第39話 婚約破棄の末に

「ルフィナ・マクギニス。婚約を破棄させてほしい」


 ダンスホールの一番映える場所。階段の近くに陣取ったローマン・シュッセル公子が、高らかに宣言をした。

 彼の傍らには、薄茶色の髪をした可愛らしい女性の姿が見える。金色の目が私を捉えると、彼女はそっと笑いかけた。


 私は一度目を閉じて、気持ちを落ち着かせる。


「そうですか。破棄するのは構いませんわ。けれど、一応理由を尋ねてもよろしいですか?」

「見て分からないのか。他に愛する人ができたからだ」


 その言葉に、周りがざわめく。シュッセル公子はその意味を、私の中傷だと捉えているようだ。

 小馬鹿にするような表情が何よりの証。だからこそ私は、お返しとばかりに言い返した。


「そうでしたか。で、その相手はどちらに?」


 わざと分かるように、シュッセル公子の隣に手を差し出した。皆の視線が集まる。その中には勿論、シュッセル公子も。

 最初は「こんなことも分からないとは」と呆れ顔をしていたが――……。


「何? さっきまでここにいたはずだが……」

「見当たりませんわね」


 さっき目が合ったことなど、まるで知らないとばかりに、私は顔を左右に振った。その視界の端に、驚きから怒りへ、さらにわなわなするシュッセル公子の姿が垣間見える。

 それがあまりにも滑稽だったのか、後ろからクスクスと笑い声が聞こえてきた。


 普段の行いが行いだけに、シュッセル公子に味方する者は少ない。が、別に私の味方をしてくれているわけではないのだ。

 私はさらに、手を額の高さまで上げて大袈裟に振る舞った。


「どちらに行かれたのでしょうか」

「恥ずかしくなって、逃げてしまったのではないですか? こんな公衆の面前で婚約破棄を言い渡すなんて、信じられませんもの」


 すると、後ろからクラリッサが口元に手を添えながらやってきた。

 オレンジ色の髪を綺麗に結い上げ、ドレスと同じ黄緑色の髪飾りを身につけている。折角のデビュタントだというのに、少し地味になってしまったのは、残念で仕方がない。


 何せ今夜は、シュッセル公子が仕掛けてくると予測していたからだ。

 故に私は潔白を証明する白いドレス。髪飾りも白い花にした。けれど、私は弱さを見せたくない。

 むしろ強気にみせるために、今夜は肩をむき出しにしたAラインのドレスを選んだ。少しだけ悪女っぽく見えるように。


「そのようなことをする人物に、まさか婚約者がいるなんて、夢にも思わなかったのでは? だから驚いて……」


 私の腕にすり寄りながら、クラリッサは尚も追撃する。まるで、婚約する相手がいないほど酷い男だと思われていたんですよ、と暗に言ってみせたのだ。


「なっ、お前たちが怖くて、逃げ出したんだ。そうに違いない!」

「まぁ、私たちのせいにするなんて、失礼極まりないわ!」


 クラリッサがシュッセル公子を睨んだ。


 こらこら。これではどちらが悪女か分からないでしょう。それに、デビュタントで悪印象を与えるのはよくないわ。


「失礼なのはお前たちだろう。財政難に陥って、我がシュッセル公爵家に泣きついてきたのだからな。よもや忘れたわけではないだろう。全く、婚約してやったというのに」

「えぇ、それに関しては、とても感謝しています」


 シュッセル公子の言葉に周りがざわめかないのは、すでに噂がそこまで知れ渡った証拠だろう。ならば私も次の手を使おうとした瞬間、またしてもクラリッサが前に出た。


「お姉様! もうよろしいでしょう。さっさと言って帰りましょうよ」

「そうね。私も早くこんな茶番、終わらせたいわ」

「な、何を言っているんだ」


 シュッセル公子が一歩、後退る。


「ローマン様のお相手、いえ浮気相手ですね。名はエスタ・デルリオという男爵令嬢――……」

「なぜ、エスタの名前を知っている!?」

「最後までお姉様の言葉を聞きなさい! このむぐぐぐ」


 このバカ! と言おうとしたクラリッサの口を塞いだ。

 いくらなんでも、公衆の面前でクラリッサまでも醜態を晒すことはないのよ。


 不満そうな顔を向けるクラリッサに、私は微笑んだ。


「妹が失礼いたしました。エスタ嬢の名を知っているのは、私がローマン様の婚約者だからです。親切に教えて下さる方が、山ほどいらっしゃるんですよ。皆さん、そういうお話が好きですから」


 というのは冗談で。だが、私とシュッセル公子の婚約は、数多くの人間の関心を生んだらしい。王城から帰ってくる度に、お母様が愚痴っていたほどだ。


「その方たちの話によると、彼女に会ったことがある者はいるんですが、デルリオ男爵家を知っている者がいないらしいんです。ローマン様はご存知でしたか?」

「何っ!」

「つまり、デルリオ男爵家なんて、ないって言っているのよ!」


 私の手から逃れたクラリッサが、トドメとばかりに言い放つ。


 折角オブラートに包んで説明して差し上げようとしたのに。せっかちさんね。まぁ、そこも可愛いのだけれど。


「じゃ、エスタは貴族ではないのか」

「正確には、人でもありません」

「何だと!」


 シュッセル公子が驚く度に発する言葉が、すべて同じように聞こえるのは気のせいかしら。きっと語彙力がないのね。しょうがないわ、相手はあのシュッセル公子なのだから。


 溜め息を吐いていると、私の代わりにクラリッサが口を開いた。


「あんた、一カ月前に、猫を蹴って死なせたでしょう」

「あぁ、アレか。そうさ、腹いせに、な。そもそも先に邪魔をしたのは猫の方だ。何もかも上手くいっていたっていうのに。仕返しをして何が悪い!」

「っ!」

「言質は取った。捕まえろ」


 その声と共に、肩にふわりと上着をかけられた。驚いている間に、私の横を通り過ぎて行く騎士たち。

 白を基調とした騎士服は、近衛騎士団の証。まさかと思い、でもそうだと確信を持ちながら、私は呼んだ。


「カーティス様……」

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