首狩り首切り日曜日

 彼女は両性具有である。

 一瞬だけ本当に信じそうになってしまった私は、目の前に転がる火山弾と同じような表情で思考を巡らせた。脳髄にパルスが流れる頃にようやく、その言葉の矛盾点に気付く。

 彼女、なんだから女性なのだろう?

 私の話し相手は、私の中に居座っている。ひどくもどかしげに現実と虚構の境界に首をもたげ、潜望鏡みたいにこちらを向いた。薄笑いを浮かべているのに、その瞳だけがひどく冷たそうだった。冷気に当てられた睫毛が凍っている。さすが私の話し相手だ、と私は私の話し相手に対して絶対に口に出さないことを思う。

 両性具有であるが彼女である。

 不思議なことを言う私の話し相手もいたものである。とはいえ私はそもそも両性具有の人間に詳しくないので何とも言えない。それは例えば、生物学的には雌雄の判別がつかないが、社会的には女性として生きているというような意味なのであろうか。

 私はそう尋ねてみた。

 そうである。非常にわかりやすい構図と思うがどうであるか。

 私は別に私の話し相手にけちをつける気などさらさらないし、ジェンダー論を熱く語り合う気だってない。私の話し相手がそう言うのならば、きっとそうなのだろうとそれだけを思って納得する。私の話し相手が間違った言説をひけらかしたことはこれまで一度もない。勿論それは、私が本当のことを話したことが一度もない、というのと同じくらいの信憑性しかないのであるが、どうせ八割方このまま死ぬことになるだろう現状で、そんなこと歯牙にもかける必要はない。とにかく話を進めなければならない。溶岩流はどこかその辺まで迫っているし、運悪く火山弾に頭を打ち抜かれたらその瞬間にお陀仏だ。

 彼女は両性具有である。

 私の話し相手は、虚構の水面に浮かび、現実の空気を呼吸して、もう一度同じことを繰り返した。もどかしい。久しぶりに出てきたと思ったらこの調子で、果たしてこの私の話し相手が本当に私とまともに話をする気があるのか、実に疑わしい。情報伝達というものは、自らの伝えたい情報をいかに正確にいかに迅速に相手に伝えることが可能か、それが肝である。私の話し相手は、その会話の中で肝を自ら潰しているようなものだ。諺の字義には添わないけれども。とはいえ私には時間もない。無駄な思考に拘泥する前に、薬物のような甘い言説に惹かれ落ちることにしよう。

 彼女は両性具有であり、二人の夫を持つ。

 ぐうの音も出ない。茶々を入れたい欲求と話の先を聞きたい欲求が革命的なバランスで鬩ぎあっている。両者拮抗しており、攻防は一昼夜に渡って続く可能性さえある。疑問は尽きないが、それを飲み込まざるを得ないか。私の話し相手は、私の思うよりもずっと独善的で自尊心が強く、自分の前に立ちはだかる者ならば女子供とて容赦などしないし、火山灰の舞う明け方の空気を大きく吸い込んだって咳一つしない。そこらにいる者たちとはレベルが違う。根本的に全てが異なっている。ならば、ここは待ちの一手しかない。私が私の話し相手の上を行くためには、妥協か我慢か、そういった極めて残念な諦めを泣く泣く飲まねばならぬはずだ。煮え湯を飲むよりはましである。口を閉ざして次の言葉を待とうではないか。

 彼女は両性具有であり、二人ないし三人の夫を持つ。

 噛み締めた歯の間からきりきりと音がする。言説に変化が生じた。果たして私の話し相手が虚構の中から釣り上げた物語は一体何だというのか。水揚げすることすら叶わず、再び水底に淀ませることになるのだろうか。これだけは間違いない。質問するならばまさしく今だ。疑念が凝り固まったまま自分の中できざはしを形作る前に、言葉の鎚で粉々に粉砕しておかねばならない。あるいは、その振り上げた鎚が、私の囚われている常識という枠組みの方を破壊する結果に終わるかもしれないが、どちらにしろ、時期が早ければ早いほど被害は少ない。ただでさえ一度好機を逸しているのだから、時間はない。火山弾が私の真横にめり込んだ。こちらの方も時間がない。相反する事柄に挟まれているのに、まるで一つの問題に集約されてしまう。お定まりのジレンマには、必ず前提条件が存在するものだ。ヤマアラシに棘がなかったら、寄り添って温もりを得ることに迷いはなかろう。

 彼女は両性具有であり、二人ないし三人の夫を持つが、夫の一人も両性具有である。

 体の中で内臓が捩れたのかと思った。体内から違和感と異物感がせり上がり、心臓の真横で渦を巻いて留まっている。一体、何だというのか。苛立ちという一言に集約することすら腹立たしいほどの、圧倒的な不快。だがしかし、私は私の話し相手の話を決して不快だなどと思っているのではなく、むしろ続きが知りたくて知りたくて仕方がないのである。私の肉体が骸に変わる前に、私の話し相手から全てを聞き出したいと本当に思っているのである。にもかかわらず、私は私の中の乱暴な何かに完全に支配されて、物語から目を背けてしまっているではないか。立ち向かう気もないのに赤布を持たされた闘牛士のように、無様な体たらくをのうのうと晒してしまっている。話は非常に単純ではないか。私の理解の範疇にある言葉だけで構成される、小気味良い物語。私の話し相手は相変わらず、私の中の虚構に浮かびながら、境界面で溶け消えて行く火山灰を戯れにかき回している。ゆらり、どろりとタールのように、凝った重たい波が水面を走っていく。とぷん、とどこかで水音が聞こえた。溶岩流に飲み込まれたブナの倒れる音がそれに重なって和音を作る。不協和の中で、私は今ここに確かに立っている。

 彼女は両性具有であり、二人ないし三人の夫を持つが、夫の一人も両性具有であり、その夫には三人の愛人がいる。

 私は問うてみる。ついに根負けしたのだ。自分の中だけで思案を巡らせていても、結果的に私の話し相手は口を閉ざしている。私の話し相手は私の中に居るのであるからそれは当然で、ならばいっそ、口に出してみても同じであろうと、論理的にも瑕疵のない結論を導き出したからでもある。本当は私が無我の境地にでも到達し、空白の意識の中で私の話し相手と会話すれば良いのであろうが、凡庸な人間の一人である私にとってそれは、全く不可能なことと言って支障ない。私を形作るのは私の意識であり、意識を空にすれば私はそもそも私ではなくなってしまう。床に就く際に、このまま目覚めなかったらどうすればよいのか、と突然の恐怖に襲われた経験が、私は格段に多いのであるが、今日のこの日まで無事、朝が来る度に二つの眼で朝の太陽を捉えることが出来た。それは私にとって、奇跡にも近い幸運であるのだ。故に、自ら好き好んで意識をなくすなど言語道断。間もなく迎えるであろう、自身の死という一生に一度の大事の時まで、私は私を保ち続ける所存である。それは半ば意地に近く、このように、自閉的な論理の連鎖を循環するだけの鬱陶しい悪癖を引っ張り出す原因だとしても後悔はない。

 この話に、性別は大きく関わってくるのか。

 私には時折、自分の立っているその足場が、果たして本当に磐石なものであるのかどうか、酷く疑わしくなる瞬間がある。自分の感覚は自分だけのものであり、靴裏で踏みしめているつもりの大地など、端から存在してなどいなくて、幻の中でたった一人もがいているだけなのではないか、と。そんな風な夢想をする。私は、基盤を崩されることを何よりも厭う。世界の真中にいながら、突然虚の中に放り込まれるような、全ての支えを一時に失う瞬間が耐えがたいのである。だから私は、私の話し相手が何を伝えようとしているかに関わらず、文脈的に見ておそらくその基盤をなしているであろう設定について、確認を試みたのだ。臆病者である以上に私は慎重でもあった。そう思いたい。

 否。関連性は皆無である。

 ぬるり、と妙な感触を覚えて右腕を見た。灰まみれの現実の腕に、虚構から這い出て来た闇色の蛇が絡み付いている。蛇は鎌首をもたげ、真っ赤な眼と真っ赤な舌で私を威嚇し、ずるずると長い体を引きずりながら這い登って来た。その眼は、どことなく私の話し相手に似ていたが、私の話し相手は境界面からこちらに、顔以外出すことはない。私は左腕を使って蛇を摘み上げた。が、そうしたつもりが失敗し、虚構の左腕で結局は灰を撫で落とすに留まった。錯乱している。錯乱していることを自覚している。私は根本を失いつつある。虚空に落ちていく浮遊感に、蛇の不快な滑りが交じり合い、私を包み込む世界は溶岩と灰の中に消えた。朦朧とした意識で、確固たる自己を認識しながら、私は必死で自我を奪回する。このままでは危うい。

 私を、嵌めたのか。

 私の話し相手は言った。彼女は両性具有であると。そして続けた。その夫は二人ないし三人であり、その内の一人が両性具有であると。さらに告げた。その夫には愛人が三人いると。性別が全く関係がないのであれば、この文脈の意味合いは大きく変わってくる。両性具有など関係ないし、夫と妻と愛人という言葉も、要は恋愛関係にある者の内、社会的基盤のある方とない方、くらいの意味しか持たないということである。私の話し相手から仄めかされたもの、つまり、私の中でこの先期待していたものと、その内容は致命的なまでにかけ離れている。話は展開しない。私は。私は、このままでは。ぐらついている。私の足場はぐらついている。山が揺れているのか。闇が揺れているのか。粘り気のある境界面は、小刻みにただ振動を伝えている。水と油のように、普段は分離していても強く振り乱せば現実と虚構は交じり合うのではないか。今の、私のように。否、まだ、私は私を維持している。そう信じている。そう感じている。蛇は首にまで絡み付いている。恐怖が毛細血管を強く刺激する。死への恐怖では、ない。私の話し相手が、とぷん、と水面下に沈んだ。返答のないまま、私の手の届かない所へと逃げ込んだ。

 馬鹿な。

 呼べども叫べども返事は無い。如何ともし難い。

 裏切りの本質はこんなにも身近に転がっていた。誰一人として予想出来ない角度から襲い掛かってきた。晴天どころか屋内の霹靂を思わせる災厄。尤も、突然の火山弾の飛来と比べて五十歩百歩だと言えるやもしれないが。

 ……決めた。次に帰って来た時は遠慮しない。この左拳を思い切って私の話し相手の顔面に叩き込む。右頬に全力で叩きつけるつもりだ。そのためにまず、私の両掌に癒合してしまっている巨大な戦斧の柄を削ぎ落とすことを始めよう。熱で溶け崩れた拳は、爛れた痛みで私を突き破ろうとしている。私は負けない。灼熱には既に慣れた。虚構の淀みは私という枠組みに鎖されて黙っている。

 両の腕を頭上に翳し、ただ解放の瞬間を待つ。


 私の話し相手はおそらく、もう二度と私の前には現れない。私の話し相手は私と話をする必要性を一切持たないからだ。

 私には二人、ないし三人の伴侶がおり、その伴侶の一人には三人の愛人がいた。ただし今は、塩野義を除けばその中の誰一人として生きてはいない。

 きっと私が殺したのだ。きっとこの斧で。

 火山弾より必然的な一撃で。

 憎悪に滾る一撃で。

 きっと。


 あの健やかに晴れ渡った日曜日の太陽の下。


(了)

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