4-31 貴賓室にて
「ティエス卿……!」
思わず腰を浮かしかけた賢狼の姫、リリィ・ル・リンはしかし、かろうじてそれを耐えて豪奢な細工の施された椅子に座りなおした。突然の爆発によって生じたどよめきは、その直後に連続バック転で距離をとって見せたティエス機の華麗な機動によって大歓声に変わっている。リリィ姫もまた、それを見て小さく胸をなでおろした。
「ふん、なるほど。お前の雇った用心棒は、それなりに出来るらしいな」
不意に、横合いから声が降る。姫が複雑な視線を声のほうにむけると、そこには姫より二回りか大柄な賢狼人の男が、姫のものにくらべてさらに華美な装飾の椅子に座っている。頭に立派な冠を載せたその男は、目線を石舞台に固定したまま口の端を吊り上げた。
「ほう、みろ。あやつ魔法で機体の欠損を修復しおった。器用なことをするものよな。確かに強い。だが――」
「父上」
「そう浮足立つな。お前があれを連れまわしていることは方々よりしらせを受けておる。昨日はゴブリンの巣窟にまで足を延ばしたらしいな?」
「っ!」
「やめよ。おまえものちに一国を背負いたつ姫ならば、このようなことで心を乱すではない。いまはこの余興をせいぜい楽しむとしよう。我が娘よ」
賢狼王ウィドー・ル・リン・レイフィールは、それだけ言うと娘に対する興味を失ったようだった。言葉通り、今は石舞台の上で繰り広げられる
「父上、なぜなのです」
「ふむ? 私の考えはすでに伝えたはずだが。ああいや、お前を好きなようにさせていることか?」
「……」
ウィドー王は少しだけ考えるそぶりをしてから、ああ、と合点が言ったように手を打つ。リリィ姫は、隣の父にだけわかるくらいにうなづいた。王はあっけらかんと答えた。
「止められると思うなら、止めるがよい」
その父王の言葉は、リリィ姫にとってあまりにも予想づくなもので、そして忌々しい答えだった。王の側に控えていた武官筆頭のチャドラが小さく、少しばかり呆れたように息を吐くのが聞こえる。
「お前が手を回した程度でくじかれるようであれば、私の大望などはその程度のものであったということだ。野生の復権を標榜する身なればこそ、
「なぜそうも、そんな……それは、無責任ではないのですか」
「まさか。私は私の志のもとに集った者たちに対し、最大限の責任を負っているとも。ふん、そのように睨んだところで私はもう止まらんぞ」
ウィドー王は姫の威嚇めいた視線を鼻で笑う。
「さて、これ以上の問答は無用だろう。ここは人の耳もある故な、騒ぎを大きくするのは、私とて望むところではない」
言外に、これ以上しつこくすれば敵として処理する、という意をにじませて。父王がそれで今度こそ自分に一切の興味を失ったことを感じて、リリィ姫は臍を噛む。ここで父王を弑し奉ればすべてにケリが付くのなら、リリィ姫はきっと何の迷いもなく刃を抜いただろう。しかしそういう段階は、既に過ぎてしまっていた。
石舞台の上では、オーク軍閥の総長と自身の護衛騎士に任命した他国の騎士が鎬を削っていた。リリィ姫は祈る。勝ってティエス卿、あなただけが頼りです、と。
/// 一方そのころ ///
「ふむ、イセカイジン卿が圧されているようだね」
森域の各氏族長たちにあてがわれた椅子にくらべると、些か以上に格落ちする椅子に優雅に腰掛けたワリトー・ハラグロイゼは、給仕から受け取った森域特産の果実酒の注がれたグラスを弄びながら言った。本人に華があるからか、調度品の格差を埋めてなおあまりある気品ゆえか、周囲では最も貴人らしい。護衛として脇に控えるトマス・ロコモは、さすがはかの王宮でのし上がっていた人物なだけあると、ひとりでに納得してしまっていた。
「どう見る、ロコモ卿」
「またぞろいつもの慢心でしょう。中隊長殿はいささか、ご自身に自信がありすぎていらっしゃいますから」
「元上官としては思うところがある、と?」
ハラグロイゼが意地悪く聞くと、トマスは苦み薄く笑った。
「いえ。小官が中隊長殿の上にいた期間などあって無いようなもの。そのようなしがらみはありません」
「なるほど、結構なことだね」
ハラグロイゼはいつもの底の知れない顔で微笑む。トマスも苦笑してから、しかし、と続けた。
「今は圧されていますが、結局中隊長殿は勝ちましょうな。そういう人物です」
「ずいぶん信用されているようだ」
「小官も実力でこの位まで上り詰めた自負はありましたから。それをたやすく高く越えられてしまえば、ね。嫉妬より先に、自然に敬意が湧くというものでしょう」
「フフ。まったく罪だね。彼女に関わった者はすべからく彼女に魅せられている」
「あなたが仰いますか、ハラグロイゼ卿」
ハラグロイゼはトマスの返しに、本当に愉快そうに笑った。
「さて、信頼に応えてくれたまえよイセカイジン卿。この戦争、卿が頼りだ」
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