Predicted

Aiinegruth

第一章 架空飾

Centrifugirls――遠心少女――

 Photon epoch 3


 暗い空に手が触れそうだったから、飛び降り自殺をするにはよい高さだった。海面まで一四〇メートル。九州と本州を繋ぐ、関門橋かんもんきょう門司もじ側の白い主塔の上。風音に満ちた四角い足場に、小柄な金髪の少女が腰を下ろす。凪いだ海に敷かれた自衛隊の艦船から目を横に滑らせて、警察や救急車両に閉鎖された自動車道を視界に収める。

 海風のなか、狭い四辺の白に立つ。差した月影を浴びてめくり上がるフード。夜を閉ざして久しい厚い雲の水平が割れ、ごおんという鉄の軋みが足元を揺らす。主塔の左右に張られたケーブルも、そこから縦に降りるハンガーロープも、言葉を打ち消すに足る歪な音を鳴らしている。着て来たパーカーが汚れてしまうのは申し訳ないが、素っ裸で死体になるのはまだちょっと恥ずかしい。最後に飲もうと握った缶ジュースの冷たさが、数分後の自分の体温だ。向けられる照射灯、眩しい。

「イエロー! 止まりなさい! 誤解は解けた!」

「いまさら無理ですよ」

「あなたも、おれたちも、災偽神サスピスゴッドに騙されていただけだったんだ! 全ての遠心能力者たちは釈放された! 誤情報も政府からの訂正が入った! あなたは何も悪くない!」

「その怪我も! 基地の破壊も! 嘘じゃなく僕がやったんですよ! 僕が、僕の力で!」

 護衛艦の甲板に立ち拡声器で叫ぶ青年に、届かない声を金髪の少女は返す。誠意と哀しみに満ちた顔で口を開く彼の左足は、二週間経ってもまだ添え木を外せる状態にない。自分を止めようとして負った大怪我。制服の奥に痛々しい包帯が隠れているのを、同じくらい痛いほど彼女は知っている。

 遠心少女。慣性を使役する力を代々継承する彼女たちは、公的組織と協力し、人災や天災を引き起こす悪魔的存在、災偽神サスピスゴッドと戦っている。

 このドラマ作品、『Centrifugirls――遠心少女――』の前話で深落日災偽神ドゥームズデイ・サスピスゴッドの急襲に単独で挑み、敗北したイエローは、猜疑心を増悪させられたまま暴威を振るって、自衛隊の基地を破壊してしまった。

 災偽神サスピスゴッドも遠心力も原始的存在と言っていい。猜疑心は上古から世界を満たしていて、事件一つで簡単に行き過ぎてしまう。いままでの数話で――人知れず災害を防ぎ、武装テロリストたちを鎮圧するなどして――築き上げたささやかな信頼はすぐに風に流れた。イエローと呼ばれる彼女の事件を受け、各地で災偽神サスピスゴッドの顕現に備えていた遠心能力者たちは、公安や特殊警察の手によって迅速に投獄された。その際にいくつかの争いがあったせいで、彼女たちの正体は破壊の化身だとか、別の侵略者だとか、危険な人類の進化種だとか、刺激的で悪意ある噂ばかりが広まっていった。

 深落日災偽神ドゥームズデイ・サスピスゴッドは一昨日打倒された。しかし、彼のいうように事態が収束したあとでも、自分が引き起こした哀しみはなかったことにはならない。遠心能力者に対して芽生えた世間の疑念の芽は、そう簡単に枯れることはない。

 自衛隊と、遠心能力者――代々隠れ里で暮らしていた――が偶然出会い、小さく衝突した第一話。その終盤で、最初の災偽神サスピスゴッドは言った。遠心能力者は、心を遠ざける力だ。いつか、悪意の慣性に任せて、お前たち自身が行き過ぎてしまうときがくる。それが、お前たちの終わりだと。まさしく、いまがそうだ。誰かが止めなければならない。異常人と常人の間に原初的に横たわり、ここ数日でさらに勢いを増す不信を止めるために、最初の危険がきれいさっぱり消えなければ。衝動はどうしようもなく高まるばかりだ。振り返れば、猜疑心はまだ残っている。自分への深い疑いの意志が、まだここに。

 直下に船はない。風にもそこまで流されない。誰も巻き込まない。跳べ。

 浮遊感はあった。だから、振り上げられた手を握られる感覚に気付くのが、数秒遅れた。

「――行き過ぎてしまうことは、あたしたちの特権じゃないよ。誰にだってある。そして、誤りに気付いたら、やり直せるの」

「ヴァーミリオン……?」

「遠心力に負けないでよ、イエロー。みんな、あなたを引き戻そうとしてるんだから」

 見上げても星はない。代わりに、中空に座す紡錘の巨影。東京から遥々一〇〇〇キロ。関門橋の上には、架かる自動車道と十字に交差するようにして、一基の電波塔がいつの間にか滑り込んできていた。

 迎えに来たよ。手間かけさせやがって。など、壁面に張り付いた遠心少女たちの声が響く。高度は変わらず一四○メートル。強風を裂く外側の鉄筋の一本に天地逆さに足を付けたまま両手を伸ばしたリーダー、赤髪で長身のヴァーミリオンは、思考がとまってぽかんとした表情のイエローを抱き上げた。

 橋台付近に控えていたパトカーや、海峡に集まった自衛隊、岸辺のやじうまから、どよめきの声が上がる。寒さはもうない。触れる柔らかな体温と、重力に逆らって持ち上がる身体。静かに二人が手を握り合うと、音もなく電波塔が半回転した。天地の軸が巡ったあと、イエローは、星辰が並ぶ空を冠して、敷かれた鉄の足場に着地する。猜疑心が押し戻され、溶けて、剥がれ落ちる。

「……帰ろう」

「うん」

 少し間をおいて、カツンと鳴る靴の重奏。舞うVermillion蛍光色Highlighted in yellowの二人に続いて踊り始めた数人の少女たちを起点に、無骨な骨組みから漏れだすオーロラにも似た二色の力場が、満天の星の下の巨影を包み、尾を引き、推進する。

 世界が虚飾に塗れても、どこかに輝く真実がある。遠心力は、猜疑心によって遠くなってしまった心を連れ戻す力だ。愛を、優しさを、諦めないで。どんなに行き過ぎてしまっても、きっと帰って来られるのだから。


『Centrifugirls――遠心少女――』 完

 キャスト 特別協力 

 ヴァーミリオン:ヴェロニカ・ヴィランコート

 イエロー:フタヒメ・ハーレンレファー

 新南陽しんなんよう総合支援学校 遠心科一年


 ・・・・・・


「ばっか、ばかばかばかばか!」

 寝過ごした。深夜三時まで自分が出演したドラマを見返してやる気を高めていたら、起床アラームをかけ忘れた。寄宿舎棟二階の最奥の部屋から飛び出したヴェロニカは、新校舎の木張りの床を踏み鳴らしながら半分泣きそうな顔だった。時刻は一○時ちょっと過ぎ。今日は、高等部三年、卒業試験模試の日だ。くしゃくしゃながらウェーブのかかったクリーム色の髪を揺らして辿り着いた中央廊下では、介護等体験の大学生たちが既に実習の準備を始めている。あれ、女優さんじゃない? という言葉に、いかにも! と立ち止まってニコニコ笑顔で手を振り返し、今日も今日とて床に寝転がったり、窓から顔を出したりしている中学部の友達の横を挨拶しながら通り過ぎ、またばかばかばかっ、と涙を溜めて走り出す。

 本校舎を右に折れて続く連絡通路の突き当りに目的地はあった。辿り着いた前室で指導教官の女性に一喝されたヴェロニカは、しゅんっと縮こまったまま更衣室で薄着になり、衝撃吸収材の敷かれた試験ドームのなかに入る。遅刻時間は二〇分と少し。自分と同じTシャツ一枚にスパッツという軽装で、全くブレなく背筋を伸ばした同級生は、同心円状に線を引かれた床面の中央に君臨していた。スレンダーな肢体と、透明な肌。このドームが彼女一人を展示するためにあって然るべきだと思わせるような、芸術品の冷たいまなざしが、こちらへ向けられる。同じドラマ作品に出演した、イエロー役、試験のパートナーだ。

 ごめんなさいと勢いよく駆け寄って無視を食らうと、ブザーが鳴る。ターン、ステップ。寝不足だが予習は間違いなくばっちりだ。頑張るよという小声に、眼前の小柄なパートナーは長い黒髪を揺らして頷いた。


 V遠心第七分類、ヴェロニカ・ヴィランコート

 H遠心第七分類、フタヒメ・ハーレンレファー

 動試験どうしけん、ヴェーニーズワルツを開始してください。


 息を吐き、二人は踏み出す。その一歩で、朱色Vermillion蛍光色Highlighted in yellowの爆発的な粉塵が吹き上がる。火山灰のように一瞬ドーム内に満ちた二色の粒子のきらめきは、最初のターンでぐんっとそれぞれ引き付けられ、収斂し、肌着に重なってパーカーの形を取る。遠心能力起動、干渉波架空飾Visionary ーHoody形成。

 次に蹴り放されるのは重力だ。朱色の架空飾パーカーのヴェロニカが操るV遠心は、垂直方向Vertical――地球自転に依拠する遠心力を操る力。一拍置いて、浮く。緩衝材の床が遠ざかり、三階部分の防護窓の向こうの監査室の大人たちと視線が合う。

 朱色に遅れて、フタヒメの着込んだ蛍光色の粒子も眩さを増す。触れた手のひらを境にして、二色が相克し、産み出されたエネルギー波が暴風となってほとばしる。壁面に瞬くCOUTIONの表示。ガタガタと揺れる強化ガラスの先に目を向け、指導教員と頷き合い、音楽が流れる。地鳴りにも似た圧を伴って巻き上がるクリーム色の髪をそのままに、リーダーの彼女は小さく言葉を灯す。


「高等部第二一期、ヴィランコート班。――舞踏を始めます」

 

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