ヘローン 〜軟弱王子と従者のワタクシ〜

木本雅彦

第1話 ヘローン王子の脱走

皆様、はじめまして。わたくし、ヘローン・ヘロヘロ・ロン・ロロロ・ウラジミール王子の従者をつとめております、スチュワート三世と申します。

王子の従者ですから、それなりのお賃金を頂いておりますが、お賃金にみあった仕事なのかと疑問を感じる今日この頃です。

なにせ、この王子ときたら、頻繁にいなくなります。その度に、わたしは王子を探して連れて帰らないといけません。

ところが、この王子ときたら。

ああ、この王子ときたら。

緋色の絨毯の上を歩いてでないと、城に帰れないと言いやがります。

「ねえ、スチュワート。ぼくは仮にも王子じゃないか?だったら、こんな草むらの上を歩くのは、ふさわしい振る舞いとは言えないよ」

「それなら、どうやってここまで来たんですか」

「情熱に駆動されてさ」

「パッションかよ」

「スチュワートは口が悪いなあ」

「いずれにせよ、王子。王子は日暮れまでにこの森を抜けて城まで帰れないといけません。夕食に王子の姿がないとしれたら、それは王様や女王様は驚き悲しむでしょう」

「彼らは僕を溺愛しているからねえ」

「そのせいで、こんなボンクラが」

「何か言ったかい?スチュワート」

「いえ」

「なら、いいんだ。さっそく帰ろうじゃないか」

「帰りましょう」

「絨毯を敷いてくれたまえ」

「それかよ」

「敷かないと帰らないぞ」

「脅しかよ」

「帰らないったら、帰らないぞ!」

「あー、はいはい、分かりましたよ。用意します」

さてとな。

ここは森であります。王子は城の隣の森をうろちょろしていました。森というからには、木が生えています。足元は土やら苔やら草むらやら。加えて大きな岩も転がっています。この岩はどけないといけませんね。城まで絨毯が敷けません。

そんなこんなで、わたくし、毎度のことではありますが、王子を城まで返すために、絨毯と岩の移動をはじめました。

ちょっとやっかいです。絨毯の切れ端も、岩も、動かそうとするとするすると転がって行ってしまいます。何かにぶつかれば止まりますが。

ところが、岩の場合、絨毯の上を転がっていってしまいます。厄介、厄介。

こんなんで、どうやって王子のところから城まで絨毯を敷けばいいのやら。

「まだかい?スチュワート」

「まだ手をつけたばかりですよ。黙って見ていてください」

「仕方ないなあ。じゃあ、ぼくは草でも摘んでいるよ」

「お願いします」

そうしてしばらく経ってからのこと。

「スチュワート!大変だ!」

「どうしたんですか?」

「これを見てくれたまえ」

「どれですか?」

「ここだよ、ほら」

見るとそこには、真っ赤な血を流した小さな生き物がおりました。

「これは……」

「小動物かな?死んでるみたいだけど」

「ええ」

「かわいそうだね」

「そうですね」

「可哀想だから埋めてあげようよ」

「そうですね」

わたくしは、さっそく死体を埋めようとしました。しかし、なかなかうまくいきません。何しろ、地面は絨毯で覆われているのですから。

「だめじゃないですかね」

「やっぱり?」

わたくしは考えました。そして思いつきました。こうすればいいのではないかと。つまり、絨毯をめくればいいんじゃないかと思い至りました。

そこでわたくしは、絨毯の端っこを持って、ぐいと持ち上げました。すると、その下には何もありませんでした。ただの草原があるだけです。

「はて、これは?」

「スチュワート、どうしたんだい?」

「なんと申しましょうか。違和感が、すこし。ただ、絨毯の下には何もありません」

「ほお」

そのときです。

突然、背後から何者かに肩を掴まれました。王子は隣にいます。背中から、気配もなく接近されてしまったとは、なんたる不覚。

わたくしは振り向きざまに拳を振り回しました。

「誰です!」

相手はひょいっと避けてしまいました。そして、その人物は、ふわりと着地しながら言いました。

「わたしです。あなた方がよく知る人物ですよ」

「なんですと?」

よく見ればそれは、先ほど死んだはずの赤い小動物の姿をしておりました。二本足で立っているのが、どうにも不可思議ですが。

「どうしてお前がここにいるんだい?」

王子が訊きますと、彼は答えます。

「なぜって、王子。王子を城まで連れ帰るためですよ。さあ、絨毯に乗ってください」

わたくしは慌てて止めます。まだ道筋はついていませんし、この小動物が味方かどうかもわからないのですから。

ところが、王子はわたくしの言葉など聞いてくれません。

「ああ、わかったよ。乗ったよ」

「そう言って絨毯に一歩踏み出して乗りました」

「ちょっと待って下さい、王子。まだ話は終わっていないんですよ」

「何を言っているんだい?スチュワートだって、そろそろ分かっているだろう?この動物は、僕の従者だよ。君も知っているはずだろう?」

「いえ……知りませんけど」

「またまたご冗談を」

赤い小動物がへらへらと笑いなら言います。

「本当に知らないんですってば」

「困ったなぁ。僕の従者として少し前から雇って、一緒にやってきているじゃないか」

わたしは困惑してしまいました。目の前にいる生き物と王子は何やら状況を理解しているようですが(王子はついさっきまでそんな素振りは見せなかったのですが)、わたしは何が何やらです。

すると赤い小動物がわたくしに向かって言ってくるではありませんか。

「スチュワートさん、実はあなたには記憶がないんですよね?」

「えっ?」

言われてみると確かにそうかもしれません。

自分が何者なのか思い出せないなんてこと、あるでしょうか?…………ないですね! わたくしは自分の名前すらわかりませんでした。これは一体どういうことでしょう? しかし、それならば納得できる点もあるのです。王子の態度がおかしいことや、この赤い小動物のことも。きっとそういうことだったんでしょう。

「はい。そうなんです。何も覚えていないみたいでして……」

「やっぱりそうですか……。まあ、そういうこともあるでしょう」

「それであの、ここがどこだかも分からないんですけど、ここは一体どこなんですか?」

わたしは両手を天に掲げました。そしてふらりふらりと、あたりをさまよい始めます。

「およ、およよ、スチュワートさん、大丈夫ですか?」

赤い動物は急におろおろとし始めました。心配そうにわたしに近づいてきます。しかしわたしはいまや自分が何者なのかも分かりません。ふらりふらりと歩き回ります。

キュッ。

おっと。うっかり赤い動物の尻尾を踏んでしまいました。

プシュッ!

ぷっくりとふくらんだ尻尾の先端から、灰色の煙が吹き出しました。わたしはそれを正面から吸い込んでしまいます。

すると。

思い出した!思い出しましたよ!

森に棲む赤い獣、名前はカンナビッビ!

こいつの体臭をかぐと頭がぼんやりしてしまい、記憶が書き換えられたり消されたりする、害獣です。正気に戻るには、カンナビッビの尻尾から出るガスを嗅がないといけません。

「バレてしまってはしょうがないや。王子が正気に戻る前に、とんずらさせてもらうよ」

「待ちなさい!」

わたしは渾身の踏み込みで間合いを詰めると、カンナビッビが状況理解できずにいる隙をついて尻尾を掴みます。それをぐいと引っ張って、王子の顔の正面に持っていき、キュッと握り締めます。

プシュ。

ガスが出ました。王子が灰色のガスを大きく吸い込みます。

「……ん……んんん……は!僕はなにを!」

「カンナビッビの匂いにあてられていたのです。王子に罪はありません」

「お!赤くて可愛い動物だな。連れて帰ってペットにしよう」

「だから、カンナビッビだって言ってるだろうが、このバカ王子が」

「何か言ったかい」

「いえ」

「では、この新しいペットを」

「具申させて頂ければ、この動物は害獣で猛毒を持っています」

「へえ、へえ、おいらなんかに構わずにとっとと城にお帰りになったほうが」

「黙らっしゃい」

わたしは全身の力をこめて、カンナビッビの顔面に拳を叩き込み、そのまま岩の側面に叩きつけました。

カンナビッビは気を失い、勢いを得た岩はごろごろと転がっていきました。

「ヘローン王子、ちょうどよいです。カンナビッビの皮を絨毯のかわりに使いましょう。ここに絨毯の隙間があってどうしたものかと思っていたのです」

「皮をはぐのかい?ちょっと可哀想じゃないかね」

「害獣ですから」

「ところで、スチュワート。このカンナビッビをこんがり炙ったりしたら、どんな味がするだろうね」

「だーかーらー、猛毒があると言っているでしょう」

そうなのです。このカンナビッビときたら、大した肉もついていない上に、体中に毒があり、その肉を食べた人間は頭がおかしくなってしまうのです。でも皮は丈夫で、色々使い道があります。

さしあたり、絨毯に加工しましょう。色も赤いし、おあつらえ向きです。

……で。

ジャジャーン、できました。

「王子、絨毯がつながりましたよ。これで城まで帰れますね」

「えー、帰るのー」

「か・え・り・ま・す」

そういってわたしは王子の背中を蹴りました。王子は渋々といった様子で、緋色の絨毯の上を歩き、城まで戻りましたとさ。

今日のところは、こんな感じですかね。

これが、わたしと王子の日常です。以後、お見知りおきを。







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