第5話 リル
「兄上!」
微かだか、弟の声が聞こえたと、リルは思ったが、振り向かなかった。
軍師ヴァルも、気がついただろう。
だが、リルに続く隊列が、ヴァルの視界を防いでいる。
リルは、前を見据えたまま、後ろに注意を払っていた。
後ろで、何も騒ぎがないということは、軍師が止めたか。
確か、名はキリウェルと言ったはず。
下級貴族の出か。
ヴァルのせいで、危機感を常に心がけるようになったようだ。
ヴァルが、馬を寄せてくる。
「何か、おもしろいことでもありましたかな?」
後ろにいるというのに、見透かされたか。
リルは、ヴァルから、いつでも無表情でいるよう言われている。
相手に、何も悟られるなと。
リルは、しばらく無視したが、根負けした。
「なんだ。」
「敵陣を撃破しましたので、残党を狩るため、炙り出しをさせていただきたい。」
そうきたか。
残党狩りと称して、弟達を狩るか。
「分かった。やれ。」
「はっ!直ちに!」
「ただし、我が民のものを間違っても狩るなよ。我が民を殺したものは、死罪にしろ!」
「…承知いたしました。」
これで、大がかりに弟達を狩ることはできないだろうが。
傭兵上がりの我が軍のものを撒けるか。
リルは、弟にそれほど愛情を持っているとは思っていなかった。
しかし、命を助けようとしたのは、二回目。
さすがに、ヴァルも腹を立てていることだろう。
腹違いで、一緒に暮らしてもいなかった。
ただ、しつこく遊びに来る弟の笑顔を思い出し、何の苦労もなく、危機感すらない。兄弟というただそれだけの愛情。
リルは、邪険にしながらも、慕われることに心地よさを感じていた。
リルは、物心が付く頃に、ヴァルの教育が始まった。
上に立つための教育と軍を率いるための教育。ヴァルの教育は、容赦ないものだった。
とくに剣とケンカまがいの格闘は、コッツウォート出の兵達から非難が多く上がった。
リメルナからの傭兵達も、まだ子供なのに厳し過ぎるだろうと言い出すものがいたぐらいだ。
しかし、リルの頑固さと上達ぶりが、兵達を黙らせた。
いつもぼろぼろになるまで、戦っていた。
最初こそ、倒れこんだリルに手を貸そうとする者の手を払っていたが、いつしか差しのべられる手を取り、兵達の戦い方の話にも耳を傾けるようになった。
自分の今を理解し、考え、学ぶ、これはリルの優れたところであった。
もう1つ優れたところがあった。
母親譲りの気遣いだった。
リルは無表情でいるため、一見して冷たい印象を受けるが、兵達や領民の訴えをよく聞き、早期に問題を解決していた。
そのことが、若き領主の信頼を得ていた。
リルの修練が厳しければ厳しいほど、兵達からの信仰にも似た忠誠心が高まり、兵達の一体感が沸き起こっていた。
剣術でヴァルと相対し、勝った時など、兵達の中には、涙ぐむ者さえいたほどだ。
兵達の多くは、屋敷に帰り自分の妻や子に、または酒場で仲間達と我が主を称えた。
若き領主が誕生し、今、若き国王が誕生しようとしていた。
当の本人であるリルは、ヴァルに勝った時、勝った手応えを感じなかった。
策略。
嫌な気持ちになったが、生まれる前から始まっていた、この策略には、自分はすでに乗っていて、降りることはかなわない。
後は、自分の決意のみだった。
この予想をはるかに越えた敵襲に、急かされている。
すべての決断を。
リルは、思案する。
弟が生きていたことを喜ぶべきか、悲しむべきか。
考えることが、多すぎた。
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