第37話 忠犬の決意(カーティス視点)

 こちらを振り返ることもなく、去っていく後ろ姿を見ながら、俺は呟いた。


「ルフィナ……」


 嬢、と。それすらも取って呼べると思っていた。


『グルーバー侯爵様』


 しかし、振り出しよりも、さらに遠くなってしまった。それがこんなにも辛いことだったとはな。


 あの流れる水色の髪が、まるで別れを告げるように左右に揺れている。けれど、目が離せなかった。

 仮面舞踏会の時の彼女が脳裏に浮かび、右手を握りしめる。


 手に入れたと思った。

 馬車の中で、手の甲にしたキスを、ルフィナ嬢は嫌がるどころか、顔を真っ赤にしていた。去り際にした額へのキスにさえも、驚いてはいたが罵倒や拒否する態度もなかった。


『私は……そこまで誰かに好意を抱いたことがないので……』


 その言葉通り、俺の好意に戸惑いつつも、ゆっくりと受け入れてくれるのが心地よかった。

 ルフィナ嬢のペースに合わせながら、いずれ婚約を申し込もうと思っていたのに……。


「あんな奴に取られるとは……」


 俺はきびすを返し、あるところに向かうことにした。勿論、あの男が言う場所ではない。



 ***



「随分と遅かったですね、グルーバー侯爵様」


 ルフィナ嬢と同じ水色の髪を高く結い上げ、透明なレンズの向こうに見える緑色の瞳で俺を見る。そこから見える感情は、呆れだろうか。

 マクギニス伯爵は、執務机に両肘をついて腕組みをしていた。


「ということは、俺が何をしに来たのか分かっている、ということで合っているんだな」

「勿論です。ルフィナが婚約してから、数多くの王党派、貴族派。さらには中立派の貴族にまで、声をかけられたと言うのに、当のグルーバー侯爵様がいらっしゃらない。もう娘のことは諦めたのかと思いましたよ」

「諦めてほしかったから、このような手を?」


 会うのは仮面舞踏会の時以来だが、何か気に障ることでもしたのだろうか。あの時は、俺の味方をしてくれたように感じたのだが……。


「いいえ」

「しかし、財政難からシュッセル公爵家に援助を申し込み、その担保としてルフィナ嬢をシュッセル公子と婚約させた、と噂になっている。金に困っているのであれば、何もシュッセル公爵家でなくとも他にいるだろう」

「ご自身に相談がなかったから、私を叱りに来たのですか?」

「そうは言っていない」


 いや、マクギニス伯爵からすれば、そう感じるのかもしれない。

 金額がどれくらいなのかは分からないが、仮に相談してくれれば、資金調達をしてまでも力になっただろう。


 マクギニス伯爵から言えなくとも、ルフィナ嬢を通して言うことは可能だ。それくらいの関係になっていたと自負している。


「ただ、何故シュッセル公爵家なのか、知りたいだけだ」

「……ふむ。グルーバー侯爵様は我が家の家業はご存知ですよね」

「あぁ。この間の件で少しだけ、踏み込んだ話をルフィナ嬢から聞いた。人ばかりか、猫たちの依頼も受けると」


 そう言うと、マクギニス伯爵は珍しく微笑んだ。普段は無表情なだけに驚かざるを得ない。いや、やはり親子だからなのか、どことなくルフィナ嬢に似ていたことに驚いたのだ。


「そこまで分かっているのであれば、ルフィナの不可解な行為は理解できるのではありませんか?」

「っ! まさか、これも依頼だと言うのか!?」


 それならば理解できる。猫のためならば、令嬢が立ち入らない場所までも入っていく。そうルフィナ嬢は言っていた。


「……私たちは、いくら好きな人がいたとしても、猫たちを優先するのです。半身ともいえる猫が求めれば、特に。ですから、グルーバー侯爵様には分かっていただきたい」


 マクギニス伯爵は椅子から立ち上がった。


「ルフィナを選ぶということの意味を。猫と自身を天秤にかけられた時、猫を選んでも叱咤しないこと。それだけは約束してもらわなければ、いくらグルーバー侯爵様といえど、私は許可しない」

「約束しよう。今回の件が、猫からの依頼であれば、俺はもう何も言わない。ルフィナ嬢の意思を尊重する」


 シュッセル公子と共にいた時のルフィナ嬢は、明らかに好意はないように見えた。これが噂のみで判断していたら、今のような回答ができたかは、分からない。

 あの時、俺に助けを求めるように伸ばされた手を見ていなければ……。


「ありがとうございます。これで夫も喜んでくれるでしょう」

「……確か、二年前に亡くなっているんだったか」

「はい。夫はルフィナをとても可愛がっていましたので」


 それは当然かもしれないな。ルフィナ嬢は、マクギニス伯爵によく似ている。俺もまた、ルフィナ嬢に似た娘が生まれたら、恐らくは……。いやいや何を……。


 頭を下げるマクギニス伯爵に見送られながら、俺は執務室を後にした。



 ***



 その翌日、いつものように首都を巡回している時だった。アレを見たのは……。


 青いウェーブの髪。その男に寄り添う薄茶色の髪の女性。どこにでもいる、ありふれたカップルだ。気に留める必要はない。のだが、見知った男のようにも感じた。


 いや、いくらシュッセル公子に似ているからといって、目の敵にする必要はない。それに一緒にいるのはルフィナ嬢でもないのだ。

 人違い。そう、人違いに決まっている。


「わぁ~。さすがですね。今度はどんなものを見せてくれるんですか?」

「そうだな。ここの通りになかなかいい店があるんだ。そこら辺の者共は予約が必要だが、俺には関係ない」

「まぁ、素敵~!」


 明らかに営業としか思えない女性の振る舞いと言動だったが、シュッセル公子は意にも介さなかった。


 ルフィナ嬢。これもまた、依頼の一種なのか。その答えを知ったのは、一週間後のことだった。

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