第十二章 腐乱万丈快進撃

第78話「夜明前の繭」

【回想 昨夜】

【未明 大型デパート サンとひさぎの寝室】


──何処から、紛れ込んだのだろうか。

蝶なのか蛾なのかか分からない羽虫が、部屋の隅を舞う。

月明かりだけが差し込む暗い寝室には、少女のか細い寝息が静かに遍満していた。


   「……。……」


時刻は凡そ、夜中の3時位だろうか。

僕は体内時計だけを頼りに上体を起こし、窓の外の満月を眺めた。


   「……僕は」


『僕は、誰なんだろうか?』

ポートラルでアドたちと出逢い、そしてひさぎと関係を持ってからは、めっきり脳裏を過ぎらなくなった問い。

だけれど、今でもふとした瞬間──僕は自分自身に、問いかけてしまう時がある。

例えば昼間の喧騒から隔離され、真夜中の静寂に包まれた時。

僕は問いかけてしまう。

──僕は何者なのだろうか、と。

僕は、何処で生まれ、何処で育ち、何処を目指し、生きていたのだろう。

想い出す価値があるほど立派な人間じゃないかもしれないし、忘れては困るほど大した人間じゃないかもしれない。

そもそも、この世界は分からないことに満ち溢れ──未知にあぶれている。

僕らは何も知らない。

渚輪ニュータウンの外がどうなっているのか? ゾンビと思しき怪物はなんなのか?

日本社会は無事なのか?  僕らの未来に希望はあるのか?

幸せで平穏だった日常は、帰ってくるのか?

僕は知らない。

部屋の隅を舞う羽虫が、蝶なのか蛾なのかさえ、

僕は知らないのだから。


   「……『人間は、死、悲惨、無知を癒やすことが出来なかったので、自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した』……か」


歴史上の名言を諳んじられても、無知は癒やされない。

けれど、いずれ知る時がくるのだろうか。

僕が何者で、世界がどうであるかを。


   「……蛾か」


窓際にとまった羽虫を眇めてから、僕は少女の肩を揺すった。


   「起きろひさぎ。時間だよ」


寝相も、寝起きの機嫌もすこぶる悪い少女は小さく唸って、蝶のように睫毛をはためかせる。

僕が──例え何者であったとしとも、既に来栖崎の物であることには違いない。

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