再会
藤川は、ようやく目的地に到着した。
既に日は沈み、辺りは暗くなっている。懐中電灯を持ってきてはいるが、それだけでは不安だ。
念のため、辺りを見回してみた。
このあたりには、かつて病院があった。いわゆる閉鎖病棟であり、社会生活に問題のある患者を収容しておく医療施設だ。三階建ての建物は高い塀に囲まれており、中ではとんでもないことが行われていたと聞いている。患者に対する暴力、大量の薬品投与、非人道的な扱い。それらは、長いこと医師や看護師たちにより隠蔽されてきた。
やがて患者の家族たちからの訴えにより、警察の捜査が入る。結果、院長や医師たちは逮捕されたが建物はそのまま残ってしまった。市には、解体する費用も建て直す計画もない。そのため、今に至るまで廃墟として無残な姿をさらしている。
中学生の頃、藤川らのグループはその廃墟に出入りしていた。言うまでもなく、本来なら立ち入り禁止である。しかし、この付近に住民はいない。廃墟に侵入しバカ騒ぎをしたとしても、通報する者などいないのだ。彼らは、中を溜まり場として使い好き放題やっていた。いわば秘密基地……というより、悪人たちのアジトと言った方が正確かもしれない。
とはいえ、この男はもう三十歳である。廃墟に入り、バカ騒ぎするような歳ではない。何より、彼には立場がある。分別があり、高い地位にも就いている大人の藤川が、何ゆえこんな場所にいるかと言うと……手紙の主に呼び出されたからだ。
先日、藤川の自宅にまたしても手紙が届いた。
(九月一日、同窓会パーティーを開きませんか。場所は、卒業式の日にあなたが秋山薫にひどいイジメを行ったところ……と言えば、説明しなくてもわかりますよね。そこに午後九時、ひとりで来てください。来なかったら、恥ずかしい写真や画像がネットに拡散されることとなります。また、このパーティーの話を誰かに洩らしても拡散させます)
今回、差出人の欄には何も書かれていなかった。だが、前回と同じ人物であるのは間違いない。そう、秋山薫だ。
ふざけた話である。だが、あの写真をネットで拡散されたら終わりだ。ただでさえ、藤川には敵が多い。ネットでも、彼を悪く言う者は大勢いる。
今の状況で、あんな画像が拡散されたら終わりだ。
それに、最初の手紙に書かれていたことも気になる。
(お前は人殺しだ)
あれは、どういう意味なのだろうか。
念のため、藤川はネットで秋山薫の名を調べてみた。特に、十五年前の事件を集中し検索してみる。もしや、秋山があれをきっかけに亡くなっているのかと思ったのだ。
一応、秋山薫の名はヒットしたものの、無関係な人物ばかりである。亡くなったというような記事はなかった。どうやら、秋山は死んでいないらしい。
では、あの言葉の意味は?
それを知るためにも、謎の脅迫者に会わなくてはならないのだ。
藤川は、林の中を歩いていく。下は土であり、でこぼこで歩きにくくて仕方ない。何度かつまづきそうになりながら、どうにか進んでいく。昔は、歩きにくいと感じたことはなかった。やはり、これも年齢のせいなのか。あるいは、ブランドものの革靴のせいかもしれないが。
しかも、九月になるというのに、まだまだ暑い。中学生の時は、今より確実に涼しかった。世の中、温暖化は確実に進んでいるらしい。困ったものだ。
もっとも、今の藤川には地球の温暖化より手紙の主と接触する方が大切だ。汗をぬぐいながら歩いていった。
やがて、目指す場所に到着した。目の前には、大きな塀がある。灰色の地味なデザインだが、高さはかなりのものだ。しかも、上には鉄条網が張られている。侵入者よりも、むしろ収容者の脱走を防ぐためだろう。周囲にはロープが張られ、立入禁止と書かれた紙が貼られている。
藤川は、塀に設置された鉄製の扉を押してみた。ギイィという金属音を立てながら、扉は開く。
敷地内に入ると、そこは中庭になっている。かつては花壇などがあったらしいが、今では見る影もなく荒れ果てている。雑草が伸び放題で、時おりカサカサという音が聞こえてきた。虫や鼠などの小動物が立てる音だろう。
藤川は懐中電灯をつけ、慎重に歩いていき建物の前で立ち止まった。
本当に不気味だ。灰色の壁には、得体の知れない植物が貼り付いていた。汚れもひどいが、それよりも落書きの方が目立つ。その大半は、藤川らが描いたものである。窓ガラスは曇っており、中の様子は見えない。
入口にある鉄製の扉を押してみると、あっさりと開いた。藤川は、そっと中に入っていく。懐中電灯で、中を照らしてみた。
ここは、かつて待合室として使われていたらしい。ボロボロになったソファーの破片や、パンフレットの残骸などが床に散らばっている。人の気配はない。あの手紙を差し出した者は、まだ来ていないようだ。
それよりも気になるのは、入った瞬間に妙な匂いが鼻をついたことだ。ゴミや腐った木材などの匂いだろうか。いや、それだけではない気もする。何かの薬品の匂いだろうか。いや、こんなところで薬品の匂いがするはずがない。自分の鼻が、おかしくなっているのだろうか。
中学生の時は、こんな匂いの中でたむろしていたのか。いや、当時は廃墟内でタバコや大麻などを吸っていた。酒やつまみを持ち込み、肝試しと酒盛りを兼ねたパーティーをしたこともあった。そういったもののせいで、鼻がおかしくなっていたのかもしれない。
今の藤川は、大麻はもとよりタバコすらやめている。昔のように、酒を飲んでキャバクラで暴れることもなくなった。令和の時代は、昭和のように破天荒イメージがウケるわけではないのだ。クリーンなキャラクターが求められる昨今、
しかし、あの画像は……今の藤川を、一瞬で奈落の底へと突き落とすだけの破壊力がある。ネットに出回ったら、疵どころではすまされない。どこかの芸能人のように、確実に炎上するだろう。結果、何もかも失う……とまではいかないが、少なくともタレント活動は終わる。
このところ、全てが上手くいき調子に乗っていた。成功にあぐらをかき、身の周りのことに甘くなっていたらしい。本当にバカだった。
もし、今夜をうまく切り抜けられたら、あの女たちとは縁を切ろう……そんなことを考えていた時、外から足音が聞こえてきた。藤川は懐中電灯を消し、物陰に隠れた。
やがて扉が開いた。
恐る恐る中を覗く顔は、暗闇のせいでよく見えなかった。どうやら女らしい、ということ以外は何もわからない。
女は、そっと声を出した。
「だ、誰かいますか? いるなら、返事してください」
その声には、聞き覚えがある。藤川は、さらに目を凝らした。顔はよく見えないが、Tシャツの上半身には見た記憶がある。
女は、慎重に室内へと入ってきた。あの声、そして体つき。間違いない、かつての同級生であり、グラビアアイドルをしていた七尾恵美だ。
気づいた瞬間、思わず声が出ていた。
「おい! お前か!? お前が、俺を呼び出したのか!?」
言った直後、藤川は立ち上がり姿を現した。途端に、七尾は後ずさる。
「はあ? ちょっと何を言ってんの……」
言葉の途中、こちらが何者なのか気づいたらしい。立ち止まり、藤川をまじまじと見つめる。
少しの間を置き、口を開いた。
「あんた、もしかして藤川じゃないの?」
「そうだよ、藤川亮だよ。お前、七尾恵美だよな」
答える藤川の顔には、複雑な表情が浮かんでいた。この状況で、かつての同級生に再会できたのは嬉しい。だが同時に、新たな疑問も湧いてくる。
この女、何をしに来た?
「そ、七尾だよ。久しぶりじゃん。まさか、こんな場所で会うとはね」
冷めた口調で、彼女は答えた。暗いため、どんな表情を浮かべているのかよくわからない。だが、七尾も藤川との再会を喜んでいないのは確かだ。
その時、ある考えが浮かぶ。ひょっとしたら、こいつも秋山に呼び出されたのでは?
「七尾、ちょっと聞きたいことがある」
「何よ?」
「もしかして、お前も秋山に呼び出されたんじゃないのか?」
聞いた途端、七尾の体が硬直したのがわかった。暗いため、どんな表情を浮かべているかはわからない。だが、藤川の問いが彼女に衝撃を与えたのは間違いない。
少しの間を置き、七尾は答える。
「お前も、ってことは……あんたも、秋山から変な手紙もらったんだね」
予想通りだった。しかし、続けて放たれた問いは予想外のものだった。
「あんたの手紙にも、何か入ってたの?」
ギクリとなった。もちろん、何が入っていたかなど言えるわけがない。
「はあ? 何でもいいだろ。お前には関係ない」
「どうせ、ヤバい写真が入ってたんでしょ。女絡みとか」
七尾の声と仕草には、からかうような雰囲気があった。男をたぶらかす女にありがちなものだ。
こんな状況下でも、他人をたぶらかそうと目論む……七尾がそういう人間であることを、藤川はよく知っていた。豊かな胸も、おそらくは手術によるものだろう。
その時、妙な考えが浮かぶ。
「なあ、あれを送ったの、本当にお前じゃないんだろうな?」
そう、この女なら、それくらいのことはしかねないのだ。
しかし七尾は、かぶりを振った。
「違うっての。あんたから金取るなら、こんな汚いところに呼び出したりしないよ。だいたいね、あたしだって、かなりヤバいの撮られたんだから。秋山の奴、ぶっ殺してやりたいよ」
その答えを、鵜呑みにしていいのかわからない。ただ、今は信用するしかなかった。
「わかった。この際だ。お互いの秘密には触れないでおこう。とにかく、俺はこの場所に来いと手紙で呼び出された。お前もそうなんだな?」
「そうだよ。同窓会のパーティーをしたい、なんて書いてあった。秋山の奴、ふざけやがって……マジ許せないね」
いかにも不快そうな声だ。嘘をついているとは思えない。演技でなければ、だが。
藤川は、気になっていたことを聞いてみた。
「なあ、秋山の手紙だが、他に何が書かれていた?」
一瞬、七尾の動きが止まる。思った通りだ。彼女の手紙にも、あの一言が添えられていたのだ。
「もしかして、人殺しって書いてあったんじゃないのか?」
さらに尋ねてみる。すると七尾は、少しの間を置き答えた。
「うん。あたしの手紙にも、人殺しって書いてあった」
聞いた瞬間、藤川は思わず顔をしかめる。七尾の手紙にも、同じことが書かれていた。これは、どういうことなのだろう。自分たちは、人を殺した覚えなどないのだ。
「やっぱりな。俺のところにきた手紙にも、人殺しって書かれてたんだよ。あれは、どういうことなんだろうな?」
「んなこと、知るわけないじゃん」
答えた時だった。突然、扉が勢いよく開く。
ふたりが緊張し見つめる中、ひとりの男がずかずか入ってきた。身長は、藤川とほぼ同じくらいだろう。しかし、肩幅は広くがっちりした体格である。Tシャツから覗く二の腕は太く、胸板は分厚い。
男は近づいて来るなり、唖然となっている藤川の胸倉を掴む。
「おい、お前秋山か? ふざけたもんよこしやがって! 殺すぞコラ!」
怒鳴る声には聞き覚えがある。藤川は、思わず叫んだ。
「ちょっと待て! まず落ち着け! お前、村本だろ!」
その声に、胸倉を掴む力が緩んだ。室内は暗い。だが近くで見れば、相手の顔はどうにか見えた。しかも数年前までは、たまに顔を合わせていた間柄だ。間違いなく村本修司である。
同時に、向こうもこちらが誰か気づいたらしい。手が離れた。
「てめえは、藤川じゃねえか……ここで何やってんだ?」
村本が、呆然とした表情で言葉を搾り出す。
「そうだ。藤川だよ。もしかして、お前も秋山に呼び出されたのか?」
尋ねると、村本の顔が歪む。間違いない、この男も自分たちと同じなのだ。
「やっぱり……ってことは、お前も秋山に何か弱みを握られたんだな」
言った途端、村本は再び吠える。
「はあ!? ちげえよ! 俺は何も──」
「隠さなくていい。俺も七尾も、奴から手紙が届いたんだよ。中には写真と便箋が入ってた。人殺しだ、とか書いてあったよ。お前も、そうなんじゃないか?」
村本の言葉を遮り、藤川は静かに語る。
昔からそうだった。村本は、痛いところを突かれると喚き出す。挙げ句、キレて何もかもをうやむやにしてしまおうとするのだ。
だが、この状況はうやむやに出来なかった。それに、この男も昔のようなバカな不良ではない。格闘家として名前も知られているし、失うものもある。分別も出てきたはずだ。そこに期待し、藤川はじっと睨みつけた。
ややあって、村本は目を逸らす。
「そうだよ」
ふて腐れたような表情で答えた。
藤川は溜息を吐く。やはり、そうだったか。
「となると……あの時のメンバーで残ってるのは、山口と木下か。お前ら、あいつらと連絡とったか?」
言いながら、ふたりの方を見てみた。だが、七尾は無言でかぶりを振る。
「いいや」
村本も、短く答えた。
「そうか。まあ、いい。いずれ来るだろう」
藤川が言った時、タイミングを計ったかのように扉が開く。
そっと顔を覗かせたのは、髪を金色に染めた男だった。落ち着きのない目つきで、藤川ら三人に怯えた視線を向けている。
どうやら、秋山ではなさそうだ。となると、思いつく人物はひとりである。
「お前、山口彰だな?」
藤川の問いに対し、山口はペコペコ頭を下げる。
「あ、ああ、うん。お前は……あの、秋山か?」
その言葉で、藤川の予想は確信に変わった。やはり、こいつも秋山からの手紙を受けとったのだ。
「違うよバカ、俺は藤川だよ。覚えてないのか?」
「えっ、藤川か? 何でここに?」
慌てた様子で聞いてきた。
「たぶん、お前と同じ理由だ。秋山から、招待状をもらったんだろ」
「えっ、あ、ああ、うん、そうなんだよ」
卑屈、というより挙動不審な態度で答える。その様子に、藤川は違和感を覚えた。何かが変だ。基本的に、この男は小者である。昔から自分に自信がなく、藤川や村本がいないと何も出来ないタイプだ。ただ、ここまで変ではなかった。
もっとも、今はそれどころではない。
「そうだ。こっちは、七尾と村本だよ。みんな、秋山に呼び出されたんだ」
「えっ、本当か?」
言いながら、ふたりをまじまじと見つめる。
「本当だよ」
面倒くさそうに、村本が答える。だが、山口は彼のことなど見ていなかった。七尾の体を、なめまわすように見ている。
やがて、おずおずと口を開いた。
「な、七尾……ネットで見たんだけどさ、お前AVに出るのか?」
その途端、村本の手が伸びる。山口の襟首を掴み、顔を近づけていった。
「てめえ、こんな時に何を言ってんだ?」
低い声で凄まれ、山口は怯えた様子で目を逸らす。
「ごめん」
山口の態度は卑屈だった。奴は昔からそうだ。口だけの男。喧嘩になれば、真っ先に逃げる。そのくせ他の生徒たちには、
その瞬間、あることを思いつく──
これは、是非とも確かめてみなくてはならない。藤川は、山口の肩を掴んだ。
「もう一度、確認するぞ。お前も秋山に呼び出されたんだな。今日、この時間に……間違いないな?」
聞いてみると、山口は少し怯えた様子で頷く。
「う、うん」
「その前に、人殺しとか書かれた手紙もきたんじゃないのか?」
言った途端、山口は顔をしかめた。
「お前らもか?」
「そうだよ」
藤川が答えると、山口は困惑した顔で周囲を見回した。
「あの人殺しって、どういう意味なんだ? わけがわからないよ? 俺たちが誰を殺したって言うんだ?」
「わからない。そもそも、あの手紙を出した人間が本物の秋山かどうかもわからないんだ。ただ、秋山を知っている人物なのは確かだよ。ここで俺たちが、秋山に何をしたのかも知っている」
そこで藤川は、全員の顔を見回す。
「お前ら、正直に答えてくれ。昔、ここでしたことを誰かに喋ったか?」
一応、お前らとは言った。だが、この中で言いそうな人間はひとりしかいない。
「喋るわけないじゃん! どっかのバカなミュージシャンじゃあるまいし、今時イジメ自慢なんてシャレなんないんだよ!」
「俺も言ってねえ。ジムの会長から、変なこと言ったらCM契約打ち切られるぞって言われてんだ」
七尾と村本が、立て続けに答える。予想通りだ。このふたりは、顔と名前を世間に知られている。守るべきものがあるのだ。特に、七尾はスキャンダルの怖さを肌身で知っている。迂闊なことは口にしない。
「そうか。そうだよな」
言った後、藤川は山口を見つめる。この男には守るものがない。少なくとも、そう見える。
「山口、お前はどうなんだ?」
「いや、言ってないよ」
即答した。だが、藤川はこの男を信用していない。保身のため、平気で嘘をつく。
「ところで、お前は今なにをやってんだ?」
角度を変えて聞いてみた。すると、山口はきょとんとなる。
「えっ、何をって……」
「仕事だよ」
さらに聞くと、山口はあちこちに視線を泳がせた。少しの間を置き答える。
「あの、バ、バイトしてる」
一瞬でわかった。山口は嘘をついている。バイトしてるのが嘘……となると、何もしていない無職か、あるいは犯罪に手を染めているか。
藤川は、さらに追及する。
「そのバイト先の人間に、俺たちのことベラベラ喋ったりしてるんじゃねえのか? 実はさ、あの藤川って社長は俺の友達だったんだ……とか何とか言ってな」
これこそが、藤川の疑念であった。山口は、明らかにおかしい。暗いため顔色はよく見えないが、頬はこけ体はガリガリに痩せており態度もおかしい。ドラッグか何かやっているのではないか。
藤川はこれまで、いろんな人間を見てきた。その中には、ヤク中も含まれている。ヤク中という人種は信用できない。薬欲しさに、何でもするし何でも言う。ヤクのためなら、恋人でも親でも売る。表社会で上に行こうという思いがあるなら、絶対にかかわってはいけない人種なのだ。
かつての友のスキャンダル……裏社会の人間なら、高く買うだろう。そしてヤク中なら、何のためらいもなく売るはずだ。
「言ってねえよ!」
山口は慌てて否定するが、今度は村本が動いた。山口の襟首を掴む。
「おいコラ、本当のこと言えや! お前、昔から口が軽かったよな! 俺たちのこと、どっかのバカに喋ったんだろうが!」
恐ろしい勢いで怒鳴られ、山口は泣きそうな顔で叫ぶ。
「本当に喋ってないって! 嘘じゃねえよ!」
否定したが、村本に収まる様子はない。藤川が間に入ろうとした時、またしても扉が開く。
入ってきたのは女だ。身長は高からず低からず、髪は短めで、Tシャツにデニムパンツという格好である。顔は見えない。
彼女は藤川らを見るなり、おずおずと口を開く。
「あ、あれ? あの、秋山くんはいますか?」
この場に似つかわしくないセリフだった。声に聞き覚えはないし、暗いため顔もよく見えない。だが、誰かはすぐにわかった。あの時、この場所にいた最後のひとりが姿を現したのだ。
「お前、
藤川が尋ねた。そう、この女は同級生の木下美奈代のはずだ。ぱっとしない風貌の地味で真面目なタイプだったが、一時期は自分たちとつるんでいたのだ。確か、この廃墟にも何度か来ていたはずだ。
もっとも、卒業してからは連絡をとらなくなっていた。気がつくと疎遠になっていた、という有りがちな関係である。どこで何をしているのか、噂にすらならなかった。確実に、十年以上はあっていないだろう。
すると、女は素っ頓狂な声をあげた。
「もしかして藤川?」
その言い方に苛立ちを覚えながらも、藤川は頷いた。
「ああ、そうだよ。藤川亮だ。もう一度聞くが、お前は木下美奈代なんだな?」
「う、うん。今は名字が変わって、神崎美奈代なんだけどね」
つまり、結婚したということか。ごくごく平凡な人生を歩んでいることは、飾り気のない見た目からも見て取れる。この地味女には相応しいが、そんなことはどうでもいい、まずは、確認を取らなくては。
「お前も、秋山に手紙もらったんだな。見られたくない写真と、人殺しだと書かれた便箋が入った手紙だよ」
「う、うん」
歯切れの悪い返事だった。こんな女にどんな秘密があるのかはわからないが、今はそんなことを考えている時ではない。
「そうか。実はな、ここにいる全員が秋山に呼び出されたんだよ。なあ、お前はこのことを誰かに言ったか?」
「このことって?」
首を傾げる木下。そういえば、この女は頭の回転が鈍かった気がする。苛立ちを隠しながら、藤川は静かな口調で話を続けた。
「秋山のことだよ」
「いや、言わないよ。言うわけないじゃん」
木下が答えた途端、七尾が口を挟んでいた。
「ねえ、はっきり言うよ。この中で、秋山のことを他の人間にバラしそうなのは、あんたと山口だけなんだよ」
彼女の言う通りだ。藤川は、あえて止めずに成り行きを見ることにした。村本も、同じことを思ったらしい。じっと木下を睨んでいる。
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんであたしが!?」
慌てる木下に、七尾は追い詰めるような口調で語り続ける。
「あたしと藤川と村本は、世間に顔と名前が知られてる。だから、自分から過去のイジメの話なんかするわけないんだよ。でも、あんたと山口は違う」
言いながら、七尾は迫っていく。と、その目線が天井に向けられた。何か閃くものがあったのか、じっと考えている。
少しの間を置き、鋭い目で木下を睨みつけた。
「ひょっとして、あたしの喫煙の画像をリークしたのって、あんたらのどっちかなんじゃない?」
いきなりの問い。藤川は顔をしかめた。七尾の喫煙スキャンダルは知っているが、今はそれどころではない。
「そんなことしてないよ!」
木下が言い返した時だった。突然、どこからともなく声が聞こえてきたのだ。
「はいはい。皆さん、仲間割れしてる場合じゃないですよ」
人工音声のようだ。しかも、部屋中に響き渡る声である。どこかに、スピーカーが設置されているらしい。
「だ、誰だ!?」
反射的に叫んだのは村本だ。すると、笑い声が聞こえてくる。嘲笑だ。
「僕が誰かって? 十五年前、皆さんにイジメられた挙げ句、地獄に突き落とされた秋山薫です。まずは、あれから何が起きたかを皆さんに教えてあげましょう」
そこで、声は止まる。全員が、固唾を飲んで次の言葉を待った。
しかし、声は聞こえてこない。苛立った村本が、天井を睨みつける。
「お、おい、なんとか言えよ」
「お前ら全員、人殺しなんだよ」
声は、はっきりと言っていた。
直後、藤川の頭に十五年前の記憶が蘇る──
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