第32話 王女の思惑(2)

「マクギニス嬢ならきっと、荷物の搬入を猫たちに確認させていると思ったんです。騎士団長様が乗り込んでくるにしても、必ずオークションが開催されることが分かっていなければなりませんから」

「でも、それくらいなら猫でなくてもできます」

「我々には猫が必要だったんですよ。好奇心旺盛な猫が一匹でもいい。中に入ってくれさえすれば、それだけで」

「何を、させる気だったの?」


 猫は自由気ままに行動する。それが相手の思惑通りに動いた、だなんて分かっただけでも腹立たしい!


 私の怒りに満ちた殺意に、ノハンダ伯爵が怯んだ。


「ちょ、帳簿を発見していただきたかったのですよ。あとは猫に気がついた殿下が、倉庫まで追いかけて……」

「まさか凶暴な獣に!?」


 けれど、茶トラには切り裂かれたような傷はない。もしあったとしたら、包帯を巻かれていただろう。それがない、ということは……シュッセル公子に!


「いいえ。そうじゃないのよ、マクギニス嬢。檻の中で泣いていた女の子に、猫が近づいたの。まるで慰めるように鳴いていたからか、近くにいた男の子が癪に障ったのね。猫を捕まえて床に……」


 叩きつけた、というの! なんて酷い!


 私はまるで自分がそうされたかのようにうずくまった。痛い、許さない、辛い、悲しい。どうしたらいいのか分からない感情が、涙と一緒に止めどなく流れた。


「ルフィナ嬢」


 カーティス様が優しく肩に触れた。けれど、私は顔を上げることができなかった。その男の子が憎くて憎くて堪らなかったからだ。


「ふぅ~。やっぱり様子を見に来て良かった」

「マクギニス伯爵」

「おかあ……さま?」


 休憩室の入口を見ると、眼鏡に手をかけたお母様が立っていた。


「今回の依頼、引き受けさせるかどうか、悩んだのはグルーバー侯爵様だからではないのです。このように娘はまだ、己の感情を制御できない。それはつまり、娘に憑いている猫も同様。地下で騒ぎを起こしている猫たちには、私から引き揚げるように言っておきましたので、ご安心ください。ノハンダ伯爵」

「それは有り難い。どうにかしてもらおうと、殿下と来たのですが、マクギニス嬢がこの様子では……」

「今回は私の判断ミスだ。想定内の事態だったとはいえ、申し訳ない」


 ノハンダ伯爵はお母様に一礼をすると、休憩室から出て行った。


「マクギニス伯爵。どうか、ルフィナ嬢を責めないであげて。これは私がお兄様に頼んだことでもあったから」

「ヴェルナー殿下から、事の詳細は聞きました。同じ女として、ドリス王女様のお気持ちも分かります。さらに娘のことまで考えていただいたことも。けれど、このような事態になったこととは無関係ですので」


 言い終えると、お母様はドリス王女に挨拶をした。までは良かった。こちらを向いた瞬間、「ひっ!」と声が出るほど、お母様の顔は般若と化していた。


 ずかずかと向かって来るお母様。逃げたくても、動くことはおろか、立ち上がることもできない。震える私の肩を、カーティス様が抱き寄せた。


「これは俺の失態でもある。ルフィナ嬢は――……」

「我が家のことには口を出さないでいただけますか、グルーバー侯爵様。娘を大事に想ってくれるのは有り難いのですが。それならばむしろ、私を敵に回すべきではありません。違いますか?」

「いや、大事だからこそ、ルフィナ嬢の側に立つべきではないのか?」


 何故だろう。二人の間に、火花が散っているかのようだった。

 すでに蛇に睨まれた蛙状態の私は、その様子を見守ることしか出来ず、オロオロするだけ。すると頭上から、救世主が現れた。


「ルフィナ~」

「ピナ!」


 この時、どんなにピナの存在が有り難かったか、言うに及ばず。ドリス王女がいるのにも関わらず、私は大声で呼んだ。


「ごめんよ~。こいつはさ~。悲しんでいる子を見ると、我慢できない奴なんだ~。だから、止められなくて~」

「そう、なんだ。優しい子なのね」

「うん~。でね、その子がずっと謝っていたよ~。だからルフィナも、これ以上は悲しまないで~」

「でも……」

「大丈夫だよ~。ちゃんと仕返ししておいたから~」


 そういえば、猫たちが地下で騒ぎを起こしているって、お母様が言っていたような……。


「ルフィナ」

「はいっ!」


 突然、お母様に呼ばれ、私は条件反射で立ち上がった。

 恐らく、ピナが傍にいたからだろう。先ほど動けなかったのが、嘘のようだった。が、やはり気のせいではなかったらしい。

 私はバランスを崩して後ろへ倒れそうになった。その瞬間、前にいたはずのカーティス様に背中を支えられた。


 え? 距離があったのに。


「……ありがとうございます」

「いや、間に合って良かった」


 それ自体が凄いことなのに、何でもないように振る舞うカーティス様。


「ふむ。ちょうどいい。グルーバー侯爵様。このままルフィナを馬車まで運んでもらえませんか?」

「お、お母様!?」


 何を! というか、さっきまでバチバチやっていたんじゃないんですか!?


「足をふらふらさせて、茶トラを落としでもしたらどうする!」

「それは分かりますが、まだやることがあるのではないですか? それなのに帰るなんて……」

「何のために私が来たと思っている。地下にいる猫や邸宅の周りにいる猫たち。それらの連絡や誘導は、私がやっておく。ルフィナが今、しなければならないのは、茶トラの面倒だ。違うか?」

「いいえ。合っています」


 本来なら犠牲にならずに済んだ命。早くとむらってあげたかった。とはいえ、カーティス様に運んでもらえ、というのは支えてもらうのとはわけが違う。

 まさか、と思うけど。お母様はそういう意味で?


 そっとカーティス様を見た瞬間、私の体はいとも簡単に浮いた。慌てて茶トラを抱きしめる。


「あ、危ないじゃないですか!」

「マクギニス伯爵の許可も出たんだ。そんなに驚くことはないだろう」

「私は許可していません!」


 バッサリと言い捨てた私を見て、お母様は哀れむような視線を送った。


「こんな娘の何が良いのか分からないが、馬車まではよろしく頼みますよ」


 勿論、カーティス様に向けて。

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