Fragment.4 ジェイムズとスミス
「おっ、今期のクロヴェル・ブラックフォージは快調のようだな」
フェンヴェール王国の王都ティアーミアは、都市の中央にそびえる王城を頂点としたゆるい円錐状の地形をしていて、周囲には同心円状に市街が形成されている。いわば坂の都市だ。これが本来からあった地形ではなく、古い街を埋め立てる形で増築をしていった結果だというのだから驚きだ。もっとも上へ上への拡張は100年前の大更改を最後に鎮静化しているから、これ以上坂の勾配がきつくなる心配は無用だろう。今でも地面を少し掘れば、前世代の街の遺構がじゃんじゃん出土するような、そんな街だ。
頂点の王城の周りには官公庁や近衛軍の本拠などがあり、ついで貴族の邸宅区画、商業区画、平民の居住区画という順にすそ野を下っていく。とはいえその境界に仕切りがあるわけではないから、街の様相はグラデーションがかかるように遷移していた。
商業区画と平民区画のあわいに点在する都市公園は、市民の憩いの場として無制限に解放されていた。敷地内に引かれた小川では子供たちがはしゃぎまわって全身をずぶぬれにし、親と思しき大人たちに窘められていた。広い芝生の広場ではレジャーシートを広げてのんびりする家族の姿や、球技に興じる幾人かのグループの姿がある。
そんな公園の全景が見渡せる小高い場所に据えられたベンチで、新聞を広げた老人が意外そうな声を出す。
「BDBですか。父さん、本当に好きですね」
「ふふ、BDBは面白いぞ。最近は暇もないから、こうして新聞で結果を知るくらいだがね」
横に腰かける線の細い青年に、老人は新聞を見せるようにしながら応える。青年は角ぶちの眼鏡をクイッと直して、新聞の文面を確認した。『BDBロイヤルリーグ クロヴェルBF快進撃! 今季勝率8割優勝候補か』という見出しが躍っている。
ちなみにBDBとはバトルドッヂボールの略称で、試合中の魔法行使が許された超次元ドッヂボールである。競技の歴史も古く、フェンヴェールでは最も盛り上がっているスポーツだ。クロヴェルBFは鉱山都市クロヴェルが擁するチームで、熱狂的なファンが多いものの成績はいつもイマイチ、という不思議な球団である。老人のひいきしているチームでもあった。
「みろ。今季はトビオ・ジョーガンジの調子がすこぶるいいんだ。これはもしかしたらもしかするかもしれんぞ」
「それはそれは」
老人はウキウキとした様子で記事を指さしていく。それにしては見当違いな記事を指し示しているように見えるが、青年は特に気に留めない様子でニコニコとそれを観察した。
「そういえば、最近はどうなんだ。仕事のほうは」
「そうですねぇ、順調ですよ。マースカルトさんがずいぶん張り切ってくれたので、納品は時期を早められるかもしれません」
「そうかそうか。マースカルトさんにはよろしく言っておいてくれ」
老人は新聞をめくる。『ティエス・イセカイジン中隊長 準々決勝突破!』という見出し。挿絵に描かれるティエスの表情はきりりと引き締まっており、どこへ出しても恥ずかしくないようなりっぱな陸軍士官に見えた。本人の人となりを知るものが見れば、失笑を禁じ得ないほど美化されている。いまごろエライゾ領の陸軍基地は爆笑の渦に巻き込まれているはずだ。彼女がいればひとしきりキレて暴れることだろう。遠くの森域にいてくれて助かった。
「彼女も随分頑張っているようだね」
「ですね。ほんとうに、期待以上の働きをしてくれますよ。先輩は」
老人の欣喜の声に、青年はしたり顔で頷いた。腕組みをしてうんうん頷くその姿を見て、老人はずいぶんおかしそうに笑う。
「だいぶ入れ込んでいるな。惚れた弱みかね?」
「まぁ……そうですね。そんなところです」
老人のからかうような視線をそらさずに受け止め、青年は照れ臭そうに頬を掻いた。
「先輩はなんというか、なんだかんだで信頼できる人ですからね。変人ですけど」
「ほっ、のろけおる。そこまでなら、いっそ娶ってしまえばいいのに」
老人にそう言われて、しかし青年はゆるゆると首を横に振った。
「先輩には、そんな気はないでしょうからね。そりゃ、こちらから迫ればなし崩し的にそういう関係にはなれるでしょうけど。あの人、あれでかなり押しに弱いので」
「随分殊勝なことだ」
「先輩には、まだまだ自由に動いててもらいたいんですよ。そちらのほうがいろいろ楽しいので」
老人は肩をすくめた。青年はすっかり枯れていると思っていたが、思いのほか水気が残っているようだったからだ。それに普段の青年はここまで饒舌ではないことを知っていたから、件の人物への入れ込みようも透けて見えるというものだ。
「それに、あの方の手前……ね」
「ああー、そうだった。その件があったか」
些か含みを持たせた青年の言に、老人はがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。よほど都合が悪い事柄なのだろう。老人は愚痴るように続けた。
「まったくあの方ときたら、先日も例の件についてお伝えしたら、自分も森域に乗り込むと躍起になられてな。なだめるのにひどく苦労したよ」
「あの方らしいといえば、らしいですね」
青年は小さな笑みで返す。件の人物とは、青年も個人的な親交があった。社会に出てからは顔を合わせる機会もなくなったが、どうやらあの頃のままであるらしい。老人は青年に尋ねた。
「彼女があの方に靡くことが、この先あると思うかね?」
「勢力的な意味でなら、大いに可能性はあります。ただ、恋愛的な方面となると……」
「うーむ、かなわぬ恋というのはつらいものだな」
「彼女、あれで変なところだけちゃんと常識ありますからね……」
厄介だなぁ、実に厄介だ。老人はそうぶつぶつとつぶやく。老人はすでに一線を退いていたが、その分こういう面倒くさい問題に無理やり首をねじ込まれることが多々あった。お労しや。青年は気苦労に苛まされる老人を眺めながら内心でねぎらいの言葉をかける。「明日は我が身」という物騒な言葉は、この際見て見ぬふりをした。
「ただ、彼女の上司はこれをうまく使いたいようですよ。三騎士に掛け合って今回の森域行きを調整したり、器の少年を彼女に預けてみたり、彼女の弟を身内に引き込んだり。まあ最後のはかなり偶発的な案件のようですけど」
「あまり大きな声で言える話はないなぁ」
老人は肩をすくめる。そういえば、先ほどまであれだけ姦しかった子供たちの声も、鳥の声も聞こえなくなっている。
「ともあれ、賽は投げられたということだな。役所のほうは何とか説得したが、高度制限だけには気を付けるようにな」
「ええ。わかりましたよ父さん。では、僕はこれで」
老人が新聞をたたんだ。青年が席を立つ。周囲の音が戻ってくる。
青年は老人にぺこりと軽く会釈をして、まぶしい日差しの中に溶けるように消えた。
「父か……そろそろわしも腹をくくらんとなぁ」
老人はぐ~っと大きく伸びをして、その反動でベンチから立ち上がる。四つ折りにした新聞を小脇にはさんで、頭に載せた帽子を直して、愛用のステッキをくるくると回してから、のどかな木漏れ日の道を歩きだした。
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