黒百合の窓

不可逆性FIG

Window With A Black Lily.

 静寂が包む真夜中、およそ一週間ぶりにヤツの隠れ家セーフハウスを訪れる俺。スペアキーで扉を開けると、ムンと今までにない強い芳香が溢れ出して充満していた。

「クサっ、なんだこの匂い!? いつものゴミ臭じゃないし……おーい、居るんだろ」

 俺は鼻を押さえながら、扉を数回叩く。部屋の奥は無言、ただし灯りが漏れている。暗い玄関には彼の靴が重なるように脱ぎ捨てられているが、生憎と数多のゴミが散乱する廊下を素足で歩きたくないので土足のまま侵入。一歩目を踏み出したところで、ぶじゅ……とコンビニ袋に包まれた何かを踏み潰し、心の底から革靴であることに感謝した次第である。

 地雷原を進むが如くの慎重さでフローリングの床とゴミの隙間を歩き、灯りの点いている部屋へとようやく到着。

「おい、居るなら返事くらいしろよ!」

「──酷いなぁ、いつからここはアメリカになったんだい? 掃除したばかりの床が汚れちゃうじゃないか」

「逆に俺の靴のほうが汚れたんだが!? さらに言うならいつもここを掃除してるのも俺だ! というか、教えてくれ、一週間でどうしてここまで汚せるんだ……」

 家主の彼はふぅと溜息をつき、読んでいた本のページを栞代わりに折り曲げ、笑顔で近くのソファーへ放り投げた。この動作がさらに俺を苛立たせる。モノに頓着しない性格をカンストさせると、こういうヤツに育つのだろう。

「うーん、僕は普通に生活してるだけなんだけどなぁ」

「社会不適合者が普通を語るな」

「その社会不適合者ぼくがいるから副業で儲かっているんだよねぇ?」

 彼はクククと愉快そうに笑い、おもむろに立ち上がって何故かふらふらと一回転をしていた。

 俺はそのイカレた彼の姿を見る。割と整った筋肉質な造形に、髪は紫がかったラベンダーアッシュに染められていて、しばらく散髪していないのか長くてボサボサ。しかしながら、それすら見ようによってはひとつの芸樹作品のようで気品すらある。ただし、その瞳の奥からドス黒く滲み出る美しく澄みきった冷たい殺人衝動の狂気さえなければの話だが。


「それで文句を言いに来たわけじゃないだろう? 次の玩具ターゲットは誰かな」

「詳細はここに」

 上着の内ポケットから紙を手渡す。 ──俺と彼は仕事仲間である。依頼人から仲介人幼なじみの俺へ、そして殺し屋の彼へと。その度にこうして、仕事の話と一緒に大掃除をしているというわけだ。

「ああ、それと……この部屋の強烈な匂いはなんだ!?」

「たぶん──黒百合かな。ほら、あそこの」

 彼の指のほうを見る。出窓の真ん中で黒紫色に咲き、喇叭らっぱの形をした花の鉢植えが無造作に置かれている。

 その花は……月明かりに照らされながら妖しい色香をまとわせて、そっと佇んでいた。その花は……苛ついていたはずの俺の視線をただひたすらに奪っていた。そしてその花は……およそ考えうる限りの芳しい香りからは、ほど遠いほどにクサかった。本当にクサい。とにかくクサかったのだ。

「なんでまた黒百合? とりあえずこの部屋クセーから、窓開けて換気するからな」

「ご自由にぃ」

 ひらひらと手を下に振る彼。

 窓という窓を開け放ち、埃の被った換気扇を回して、充満する匂いが落ち着くまでのしばらく経った頃。

 俺はそこかしこに散乱するゴミのような何かを一箇所に掻き集めて、なんとか人間が生活できそうな見た目まで戻すことが出来ていた。

「はあ、疲れた。まあ、とりあえずこんなモンか。というか、いい加減なんで急に変な花を置きだしたのか教えろって」

「んー、別に意味なんか無いけどね」

 彼はいつの間にか窓辺に佇み、黒百合の輪郭を下から上へ淫らな手つきで静かに撫でている。クスクスと嗤っているが、何を想像しているのか考えたくもない。俺はキッチンの戸棚から未開封のゴミ袋を取り出し、まとめたゴミを袋に押し込んでいる間、頼んでもないのに何か独り言を零し出し始めた。

「でも、黒百合ってこうして育ててみると面白いよね。なんだかちょっとワクワクする香りするし、あんまり世話しなくてもいいみたいだし、なにより見た目が不気味で可愛いしさぁ」

「訊いてることをはぐらかすなよ」

「せっかちだなあ、まあいいけど。 ──この花は貰ったのさ。ある人から譲り受けたんだ。歪んだ貴方にピッタリよ、って素敵な老婦人にね。いつもみたいにたくさん遊んであげようと思ったのに、全然反抗してくれなくてちょっと退屈だったけど……。最後まで全然壊れなかったから、いつもより早めにしさぁ」

「それ譲り受けたっていうか、勝手に盗んできたの間違いだろ」

 ひたすらゴミを捨てながら、俺は盛大な溜息を吐いてしまう。彼にはこういう危ういクセがあるのだ。悪癖と呼ぶべき、直接の痕跡にはなり得ない程度のものを盗ってきてしまうという手癖の悪さが。

「まったく人聞きが悪いんだから。ただ枯れるのを待つだけの庭から救い出してあげたのにさ」

「エゴイストっぷりがとんでもねーな」

「変なこと言うね、キミ。人間はみんなエゴイストだよぉ?」


 月夜を背景に黒百合の花弁を愛でる殺人鬼。

 彼は恐ろしいほど狂っているが故に、美しかった。まるで汚物を思わせる悪臭をワクワクすると言って、身を震わせ昂っているあたりも異常者だし、きっと呪詛を撒き散らしながら死に絶えていった老いた女の恨みも彼には少しも響いてないし、嬉々として愛でられていては『呪い』という花言葉を遺した不吉な黒花も毒気が抜けてしまうというものだ。

 まあ、俺には彼が飽きて黒百合を枯らすまでは悪臭が溜まるからこの部屋を密室にするな、と耳にタコができるほど言い聞かせることしかできないがな。 ──まったく、旧知の仲とはいえ性格破綻者の世話も疲れるってもんだ。

 ちなみに後から知ったことだが、あのとき投げ捨てた読みかけの本も黒百合の鉢と共に拝借してきたらしい。マジでFUCK YOUだよ、あのバカ野郎……。


〈了〉

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