懐疑的であったが、しかし自分の名がその伝説上の人物からとられているというのは、悪い気はしなかった。創世記の読み本は彼の愛読書であったからだ。
とはいえ、どうせならばもっと活躍した人物の名をつけてほしかったと幼い頃の彼は思った。ユーサクだとか、シオだとかだ。ご先祖様のロットクライブは、いぶし銀といえば聞こえはよいが、そういう一線級に一歩届かないくらいの活躍をする男だった。
彼は当たり前のようにエライゾ領の士官学校に進み、当たり前のように中退し、軍とは無縁の職についてしばらく過ごした後、親に尻を蹴り上げられて王国陸軍に入った。
士官学校を中退したことに、特に深い理由はない。彼は怠惰ではあったが、ひどく優秀だった。座学もそうだし、武技もまた、天性のものを持ち合わせていた。
カジェレスヴァ家はそう大きい家ではなかったが、教育については熱心だった。よい教師を呼んで彼につけていた。だから彼は齢12にして兵法の何たるかを諳んじられたし、大の大人を相手取って容易くひねる程度には、その腕前は確かであった。
そんな彼であるから、士官学校という場所に対しては強い失望を覚えた。自分よりも能がなく、ただ先に入学したからというだけで偉ぶる愚鈍な先達にはめまいを覚えたし、それらに頭を押さえつけられる環境は我慢がならなかった。結果、彼は彼の担当だった先任数名を半殺しにした末に、士官学校を中退した。特に深い理由はなかった。
念のために補足をしておくが、彼は粗暴とはかけ離れた為人をしている。基本的に、物腰は柔らかいのだ。だが、降りかかる理不尽に対しては、理不尽で応じるというだけであった。身に覚えのない咎で鉄拳制裁を食らったから、そいつを逆に叩き伏したに過ぎない。その後、鎮静に現れたほかの先任や同輩をも地に沈めたことについては、ロックとしても過剰であったと思うばかりではあるが。
なので数日の謹慎の後、彼は退学届けを叩きつけて去った。
さらに補足をすると、彼には常識もあった。このような騒ぎを起こした自身が家の恥になることを誰よりも分かっていたから、彼は士官学校を中退した足で家族に一筆したため、そのまま出奔したのだった。
その後しばらくの間、かれはエライゾ領都のパン屋で下働きとして働いた。彼は優秀で、頭の出来もよかったが、それにまして無鉄砲なところがあった。だから出奔したてで街を彷徨っていた時、働き口と寝床を提供してくれたパン屋の主人にはひどく感謝をしていたし、尊敬をした。
ロックは己が尊敬する人物の下ならば、下働きとして働くことも、叱責されること――これについては、きちんと叱責されるべき理由があったからであるが――もさほど苦ではないことを知った。その人物の能力が、たとえ自分のそれと比べて低くとも、である。
ロックはめきめきとパン職人としての腕を上げていった。次の転機は、彼がパン屋で働き始めて2年ばかり経った日であった。
ある日。いつも通り開店前の店の窓ガラスを拭いていたロックは、突然の来客に決闘を挑まれる。
決闘を挑んできたのは彼の実父であるカジェレスヴァ男爵で、男爵にロックの所在を通報したのはパン屋の主人であった。
パン屋の主人曰く、逃げ道としてパンを焼くことはまかりならんとのことで、これにはロックも納得せざるを得なかった。パン屋の親父の矜持を覆せるほどの材料を、ロックは持ち合わせていなかったからだ。
カジェレスヴァ男爵の主張はもっと単純だった。武家の長男がパン屋なんてやってんじゃねぇ、と、これだけである。とはいえ息子を立てるだけの度量はあるようで、その結果が決闘ということだった。
ロックはこの決闘を快諾し、実父に挑み、そしてぼろくそに負けた。まるで相手にならないほどの隔絶した差を見せつけられた。酌量の余地の一切ない敗北に、ロックは地に膝をついた。
ロックの回復には、丸々1週間を要した。それは男爵から与えられた、最後のモラトリアムだった。ロックはその1週間も欠かさずパン屋の仕事をおさめ、最後の日にはパン屋の主人に最上級の礼と謝罪をし、そのままフェンヴェール陸軍の門戸を叩いた。
///
ラッカ・アクリジオンという男はブディストの言うところの、まさに鬼である。肌は青くも赤くもなく、角もなければ牙もないが、ロックからすると、そのように見える。
一年間。訓練隊でのしごきに我慢に我慢を重ね、階級をもらい配属されたのが、ラッカの部隊だった。
最初、ラッカのことを、ロックは秘書官か何かだと思っていた。その立ち居姿はあまりにも文官然としていて、軍服がいっそ不釣り合いに思えるほどだった。
だからロックは正直、なめてかかっていた。もっともそれを表面に出すようなことはしない。ロックは処世というものを学んでいた。内心で蔑み、詰ることはあっても、それを表出させないだけのすべを、この数年で身に着けた。もっとも、そのおかげで些か、性格は悪いほうに矯正されてしまったかもしれない、という自覚がある。
だからこのひょろりとした男が大した器でない場合は、早々に見限ろう、などと考えていたほどだ。そして自分が出世した暁には、それまで受けた理不尽を倍にしてお返し差し上げるのだ。
率直に言って、このころの自分は目が腐っていたとロックは思う。あるいは腐っていたのは脳みそそのものかもしれない。
結局その腐った認識は、最初に臨んだ任務であっさりと覆されてしまった。そういえばあの時も、このように魔物の間引き作戦だったか。
『ロットクライブ!』
檄が飛ぶ。あの細い体のどこからこのような声量が発せられるのだろう。ロックはどうでもいい疑問をいったん脇において、光画盤を注視した。
飛来する二つの飛翔体がある。怪力と並ぶミノタウロスの武器、生体ミサイルだ。馬鹿馬鹿しい、と思う。まったく生命とはかけ離れた存在だ。ロックは一歩踏み込む。生体ミサイルの速度は音より遅い程度。しかし人間にとってはあまりに高速だ。されどロックは一切の躊躇なく、それを切り払った。
手ごたえ。生体的な被膜が切り裂かれ、被覆されていた強酸性の液体が弾ける。下草がじゅうじゅうと悲鳴を上げた。撃発していれば、これが霧状に散布されてこちらの命を奪っていただろう。この酸は、強化鎧骨格の外装材をも溶解せしめるのだ。もちろん、ロックの機体に損傷はない。剣は少しばかり切れ味が悪くなったかもしれないが。
「隊長!」
叫び返す。意を汲んだラッカのアーゼェンレギナが、自機のわきを低い姿勢で駆け抜けていく。速い。いや、速く見える。正対しているミノタウロスならば、それは自分の感じているよりももっと速い速度に見えているだろう。
低い姿勢から、ラッカの機体が跳ぶ。ミノタウロスからは、きっと消えたように見えていることだろう。刀身が陽光を照り返して、ぎらぎらとぬめる。ミノタウロスが気付いた。しかし遅い。
ミノタウロスが、半端に腕を上げる。防御姿勢。しかし――
『キィィィィェァアァァァッッッ!!!!!!』
ラッカ・アクリジオンの怪鳥めいた絶叫が平原に響き渡る。
大上段から振り下ろされた稲妻のような軌跡の剣閃が、ミノタウロスの防御をすり抜けてうなじに落とされた。
防御が中途半端だったからか。いいや違う。たとえミノタウロスが完璧に防御を固めていたとして、彼の剣はそれをもすり抜けて、まったく同じ場所に刃を当てていただろう。ロックはそれを、何度も見てきた。
莫大な運動エネルギーが局所に集約される。血で鈍っているはずの刃が、ミノタウロスの強靭な外皮に食い込んだ。そこからは早い。ずるりと容易く、その太い首を切断する。
まるで魔法のように鮮やかな、ラッカの剣。本当に魔法を使っているわけではない。ティエスではあるまいし。ラッカのそれは、純粋なテクニックの極致だった。
ラッカがしばらくの残心の後、刃の血脂を払った。その姿があまりにも洗練されていて、ロックはしばらく、呆けた。
『――ロットクライブ分隊長』
「は、はいっ」
ラッカの機体のカメラ・アイがこちらを見ていることに気づいて、ロックは泡を食った。戦場で呆けるなど、自ら命を捨てるようなものだ。恥じるより先に慌てて残敵の反応を走査する。反応はない。
『今日の仕事はここまでです。各員に通達。帰投しますよ』
「承知いたしました!」
ロックは器用に、強化鎧骨格で敬礼をして見せた。ラッカはすこしだけ呆れたような雰囲気を醸してから、それはともかく、といった。
『先ほどのアシスト、実にナイスでした。頼りにしていますよ、ロック』
「あ――」
ロックは、ラッカの言葉に一瞬、我を忘れた。さっきの今だというのに、だ。ロックは自然と、自機の膝を折り、地に傅かせていた。
「ありがたき、お言葉――!」
「そういうのはもう結構。早く帰りましょう。伝達薬、頼めますね?」
「承知いたしましたッ!」
ロックは跳ねるように立ち上がると、スキップでもしそうな勢いで仲間の下へ走っていった。
ラッカのアーゼェンレギナが、その後ろ姿をなんとも生温かな視線で眺めていた。
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