英雄亭凡酔譚

佳河 尋幸

一杯目 冒険の始まり(1)

 王都のはずれ、裏街通りの酒場は昼夜を問わず冒険者達で賑う。

 店が閉まっているところを見た者はいない。

 冒険者達が集い、旅立ち、運が良ければ帰ってくる。

 ここは英雄亭。

 死者をいたんで生者が祝杯を挙げる場所。


 *


 喝采。

 怒号。

 悲鳴。

 哄笑。


 あらゆる感情の入り混じった喧騒が英雄亭の扉からあふれ出た。

 少年の面影が残る青年は気圧けおされ、ためらい、隠れるように店に入った。

 酔っ払いの海をかき分けて進む度胸があるはずもなく、足は自然と人の少ない方へと向かう。

 だからそこに流れ着いたのは必然。

 店の隅、薄暗い柱の陰。

 開業当時から唯一残る年代物のテーブルセットを中年男が一人で占拠している。

 男が青年に気付き、ニヤリと笑った。

「新入りか? まあ、座れ。一杯奢ってやろう」

 青年は誘われるままフラフラと男の向かいに座った。

 コンコン。

 空になった木の杯でテーブルを叩いて店員を呼ぶ。

 しかし近くにいる女店員は背を向けてカウンター越しにバーテンと話し込んでいる。こちらに気付いた様子はない。

 男は杯をふわりと放った。

 杯はゆっくりと回転しながら綺麗な放物線を描く。

 コーン、と間抜けな音を立てて杯は女店員の頭で跳ねた。

 女店員が振り向く。その笑顔に青年が凍りつく。

「どうして普通に呼べないの!?」

「呼んだんだが、気付いてもらえなかったので仕方なく」

「たまには自分から来たら?」

「常連に対する接客態度とは思えんな」

「常連と上客は違うのよ。どうせ一番安い酒いつものでしょ?」

「いつものをだ」

 男が青年に目をやる。それで初めて女店員は青年に気がついた。

 ジロリと値踏みするような視線を受けて青年は居心地悪そうに身動みじろぎした。


 タン! タン!

 女店員は乱暴に杯を二つ置くと、テーブルの上の銀貨をひったくるように回収する。哀れみを含んだあきれ顔で青年を一瞥した後、何も言わず去っていった。

 その背中を青年が不安げな面持ちで見送る。

「酷い店員だろ? でもここじゃマシな方だ。気にするな」

 男に促されて青年が杯を手に取った。

「前途ある若者の未来に乾杯!」

「乾杯……」

 消え入りそうな声で青年が応じる。

「若いのに暗いな。悩み事があるなら聞くだけ聞いてやるぞ」

 青年はうつむいて杯を見つめていたので、男がにやけそうになるのを我慢していることに気付かない。

 一度静かになった酒が細かく揺れ、ポツリと言葉が漏れた。

「どうしたら冒険者になれるんだ?」

「なんだ、そんなことか。養成所に行って冒険者登録証タグをもらってこい」

冒険者登録証タグなら、ある」

 青年は襟元から紐に通された木片を引っ張り出した。


  クラス:ファイター

  レベル:1

  属性 :中立

  ギルド:ヒドラの尻尾


 男の顔があからさまに渋くなった。

「だったらさっさと訓練場ダンジョンへ行け」

「ファイターが丸腰でどうしろってんだ!」

 ダン、と青年がテーブルを拳で叩いた。

「支度金があるだろう。もう使っちまったのか?」

「支度金? そんなの貰ってないぞ」

「……そういうことか」

 面白い話が聞けると期待していた男は落胆した。

「何か知ってるのか!?」

 男は青年に対する興味を失い、晩酌を再開する。

「頼む! 教えてくれ!」

 必死の形相。帰れと言っても引き下がらりそうもない。

 男はつまらなさそうに溜息をついた。

「おまえ、出身はどこだ?」

 唐突な質問に戸惑いつつも青年は故郷の名前を告げた。

「ずいぶんと田舎だな。聞いたこともない」

 青年は言い返そうとしたが事実だったので言い返せなかった。

「おまえはそこの農家の末っ子だろう」

「何でわかった!?」

「田舎者が冒険者になりたがる理由なんてだいたい同じだから、そうじゃないかと思っただけだ」

「同じような理由だと?」

 男は青年をチラリと見て続けた。

「畑を継いだ長男に他の兄貴がいいように使われているのを見て腐ってたんだろ? 自分もああなるのか、って」

 青年は口を閉ざした。沈黙は雄弁なり。 

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