想い出の一杯

紫陽花の花びら

第1話

「ああ~コーヒー飲みたいなあ……ねぇ、旦那様は?」

聞こえないふりをしている?

「美味しいコーヒー飲みたい!」

「僕も飲みたいなあ……みっちゃんのが~」

光子は仕方なく立ちあがると、旦那の髪の毛をくしゃくしゃにして部屋を出た。


 暫くするとコーヒーの良い香りがしてきた。

うん? 甘めの豆だ、これを使うときは決まってあれだ。


「奏~奏さん~来て!」

「はいはい!」


準備は整っていた。

「タッチ交替ね」


ふたりはゆっくり味わう。

想い出のカフェロワイヤル。


「光子……おいで」


「奏……」

 

寝室の扉が静かに閉まった。



********


 光子は残業を終え帰りにアルコールを入れて帰ろうと、行きつけのカフェに寄った。

夜はカクテルも出すこの店は、三十路後半の女がひとりで入っても、物欲しそうには見えないのが嬉しい。

それにマスターが好みだ。

他愛もない話しを聞いてくれるのも、気持が何となく華やぐのである。

 店に入ろうと扉を開けると、マスターが中から出てくるところだった。

「今晩は」

「いらっしゃい。今日は残業?」

「ええ……何かとやらされるのがこのお年頃で。まあ、急いで帰る理由もないしって、えっと、もう閉店時間でしたっけ?」


 マスターは店の立て看板を引っ込めながら、

「あれ~知らなかったかな? 月1第三金曜は早仕舞いなんだ」

「そっか~知らなかったです……残念」

 マスターは咄嗟に、

「あっ!良いよ。別に出かけるわけでもないし入って!」


「本当? 本当に良いんですか?なんだか悪いみたい」

「駄目なら誘わないから、気にしないでね」

光子はマスターの「誘う」の言葉に反応してしまった。

いやぁ、そんな自分が恥ずかしくて、今更だが頰が熱くなるのを感じていた。

光子はマスターにその事が気付かれないように、俯きながら店に入った。

「何飲む?」

「う~ん マスターは?」

「今は営業時間外だからさ。名前聞いてもいいかな? 僕は笹山奏(かなで)取り敢えずよろしく」


「えっ、あっ私は小山光子です。よろしくお願いします」


「光子さんかぁ」 


「平凡でしょう? かなでって、とても素敵ですね」


「ありがとう! でもね、大概の人は女の子と間違がえてさ。全く面倒くさい名前をつけたもんだよ」


「それは贅沢な悩みですよ!」


「そうかなぁ、そうは思えないけどねぇ。 でさ、実は今ね、コーヒー入れよと思っていたんだけど。どう? 飲む?」


一瞬コーヒー?とは思ったが、


「頂きます。何系?」

「うん?まあ敢えて言うならナポレオン系だね」


ナポレオン系?聞いたこと無い。

マスターは本職なんだから、教えを請えば良いだけだ。


「ナポレオン系なんて……どんな味が為るんですか?」


奏はクククと笑いだした。


「光子さんは、カフェロワイヤルって知ってる?」


「カフェロワイヤル? 知らない。凄いコーヒーが出てきそうですね」


奏はまた笑いだした。 


「凄いよ~さあコーヒーも落ちたし、 後は角砂糖にブランデーとライターと、ロワイヤルスプーン。カップで準備完了!」


奏は店の照明を暗めにした。


「カフェロワイヤルはね、ナポレオンが愛した飲み方なんだって。「王家とか、貴族とかの飲み物」って言われていてたらしいんだ。。確かにブランデーなんてその頃は、庶民には手が届かなかったからさ。角砂糖にブランデーを染みこませせるなんて贅沢でしょ。

そして染みこんだ砂糖に火を付けるんだよ。そうすると青白い炎が砂糖を溶かしていく。なかなかセクシーなんだよ。その光景」


そう言い終わると、奏は作り始めた。


ブランデーの香りが甘く優しい。

青白く綺麗な炎に目を奪われた。


角砂糖が溶けていく……

そしてコーヒーと交わる。


セクシーの意味が理解できた。


熱に浮かされ溶かされていく。

ひとつになる心地よさが脳を犯していく。

カップ一杯のコーヒーがこれほど

魅せてくれるとは。

美味しい!普段お砂糖なんて入れないのに、この甘さとブランデーの香りが癖になりそう。


「美味しい!物凄く!美味しい」

「よかった! 気に入って貰えて

嬉しい」


光子は満足していた。


ふたりだけの豊潤な時を刻めたことに。


「奏さんありがとう! 今日は楽しかったです また来ますね」


奏は笑顔で、

「待ってるよ。お客様として……ではないみっちゃんを」


「あら?そんなこと言って良いのかしら?」



そしてふたりは……










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想い出の一杯 紫陽花の花びら @hina311311

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