Ⅲ.星になったわたしの兄弟、鳥籠のうたのひみつ

 前世と聞いて、わたしは何百年とか何千年とか、そのくらい昔のことを想像したのだけれど、ウメくんがミミであったのが実はそんなに遠い昔の話ではないことも、ほどなくしてわたしは知ることとなる。なんとウメくんは、わたしたちの両親であるところ古屋惣一ふるやそういち古屋初美ふるやはつみに、飼われていたねこだったのだ。

 そのことをはじめて聞かされたとき、わたしはウメくんがかつてねこであった事実を告白されたときよりも、よほど驚いた。だってあんまりにも、彼の前世が身近なところにあったものだから。

「正確に言うと、わたしは惣一さんのねこだったんだけどね」

 ミミだったころの話をするとき、ウメくんはしばしば女の子のような言葉づかいになる。それに気づくと慌てたような顔をして、

「ぼくを拾ってきたのは、ほら、お父さんのほうだったから」

 と取り繕おうとするんだけど、

「そのころ初美ちゃんはことりを飼っていたから、わたし、きらわれていたのよね」

 という具合に、すぐに元の言葉づかいに戻ってしまうのだった。

 別にわたしはそんなこと、気になんかしてはいなかったのだけれど──だって、今にはじまった話じゃないし──今はれっきとした人間の男の子であるウメくんにとっては、ちょっと気を抜くとミミに意識を乗っ取られたようになってしまうことは、それはそれは大変に、重大な問題であるらしかった。

「でも、今はお母さん、ねこが好きだよ」

 わたしは、わざとおどけて明るく言うミミに、なんだかいたたまれなくなって、慰めるようにそう言った。

 事実、ご近所でねこを見かけると、お母さんは人目もはばからずに道ばたにしゃがみこんで、わたしかウメくんかのどちらかが、

「ねえ、そろそろ行こうよ」

 と声をかけるまで、子どものように飽きもせず、ずっとねこを構っているのだった。

「うん、最後にはちゃんとわかり合うことができたから。だけど、惣一さんがわたしを拾ってきた夜なんか、そりゃあもう、大げんかだったわよ。〝うちにはことりがいるのよ、それがわかってるのにどうしてねこなんか拾ってくるの。今すぐ元の場所に戻してきて、万が一にでも食べちゃったりしたらどうするの〟って。初美ちゃんの言うことももっともよね、ことりを飼っているのにねこを拾ってきちゃうなんて、惣一さんも無神経。だけど彼、今夜は雨だし、ひと晩くらいここに置いてやっても構わないだろう、おれがずっと見ているから、なんてのらりくらりとかわして、でも次の日も雨で、結局わたしはそのままずるずると古屋の家に居つく形になっちゃった。梅雨どきだったから雨が多いのは当然なのに、ずるいわよね」

「お父さん、今となんにも変わってないね」

 おおざっぱとか、おおらかとか、そういう言葉を絵に描いたようなお父さんの姿を思い浮かべて、わたしはちょっと笑う。ビールと茹でた枝豆と、動物が大好きなお父さん。最近ぽっこり出てきたおなか、あれはビールっ腹っていうのよって、お母さんが言っていた。今はあんなだけど、昔は映画に出てくるヒーローみたいにかっこよかったのよ、とも。

 それを聞いてわたしは、ああ、お母さんは今でも、お父さんのことが大好きなんだなあ、としみじみ思ったものだった。その事実は、わたしをとても安心させる。クラスメイトのヒデヨシくんのお父さんとお母さんみたいに、離婚してしまうようなこと、古屋惣一と古屋初美に限っては絶対に、ない。

「そうだね」

 ウメくんもわたしとおんなじようなことを考えていたのか、くすっと笑う声が聞こえる。

「でも、初美ちゃんはなかなかわたしに心を開いてはくれなかった。わたしが部屋に近づこうものなら、叫んでわめいて大騒ぎ。スリッパ持って追っかけ回されたりなんか、しょっちゅうよ。まあ、どうにかして初美ちゃんの部屋を覗いてやろうとしてた、わたしも悪かったんだけどね。ご近所さん、びっくりしてただろうなあ。彼女、そのころはまだ、ちゃんと生んであげられなかった赤ちゃんのことで深く傷ついていて、今よりずっと神経質になっていたから。ヒナから飼っていたそのことりが、子どものかわりだったのね」

 ちゃんと生んであげられなかった赤ちゃん。ミミが口にしたなにげない言葉に、わたしは鼻の奥がツンと痛くなるような、やるせないような、なんともいえない気持ちになる。

 そう、わたしとウメくんには、本当はもう一人、兄弟がいるはずだったのだ。だけどその子は、生きてこの世に生まれてはこなかった。お母さんのおなかから取りあげられたときには、すでに心臓が止まっていたそうだ。前にウメくんが話してくれた夫婦のお話、その話を聞いたとき、『あれっ、それって、お父さんとお母さんの話にそっくり』とわたしは思ったものだけれど、今思えば本当に、ミミだったころに知った、古屋惣一と古屋初美の過去だったのだろう。

 お母さんは、自分が赤ちゃんをきちんと生んであげられなかったことや、ほかのいろいろなことが原因で、『ソウキョクセイショウガイ』というものになってしまった。だから、ほかの多くの人たちよりもちょっとだけ、デリケートだ。でも、お母さんにはお父さんがついているから大丈夫。わたしとウメくんはそう信じている。

 ──ねえ、お母さん。わたしとウメくんのもう一人の兄弟は、生まれてこないで、一体どこに行っちゃったのかなあ。

 わたしが今よりずっと幼かったころ、一度だけ、そう尋ねてみたことがある。

 その晩はペルセウス座流星群という、流星の大きな一群がやってくる日で、わたしとお母さんは縁側で、ウメくんとお父さんは二階のベランダで、お母さんチームとお父さんチームの『どっちが多く流れ星を見つけられるか競争』をしている真っ最中だった。夏も盛りの日のことで、深い緑のぐるぐる巻きの、暗闇にぼうっと火の灯る蚊取り線香が、目や鼻に煙たかったのをよく覚えている。

 わたしはその日をとてもとても楽しみにしていたのだけれど、流星は思っていたほど観測できず、競争にもそろそろ飽きてきていたところで、それでなんとなく、思いついたことを口にしてみただけだったのだ。言いわけがましいことだけれど、悪気なんて、少しもなかった。

 わたしはお母さんの膝の上で、紺碧の夜空をばかみたいに見あげていたから、そのときお母さんがどんな顔をしていたのか、真相は永遠に闇の底だ。でも、お母さんがわたしの耳元で、はっと息をのむ音だけははっきりと聞こえて、『あれ、これってもしかして、訊いちゃいけないことだったのかな』と、わたしは幼いながらにひやりとさせられたものだった。

 だけどお母さんは、すぐにいつものおっとりとした調子を取り戻して、こう言ったのだった。

「うーん、そうねえ。あの子はお空にのぼって、どこまでも高く高くのぼって、お星さまになったんじゃないかなあって、お母さんは思うわ」

「お星さま?」

「そう、お星さま。この広い宇宙のどこかに、あの子は還っていったの。そうしてナナコやウメや、お父さんやお母さんのことを、見守ってくれているの。お母さんは、そう信じてるの」

「そっかあ。それじゃあ、お母さんもお父さんもその子も、みんなさみしくないんだね」

 わたしは心の底からうれしくてにっこり笑って、お母さんをふり向いた。ふり向いた先で、お母さんは顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 そのときはわからなかったけれど、今ならわかる。あれは、泣き出しそうな笑顔だったと。

 今にして思えば、いくら幼かったとはいえ、ずいぶん残酷なことを言ってしまったものだ。

 それからわたしとお母さんは、星になってしまったその子のために、声を揃えてきらきら星をうたった。途中から二階のベランダにいるお父さんとウメくんも乗っかってきて、うたは四人の大合唱になり、『どっちが多く流れ星を見つけられるか競争』も、そのままなんとなくお開きになってしまった。


 きーらーきーらーひーかーるー

 おーそーらーのーほーしーよー

 まーばーたーきーしーてーはー

 みーんーなーをーみーてーるー

 きーらーきーらーひーかーるー

 おーそーらーのーほーしーよー


 ミミの『惣一さん』と『初美ちゃん』という呼び名は、二人が当時そう呼び合っていたのが、そのままうつってしまったのだという。今は二人は互いをそんなふうに呼び合ってはいないから、新鮮だ。お父さんとお母さんは年が八つも離れているから、若かりしころの二人は互いをそんなふうに呼び合わざるを得なかったのではないかと、わたしとウメくんは邪推する。だって八つということは、お父さんがわたしたちの年のころ、お母さんはまだ生まれるか生まれないかの瀬戸際だったということだ。小学二年生のわたしたちにとって、八つという年の差は、天と地ほども違う。その感覚は前世の記憶があるウメくんにとっても同じなようで、

「ぼくたちも大人になったら、八つなんて年の差も、どってことなくなるのかなあ」

 と、ミミではなくウメくんの顔で首を傾げていた。

 そんな話をしてからまたしばらく経った水曜日のいちぢく屋さんで、わたしはこの上さらに驚くべき事実を知ることとなる。

「古屋の家に居つくようになってから、ぼくにはひとつ不思議なことがあった。ときたまどこからか、とってもきれいな音がするんだ。ぼくは家の中と外とを自由に行き来することを許されていたけれど、外では決して聞くことのない音だった。誰かがうたっているに違いないと、ぼくは思った。うたはどうやら母さんの部屋から聞こえてくるらしいことに、ぼくは気づいた。ぼくはどうにかしてそのうた声のひみつを知ろうと試みて、そのたびに母さんにこっぴどく追いかけ回された。だけどある日、開け放したドアのすき間から、とうとう部屋の中を覗き見ることに成功したんだ」

 今日のウメくんはいつもよりほんのちょっとだけ、饒舌だ。いつもはもっとぽつぽつと、春雨の降るように話すのに。

「その日、父さんはいつものように仕事で、だけど母さんはいつもに輪をかけて塞ぎ込んでいた。遠いところへ行ってしまった赤ちゃんのことを思って、朝から部屋にこもりきりでずっと泣いていた。ぼくもそっとしておいたほうがいいだろうと思って、さすがにその日はおとなしくしていたよ。そのうちしゃくりあげる声も聞こえなくなって、あんまりにも家じゅう静かなもんだから、つい心配になって、母さんの部屋のそばへ近づいたんだ。すると、ドアが細く開いている。母さんのことは心配だったけど、正直、しめた! と思ったね。ぼくはドアのすき間から、部屋の様子を窺った。母さんの部屋をまともに見たのは、このときがはじめてだった。母さんはテーブルに突っ伏して眠っていた。きっと、泣き疲れてしまったんだね。そのすぐ傍らに大きな鳥籠があって、そこにいたのが、きみだった」

「え?」

 ウメくんがねこであったことをはじめて聞かされたあの日と同じように、わたしは耳を疑って、ウメくんのほうをふり向いた。三角の海に、今日はボートが一艘およいでいる。

 ──ウメくん、何言ってるんだろ。その言い方じゃまるで、わたしが籠の中にいた、ことりみたいじゃないか。

 そんなことあるわけないよって笑い飛ばそうとして、まっすぐにわたしを見つめるウメくんの瞳があんまりにも、お父さんの朝のコーヒーみたいに底の見えない色をしていたから、中途半端にくちびるが歪んだだけだった。

「……何言ってるの、ウメくん」

「カナリヤだよ、鳥の。ぼくとおなじ、古屋の家で飼われていた」

 ウメくんはわたしから目を離さない。

「わたしが? カナリヤ? ウメくんがねこのミミだったのと、同じようにってこと?」

「うん」

「えー、うそぉ」

 これがウメくんのことなら、きっとそうなんだろうなってわたしにはわかるし、信じる。だけど記憶にもない自分のこととなれば、話は別だ。わたしはわたしがことりであった事実をにわかには受け入れることができず、すっとんきょうな声をあげた。

「本当だよ」

 ウメくんの顔は、少し強張っているように見えた。ミミの言葉づかいにもなっていないし、緊張している、のかもしれない。そうとわかると、わたしもまじめに答えなければならないような気がして、

「でもわたしは、前世のことなんかちっとも覚えてないよ」

 と、きちんと姿勢を正して言った。無意識に、言葉は言いわけするような調子になって、わたしをうしろめたくさせた。するとウメくんは、

「ナナコも昔は覚えていたんだよ」

 とますます信じられないようなことを言って、わたしの目をまるくさせた。

 聞けばわたしは、幼稚園にあがるあたりまでは確かに、ピピ──それが古屋初美の飼っていた、オスのカナリヤの名前である──の記憶があったらしく、急に男の子の言葉づかいで喋り出したり、

「本当、昔っから初美ちゃんの心配性は変わらないんだなあ、もう」

 と、まるでお母さんの古くからの知人のようにつらつらとお説教を垂れはじめたり、ということがあったらしい。

 それって、ウメくんとおんなじ、とわたしは思う。ウメくんも、

「本当、ナナコって子どもよね」

 とか、ときおり妙に大人びた、女性的な口調で、言い出すときがあるのだ。でも、それに対してわたしが、

「弟のくせに、なまいき」

 と返すとむきになって、

「弟って言ったって、大して変わらないだろ。母さんのおなかの中で、たまたまナナコのほうが、出口に近かったってだけなんだから」

 なんて言うところは、子ども。

 今はその理由が、ウメくんの中にミミがいるからだってわかるけれど、そうじゃない人にとってウメくんは、大変に『不安定な子ども』に見えるらしい。何故かわたしまでセットで『へんなふたご』扱いされることもあるけれど、まったくもって心外な話である。何しろ片割れであるわたしにとっても、ウメくんの話す言葉のすべてを理解することは、困難極まりないのだから。

 さて、お母さんは自分の子どもが、二人揃って性別の一致しない言葉を話したり、ときおり別人のようになったりするのを心配して、何かに取り憑かれているんじゃないかとか、霊媒師さんに見て貰ったほうがいいんじゃないかとか、一時は本気で悩んだらしい。それでどうやら、前世の記憶があるというのは普通のことじゃないらしいと気づいたわたしたちは、緊急会議を開いて、ピピとミミだった前世を仄めかすようなことを、特にお母さんの前では絶対に口にしないようにしようと、決めたというのだ。だけどついつい気が抜けて、ウメくんの中のミミが顔を覗かせるときが、女の子の言葉で喋り出すときだった、ということらしい。だけどわたしはそんなこと、全然覚えていない。どうしてだろう?

「お父さんに訊いたら、そのころのこと覚えているかな」

 ふと思いついて、わたしは言った。

 そうだ。それがお母さんを心配させてしまうようなことだというなら、お父さんに確かめてみればいいだけの話なのだ。あのお父さんのことだ、たとえわたしたちがユーレイに取り憑かれていたといても、『いやあ、珍しいこともあるもんだなあ』などと言って、しげしげとわたしたちを観察して、だけどそれだけ。もしかしたら、ユーレイとだって仲よくなれちゃうかもしれない。わたしたちのお父さんは、そういう安心感のある人だ。

「全部覚えていると思うよ、たぶん」

 ウメくんも、ああ、という顔をした。何もウメくんを疑うわけじゃないけれど──むしろ、全幅の信頼を寄せていると言ってもいいくらい──わたしがわたしの過去を覚えていない以上、第三者であるお父さんに確かめてみるというのは、我ながら名案だった。

「確かめてみてもいいでしょうか、ウメくん」

 神妙な面持ちで、わたしは尋ねる。

「父さんになら、構わんよ」

 探偵のような顔をして、ウメくんは頷いた。

 わたしたちのその日のおやつは、ウメくんがみぞれ、わたしがブルーハワイのシロップのかき氷だった。帰り道、真っ青に染まった舌を見せびらかすわたしを、ウメくんは羨ましそうに睨んだ。みぞれなんて気取ったものを頼む、ウメくんが悪い。

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