第16話 仲直りのお迎え

 お母様の執務室を出た後、私はシーラをともなってクラリッサの部屋へ向かった。

 シーラの気配が充満する棟から、クラリッサに憑いているグレーの猫、イダの気配がする棟へ。


 そう、私たちは家族だが、憑いている猫たちは違う。たまたま私たちを気に入って憑いただけで、双方の関係性はない。

 だから、縄張りには気をつけなければならなかった。


「クラリッサ。ピナと話がしたいのだけれど、いいかしら」


 ノックをしながら、中にいるピナの気配を窺う。


 すると、イダの気配が色濃い部屋に、まるで自分がいるような、そんな錯覚を抱いた。探れば探るほどに。


「お姉様」


 やはりクラリッサも事前に察したのだろう。すぐに扉を開けてくれた。


 肩越しに見えるピナの姿。けれど、いつものように飛んできてはくれなかった。逆に、自分よりも一回り小さなイダの背に回って隠れている。

 その丸分かりな姿に思わずクスリと笑ってしまった。


 あれで隠しきれていると思っているんだから、もう。


「ピナ」


 優しく呼びかけると、一瞬パァッと明るい表情になるピナ。でも、また元に戻ってしまった。だから、もう一度呼びかける。


「ピナ。もう怒っていないわ。分かるでしょう」

「……でも~」

「悪いと思っているのなら出てきて」


 仏の顔も三度までというが、私の場合は二度までのようだ。渋るピナを前に、私の声は低くなった。

 まるで怒っているのは、そっちのことかのように。


「ルフィナ~。ごめんよ~」

「ううん。私の方こそ、誤解を与えるようなことをしていたから。おあいこ、ね?」

「ご、誤解じゃないよ~」


 慌てて駆け寄ってきたピナを抱き締める。


「誤解」

「違う~」

「誤解」


 お互いに譲らないところもそっくり。だから最後は笑って許してしまう。


「まあまあ、二人とも。これで気は済んだかしら」

「シーラ~」

「ピナの気持ちも分かるけれど、今はまだ早い。いい勉強になったわね」

「早いも何も、ピナが誤解し――……」

「ルフィナ。まだやるのなら、アルベルタに言うわよ」


 うっ。

 シーラにお母様の名前を出されれば、引き下がるしかない。


「もうこれ以上の面倒はかけないでちょうだい。いいわね、二人とも」

「はい」

「分かったよ~」


 私とピナを交互に見た後、シーラは大きな欠伸をした。

 もう興味を失った、とでもいうように。


「わぁ~。それじゃ私は戻るわね。イダ。私までお邪魔して、ごめんなさい」

「ううん。私、騒がしいのは好きだから。いつでも来ていいよ」


 ピナとはまた違った、のんびりした口調のイダが、シーラに近づく。

 体を擦り寄せて、別れの挨拶をしているかのようだった。


 あの気高いシーラでさえ、振り払わないイダ。あの穏やかな口調、振る舞いがそれを可能にさせていた。


 だから、ピナが触れても怒らないのよね。

 普通の猫ではない『猫憑き』の猫は、自らが憑いている者以外に触れられるのを嫌う。

 同じ『猫』なら尚更だ。


 けれど、ピナもシーラも、何故かイダに心を許す。

 ピナが避難先に選んだのも、それが理由だろう。

 挨拶をし終えたのか、シーラはそっと姿を消した。お母様の執務室がある棟。つまり、自分の縄張りに帰ったのだろう。


「私たちもおいとましましょう。これ以上ここにいたら、シーラに、いえお母様に怒られるわ」

「何故ですか? ここで話し合っていかれてもよろしいんですよ? イダも構わないわよね」

「うん。私も何があったのか、知りたい」


 つまり、野次馬か。


「何があったも何も、さっきクラリッサに話した通りよ。イダなら言わなくても分かるでしょう」

「クラリッサの目と耳を通して聞いていたから。でも、質問はできない」

「イダは発言権がほしいと言っているんです、お姉様」


 そっとイダを抱き上げて、クラリッサはベッドの上に腰かけた。首を傾ける仕草までして。


 可愛くて強かなクラリッサのお願いを無視するなんて、野暮なことはしない。私もピナを抱いたまま、その隣に座った。


「それで何が聞きたいの?」

「えっと、ピナを見た時のワンコの反応。ルフィナはどう感じた? ルフィナに対して、どんな反応をしたの?」

「ワンコって……。騎士団長様とか、カーティス様とか。他に呼び方はあるでしょう」

「お姉様。イダにとっては同じことですわ」


 まぁ、私もお会いするまで同じ思考だったから、強く否定できないけれど。

 現にクラリッサも、先ほどまでそうだった。


「どう感じたかなんて、思う余裕はなかったわ。その後の反応だって、覚えていないもの」

「大丈夫だったよ~。僕の姿を見ても、全然変わらなかった~。だからルフィナのことも、嫌いにならないよ~」

「その根拠は?」

「僕たち、警戒心は強いけど、心を許すのも早いよね~。それと同じ~。ルフィナが感じたものに、僕は賛同しただけ~」

「理由になっていない」


 元々ピナは、言葉が足りないだけに、追及するのは難しかった。


「だって~」

「まぁまぁ、お姉様。このクラリッサには何となくですが、分かりましたわ。ね、イダ」

「うん。だから、ピナを怒らないであげて」


 このグレーの猫。イダもまた、クラリッサに似て、可愛らしく頭を傾ける。


「もう、二人ともピナの味方をして……」

「そんなことはありませんわ。先ほどお姉様に、『お灸を添える』と私は言ったんですよ。まさか、それを破ったとお思いで?」


 その瞬間、腕の中でピナの体が跳ねたような気がした。


「ピナ?」

「クラリッサに怒られた~。ルフィナの許可もなく動いたらダメだって~。怖かったよ~」

「悪いことをした自覚はあるの?」

「……ない、けど。皆にも怒られたから~」


 慰めて、とばかりに私にしがみついてくる。


「つまり、反省していないってこと?」

「し、した! したよ、今! 反省したよ~」


 だから許して。お部屋に帰ろう。


 ピナから伝わってくる必死な感情に、私は根負けせざるを得なかった。

 それは偏に、カーティス様に対する感情の整理が、まだできていなかったからだろう。ピナの行為は叱咤できても、動機までは強く言えなかった。

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