一章(7)ポンコツメイドと「ハンバーバー」

 イーディスはすぐさま厨房に赴いた。厨房の中程まで入ってから、作業に熱中する調理員に声をかける。

「あのう」

 はやくも夕食の下拵したごしらえを始めていた料理長コックが、イーディスを見咎めてこちらへツカツカと歩み寄ってきた。

「なんだ。金皿十枚、何か用か」

「グレイスフィールお嬢様が、ハンバーガーとフライドポテトをご所望です。できるだけ早くお召し上がりいただきたいのですが」

イーディスは早口にそう伝えた。しかし料理長は首を傾げた。

「なんだ、ハンバーバーとかいうのは」

「ええと。ハンバーガーです、料理長……」

「なんだ、ハンバーガーというのは」

料理長は訂正をうけて言い換えた。……言い換えただけだった。嫌な予感に貫かれ、イーディスは恐る恐る尋ねる。

「ひょっとして……ハンバーガー、ご存じない?」

「聞いたことないな。モンテナ海むこうの料理か?」

──嘘でしょお⁉ あるんじゃないの⁉

「……お嬢様は詳しく仰っていなかったのですが、多分モンテナのお料理でしょう……ね」

言葉で誤魔化しながらも、イーディスの背を冷や汗がダラダラ流れ始めた。

どういうことだ。一体、どういうことだ。

「じゃあ、フライドポテトも、もしかして……ご存じない?」

ジャガ芋ポテトなのはわかるが、フライドとはなんだ?」

「ああー……私にもわかりません。どうしよう。困ったわ……」

 いや、フライドポテトだよ。と「私」がツッコミを入れたがっているのがイーディスに伝わってくる。ハンバーガーとフライドポテトだよ。そのまんま、外国由来のファストフードだよ。と。

 でもこの世界にはないらしい。中国もキリスト教も歌舞伎もあるのに、あるのに、ハンバーガーとフライドポテトは無いらしい。ひょっとしたら、海の向こうの貿易相手国、モンテナの料理として存在するのかもしれないけれど。それにしたって! なんなんだこの異世界。設定が雑にもほどがあるでしょうよ! 

 イーディスは途方に暮れた。お嬢様はハンバーガーとフライドポテトをご所望なのだ。なんとかしなくては。なんとか……どうやって?

「厨房をちょっとだけ貸していただくことはできませんか」

「できると思うか? 金皿十枚」

 即答である。

 もはや二つ名となりつつある不名誉な称号に、イーディスはガックリと項垂れた。

「許してください。あのことは不幸な事故だったんです」

「事故だから許すってのがまかり通るなら法律は要らんね」

「うう……」

 イーディスが輸入もののお高い金縁の皿を十枚叩き割ったのは、屋敷に勤め始めて一ヶ月としない頃だった。長く仕立てすぎたメイド服の裾を踏んづけて派手にすっ転んだのである。それ以来、イーディスに厨房の仕事は一切回されなくなった。いっとき出入り禁止にまでされていたのだが、時間経過のためか、今はそうでもない。用をこなすために、出入りくらいはさせてもらえるようになっている。でも、「金皿十枚」も割った小娘だ。その二つ名がある限り、どんな言葉を尽くそうと、厨房を貸してもらえるとは思えなかった。

 ──自分で作れないとなれば、どうすれば。お嬢様は今この瞬間も待っている。

 考え込むイーディスがよほど悲壮感を漂わせていたのだろう、料理長はコック帽子のてっぺんをつまんで、こういった。

「レシピさえあれば作れるが」

「本当ですか!?」

 イーディスは飛び上がった。レシピ! そうか、作り方さえわかれば、似たものが作れるかもしれない!

「あるのか、レシピ」

「あります!」

「よこせ」

 ぶっきらぼうに料理長が手を出す。しかしイーディスは満面の笑みで、こう答えた。

「今から作ります!」

「はあ⁉」

「お嬢様に聞いてまいります!」

「お嬢様に直接⁉ 噂じゃあ……お嬢様は悪魔祓いを呼ばなきゃならないんだろう? お前、行っても大丈夫なのか。金皿……」

「イーディスです」イーディスはキッパリと言った。「イーディス・アンダント。この三日間、お嬢様の御付きをさせていただいております」

 イーディスはそれから、料理長の目をじっと見た。

「それから、これからもおそらく、お嬢様のご要望を私からお伝えすることがありますが……できるだけ、お嬢様の思った通りのものをお届けしたいのです。力を貸していただけませんか」

 料理長はイーディスの目を見返し、しばらくして……ふっと笑った。

「なるほどな。なるほどなぁ。わかったよ。お前さんも成長したんだな。金皿……」

 イーディスは訂正するのをあきらめた。


 ペンはある。ポケットの中の、お嬢様のものを拝借しよう。インクと紙さえあれば、イーディスにもレシピは作れるだろう。……問題は、ろくに字の書けないイーディスが、説明文を書けるかどうかだ。

――でも以前のイーディスよりはまし! 百倍マシ!

お嬢様の部屋にかけ戻り、ノックを三回。

「……失礼いたします」

返事はすぐだった。

「あら、もう出来上がったの?」

「恐れながら、お嬢様。ハンバーガーとフライドポテトは異国のお料理だったようでして、」

ふふ、とグレイスフィールの笑い声が聞こえた。可笑しいと笑うよりも、やっぱりねと、諦めるような笑い方だった。

。わたくし、本か何かで見た空想のお料理を、貴女に注文してしまったみたい」

滲む失望を隠さずに、令嬢は続ける。

「ごめんなさい。──わ。あなた、本当にどこかからそれを持ってきてくれそうだったから。本当に……悪かったわ。忘れて。──いつもどおり、シェフが気まぐれで作っているサンドイッチでいいから。それを持ってきてちょうだい」

「あ、お嬢様、あの……」

 いや、違う。違うはずだ。と、「私」は思った。

 だって「私」も、その料理を知っているから。空想の料理などではないから。異世界ではごく普通に食べられているジャンクフードだから。だからもし、お嬢様が「そう」と知っていてイーディスに無茶な注文をつけたのだとしたら、……それは、誰かに「通じる」のを待っていたのではないだろうか? 誰でもいい、誰かが、それを知っていることを期待したのではないのだろうか?

――お嬢様。いいえ、グレイスフィール。あなたの悪魔は、ひょっとして……

「これも悪魔のせいね、ごめんなさ……」

 イーディスは彼女の言葉を遮った。口が勝手に回っていく。「お嬢様。ハンバーガーというのは、パンで薄いハンバーグのようなものを挟み込んで、ピクルスやチーズやトマトソースを添えてある、サンドイッチのような食べ物でお間違い無いでしょうか?」

「えっ」

グレイスフィールの困惑が、ドア越しに伝わってきた。

「フライドポテトは、スティック状に切ったジャガイモを、油で揚げたお料理ですね? お塩をまぶすのとトマトソースにつけて食べる方法がありますが、どちらにいたしましょう?」

「……し、塩がいいわ」

「かしこまりました」

「できるの?」グレイスフィールは扉の向こう、ごく近くから尋ねた。籠ったような声音の中に、困惑と少しの期待が読み取れた。

「本当に、できるの?」

「再現料理ですから、お嬢様のご期待通りの味になるかは分かりません。ですが、料理長と共に作ってみますわ」

グレイスフィールはしゃっくりをした。

「すごいわね、あなた……本当に、すごいというか、なんというか……」

「恐れながら、お嬢様、紙とインクなどお持ちではないですか?」

「たくさんあるけど、何に使うの?」

「レシピを書いて、料理長に渡します。……問題はわたくしが文字を書けるかどうかです! でも、何とかします。……お嬢様のためですから」

 グレイスフィールはそれを聞いて、

「なら、五分待って。私がわ。貴女が書くよりきっと早いはず」

「お、お嬢様が?」

「うふふ」

 グレイスフィールは心底楽しそうに笑った。

「こんなの、本当に久しぶり」


 五分後。

 静物画もかくやという挿絵付きのレシピが、インクまみれの指先からイーディスに手渡される。見ただけで流麗とわかる字といい、本物と見紛う挿絵といい、これで調理失敗はあり得ないだろう、そう思わせた。

「お、お上手ですわ! すごい! ま……ほうみたいです!」

漫画家みたい、という言葉をすんでのところで飲み込み、イーディスは絵に見惚れた。

「お嬢様には絵の才能がございますね! お嬢様が描いたと教えたら、皆驚きます!」

 少女は照れ臭そうに頬を掻いた。インクが、真っ白の頬を汚す。

「じゃあ、……そのレシピ、よろしくね」

銀色のまつげに縁どられた青い瞳が、確かにこちらを見ていた。

「あなたをなんと呼べばいいかしら?」

「イーディス。……イーディス・アンダントでございます、お嬢様」

「ではイーディス。ハンバーガーとフライドポテト、楽しみにしているわ」

「はい!承りました、お嬢様!」

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