変わらない関係
「………私が、女性、ね。……ふふっ、死にたいわ……」
「おじょ――坊ちゃま。もうすでに私たちは死んでおります」
「そうですよ、おじょ――坊ちゃん。俺たちは見事に車と共に地面の染みになったんですし、意味ないですって」
「あなたは一度、すぐそこの木で首を吊ってきなさい。そうすれば、前世の件はチャラにするわ」
「ふふ、この僕を甘く見ないことですよ。何せ僕は……いつ、おじょ――坊ちゃんにそう命じられてもいいように、首を鍛えていましたからねぇ!」
「どこの絶〇先生よ……」
なんでこいつ、異世界に行ってもバカな思考は変わらないんだよ。
いや、そうじゃない。今はそうじゃない。
こいつのおふざけに付き合ってる時間なんてねぇ!
「……ともかく、話をまとめるとこうね。私は瑠璃が目覚めたときには既に、この体になっていて、同時に周囲はのどかな草原だった。そうよね、瑠璃?」
「はい。可能な限り周囲を確認しましたが、どうやらこの辺りは本当に何もない草原のようでした。少なくとも、一キロ以内に人はおろか、建造物すら見当たらないところを見るに、ここは間違いなく、日本ではないかと。そして、そのお姿も現実です」
「そう……」
どうしてこうなったのかと思えば、俺の付き人の脳筋執事が原因だが……。
今更文句を言っても仕方ないし、こいつを殺したところで過去が変わるわけでもない。
一旦保留するとしよう。
「おじょ――坊ちゃまがなぜ、そのようなお姿に、且つ口調になっているのかは存じませんが、例の女神が関係しているのでは、と私は愚行致します」
「……あなたたち、先ほどから私のことを『お嬢様』と呼びかけているわよね?」
「「そのようなことがあろうはずがございません」」
「そのネタはいいから。……たしかにこの姿で『坊ちゃま』とか『坊ちゃん』というのは変ね。仕方ないので、私のことは今後『お嬢様』で構わないわ」
「かしこまりました。では、今後はお嬢様と」
「了解です、お嬢」
「刃、あなたのはなんというか……ヤクザの組長の娘みたいなのだけれど」
「お嬢はお嬢です」
「……まあいいわ」
このバカに何を言っても無駄だろうからな。
ってか、心の声と外の声のギャップがすごいな、これ。
裏表の激しいやつみたいじゃねーか……。
「と、話を戻して。今後の方針だけれど……」
「はい」
「瑠璃?」
今後のことをどうしようかと口にすると、不意に瑠璃が手を上げた。
何やら真剣な表情みたいだが……。
「お嬢様。早急に決めねばならないことがございます」
「早急に? 言ってみて」
「お嬢様の……お名前です!」
「……はい?」
名前、いる? それ。
「今まで通り、春原蓮夜でいいと思うのだけれど」
「いいえ、それは男性の時のお名前ですので、却下です! というより、今のお姿でそのお名前は変ですので、そのお姿に合わせた名前は必須かと思われます! 今後、人に会うのであればなおさら!」
「え、えぇ、わかったから、とりあえず落ち着きなさい! そして、少し離れなさい!」
「はっ、こ、これは失礼致しました」
ずずいっ! と顔を近づけて猛抗議してくる瑠璃に離れるように言うと、瑠璃はハッとなって、少しばつの悪そうな表情を浮かべた。
「そこまで落ち込むことはないわ。たしかに、瑠璃の言い分も正しいもの。少なくとも、五感を感じられる以上、間違いなくこれは現実。であるならば、誰かと会うことは必須のはず。その際に、男の名前を使用していると、不自然に思われるかもしれないものね」
「はい。ですので、何か別のお名前を考えるべきだと思います」
「わかったわ。早速決めてしまいましょ。二人とも、何か案はある? 生憎と、私はそういうのが苦手だから」
正直、自分の口調の違和感が半端ないが、その気持ちを抑え込んで、俺は二人にいい案がないかと尋ねる。
「面倒なので、白兎でよくないですか?」
「さてはあなた、考える気ないわね? しかも今、面倒と言いましたし」
あとその名前、俺の髪が白いからじゃないだろうな。
「いえ、自分としては仕える主が坊ちゃんである以上、名前はどうでも。こちらの世界では、名前で呼ぶことはなさそうですしね!」
「……瑠璃。私は今、猛烈にそこのおバカさんを処したいと思っているのだけれど……あなたはどう思う?」
「まったくもって同感でございます。……刃、あなたは我々を転生させてしまったきっかけを作ったのです。ですので、本気で考えなさい。さもなければ、お嬢様の命令で殺害してしまうかもしれません」
にっこり笑顔で殺す宣言をする瑠璃。
やっぱり瑠璃、怖くね?
「そうは言いますが、瑠璃さんは何かあるので?」
「……そうですね。では、アリシア、などいかがでしょうか?」
「アリシア…………うん、なかなかいいわね。では、この姿での私の名前は、アリシアとします。二人とも、改めてよろしくお願いしますね」
個人的に、アリシアという名前は気に入ったし、今後はこれで行くか。
「はい。こちらこそ、今世でも生涯お仕えさせていただきます」
「自分もです」
何のかんの言っても、刃はいいやつだ。
こいつが仕える、と言っているときは基本的に冗談ではなく、本心だからな。
その辺りは信用しているとも。
「……と、そうなると、あれですね。名前だけでなく、苗字も変えた方がいいのでは?」
「刃、さすがにその必要はないのではないでしょうか?」
刃の提案に、瑠璃は苗字を変える必要はないと否定する。
「いいえ、瑠璃。私は家名も変えようと思うわ」
だが、俺は刃の提案を受けることにした。
「なぜ、でしょうか?」
おそらく、春原、のままがよかったのだろう、瑠璃は俺が刃の提案を受けたことに対して、首をかしげている。
そんな様子の瑠璃に、俺は理由を話す。
「二人も知っての通り、私はあの家に生まれたことが心底嫌で仕方なかったわ。新しい世界でも、あの家名を名乗るのは、どうにも気が引けるの。だから、それらを断ち切るという意味でも、私は刃の提案の通り、家名を変えたいと思うわ」
俺はあのグループ会社の御曹司として生を受けたことに対し、人生で最も不幸な出来事と思った。
言い方は悪いが、親ガチャの失敗、という奴だ。
何も知らない連中が見れば、圧倒的当たりだと思うんだろうが、実際の生活をしていると、本気でハズレに思う。
やっぱり、平々凡々な家に生まれる、というのが一番だと俺は思う。
「……そうでしたね。お嬢様――いえ、坊ちゃまは当主様を嫌っておいででしたね」
「えぇ。だから、家名も名前も変えて、私は心機一転、新しい生活を楽しみたいの」
このセリフは、俺の本心だ。
というか、ここが異世界であることはほぼ確定。
何せ、この世界に来てからというもの、空気中に何かよく知らない物質があるような気がしてならないし、体内にも謎の力があるように思えるからな。
正直、どんな世界なのかこれっぽっちも知らないが、前の人生に比べれば遥かにマシな気がしている。
そんな世界で、いつまでもあの世界の名前を使うというのは、普通に嫌だし、何より腹が立つ。
俺は俺という人間なんだ。
親の道具でもなんでもねぇ。
だから、これからの人生は、アリシアとして生きる。
…………なんて思ってはいるが……正直、女になるなんて思ってなかったし、何より異世界に行くなんて、想像すらできねぇよ。
だが、今世は絶対に楽しむ。
そのためには、まずは苗字も決めないとな。
「それで、提案したからには良い案があるのですよね? 刃」
提案者の刃に向かって、瑠璃は期待半分威圧半分で尋ねる。
それは俺も気になるところだ。
こいつは正直、色々と期待できない部分が多いからな……。
「そうですね……前世が、蓮夜、という名前でしたので、その名前を弄って、ローナイト、などいかがですか?」
「アリシア・ローナイト…………うん。なかなかいいわね。では、この世界では、アリシア・ローナイトと名乗ることとします。二人とも、私のことを春原蓮夜、という名前で呼ばないように」
「「かしこまりました」」
よし、これでようやく、ちゃんとしたスタートがきれそうだな。
……しかしまあ、これが男のままでの転生だったら、もっとよかったんだがなぁ。
「……それで、これからどう致しましょうか? 私たちは現在、別の世界へと飛ばされた上に、何もない場所にいます。私としましては、一刻も早く人里へ向かうべきかと思うのですが……お嬢様。いかがなさいますか?」
「その通りね、瑠璃。さすがに、私も一度人のいる場所に行きたいわ。情報収集が先決だし、何より自分の姿を確認したいもの」
二人の発言から、白髪紅眼の美少女になっている、とのことだが、それは親しい二人からの評価。
自分自身でしっかりと確認しないと、な。
……そういや。
「今更だけれど、私……随分と高価そうな服を着ているのね。いえ、外見でなく、質的な方で」
今更ではあるものの、俺の服は前世で来ていた学園指定の制服とは違い、妙に肌触りの良いシルクのシャツに、赤のチェック柄のスカート(膝丈くらい)。
靴は、ローファーに近い形状だ。
「そのようですね。我々は前世と変わらぬ姿に、前世で着用していたメイド服と執事服なのですが……やはり、お嬢様となったことで、衣服を与えられたのでしょうか?」
「おそらくね。……それにしても、スカートというのは、その……な、慣れないわね……」
スカートを抑えながらもじもじしてしまう俺。
…………キモイな、うん。キモイ。
元の自分を知っているだけに、ものすごくキモイ。
ビジュアルがわかれば、多少はマシだと緩和されるんだろうが、外見を知らないしな……。
「――っ! っはぁっ、はぁっ……お、落ち着くのです、私……今のお嬢様は、誘っているわけではなく無意識……。今ここで、変なことをしようものなら、間違いなく嫌われます……!」
ん?
「瑠璃、今何か言ったかしら?」
「い、いえ! なんでもございません!」
俺が声をかけると、瑠璃はなぜか直立不動になった。
今、確かに何か変なことを言っていた気がするんだが……。
しかも、妙に呼吸が荒かった気がする。
……ま、瑠璃自身が違うと言うのなら、問題ないか。
「そう? 何か言いたいことがあったら、遠慮なく言うのよ。今の私に頼れるのは、あなたたち二人だもの」
「そ、そこまで信用していただけているとは……」
「長い付き合いなのよ? 当り前じゃない。刃の方も、おバカさんではあるけれど、それでも兄のような存在だったから」
「年上の男の存在は、やはりお嬢の年齢的には必要でしたからね!」
それは否定できない。
実際のところ、刃がいてよかったと思う場面は多々あった。
なにせ、俺としては肩書的には主従関係ではあるものの、実際には、悪友的存在だったからな。
このバカがいたおかげで、俺は道を踏み外さなかったと言える。
……もっとも、今回はとんでもないことをしてくれたが。
ま、こいつのおかげでしがらみのない、新しい人生を手に入れられたと考えれば、ある意味ファインプレー、か。
死ぬ間際のあれは、少しトラウマだが……。
「さて、と。そろそろ移動しましょう。いつまでもここにいたって意味はないし、日が沈む前には人里に出ないと、色々とまずそうだもの」
「そうですね。お嬢様を狙った、不埒な輩が出ないとも限りません。私たちが全力でお守りしつつ、人里を見つけましょう」
「えぇ、お願いね、二人とも」
「「かしこまりました」」
異世界に来ても、変わらない関係だなぁ……。
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