第10話 流れ星の如く

 破砕音が鳴り響いた瞬間、アレンはクララの上に身を乗り出してかばっていた。

 窓から距離はあったが、破片のひとつでもクララには致命傷になりかねない。守るのは、アレンにとってこの上なく自然な流れだった。

 場が静まると、すぐに体を起こして窓へと目を向ける。


 パキッ、と割れたガラスが踏みしめられる音。


「ちょっと目測誤った……。ここまで派手に割るつもりはなかったんだよ。衛兵とかいるの? 誰かは来ちゃうよね」


 軽~い調子で悪びれなく言っているのは、紫紺のローブを身にまとった長身の人影。目を引くのは、肩から背に流れる毛量多めの銀髪。顎の細い端正な顔に、黒縁眼鏡。

 ん……? とクララがいぶかしげな声を上げた時にはすでに、アレンはその前に立って視界を塞いでいた。


(エリック兄様……!)


 五人兄弟の二番目で、レスターの双子の弟。四角四面の執事スタイルのレスターとは装いがだいぶ違う上に、眼鏡や表情で印象もかなり変わっているが、見る人が見ればその顔の相似はすぐに気づくレベル。クララにしっかり視認される前に、とにかくこの兄を隠して何かしらごまかさねば、とアレンは数歩前に進み出る。


「どんな登場をなさっているんですか」

「流れ星。お願い事してもいいよ」

「そういった茶目っ気あふれる回答は求めてません。何か用事があってのお越しですよね? ガラスを割って。派手に」


 ああ~、とエリックはそこで間の抜けた声を上げた。眼鏡の奥の瞳を光らせ、アレンに笑いかけてくる。


「殺虫剤が混入していた」


 前置き無く話すのは、レスターもエリックも似た者同士。

 鑑定をお願いした香水の件、とアレンはその心を読み解く。


「それは人間が使用した場合も、何かしら影響があるのでは?」

「そうそう。生き物にはあまりよろしくない成分が検出された。使ったら人間でも具合悪くなる。毒だからね。弱った人間ならなおさらだろうな」


 答えを聞くなり、アレンは身を翻す。ぬいぐるみの集められたソファ横に、所在なさげに置いてあった布袋を取り上げ、エリックの元へと歩み寄って突き出した。


「こちらも鑑定お願いします! 持ち帰ってくれても構わないので」


 エリックは「んん~?」と首を傾げながら、袋に手を突っ込む。化粧水の瓶を取り出すと、蓋を開けてひっくり返した。己の口へ向けて。


「飲!!??」


 焦ったアレンをさておき「まっず……」と顔を歪めて舌を出し、片手で喉をさすりながら言う。


「こっちは、花の根の毒だ。口にすると痺れや頭痛を引き起こし、体力的に負けてしまえば命を落としかねない。この瓶、僕でも名前の聞いたことがあるブランドのロゴが入っているけど、偽物じゃない? こんなの肌にのせるだけでも危ないよ。あ~、喉がイガイガする」

「飲むからですよ……。お茶でも……、いや、先にうがいをして少しでも洗い流した方が」

「僕は大丈夫。あとでトイレの住人になるかもしれないけど、そんなのよくあることだから。人体実験は自分でするしかないからね~、毒慣れしちゃった」

「相変わらず一切合財間違えたことばかり言っているけど、他人に害を与えていないという点では偉大だと思います」


 都合よく「偉大」だけを聞きつけたらしく、エリックは妙に得意げに「そうだろ~?」と言ってきた。アレンは敢えて訂正せず、布袋の中を覗き込む。


「化粧品関係は全滅として……。アクセや櫛も何かあるのかな。ここ数日お嬢様の体調が好転しているのは、これを使わなくなったからって理由もある……?」


 思案している間に、エリックがアレンの横をすうっと通り過ぎた。


「どーもこんにちはー。窓壊してごめんね」


(しまった……! 顔でバレる……!)


 目を見開いて成り行きを見守っていたらしいクララは、まじまじとエリックを見上げて言った。


「レスター……?」

「そんなわけ。そんなわけないですよお嬢さん。あの執事とは似ても似つかない、どう見ても別人じゃないですか。このひとは僕が懇意にしている錬金術師です。お願い事をしていたんですが、結果が出たから飛んできてしまったみたいで」


 普段のエリックは「優秀な」錬金術師として王宮勤務をしているが、以前仕事風景について質問したところ「用もないのにいつも兵士が周りをウロウロしている」と言っていた。明らかに監視をつけられている。出てくるときはその間隙をついて抜け出してくるらしく、だいたいまともな登場をしない。

 余計なことは言わないでくれ、というアレンの渾身の願いも虚しく、エリックはクララに対して極めて愛想よく言った。


「燕になって飛んできたんだけど、勢い余って窓に突っ込んじゃってさ。人間に戻ったけど実はあちこち怪我してんの。見る? ウケるよ」

「ウケない。三十男のすね毛なんかお嬢さんに見せないでください」

「すね以外なら良いのか」

「黙って」


(だめだ、エリック兄様のペースに引きずられた。レスター兄様とはまた違う方向性で、「家督継ぎそうにない兄様」筆頭。むしろ継がせない方が平和で満場一致、家族の総意)


 頭痛を覚えかけたが、そんな場合ではない。

 いまは「王宮勤務の錬金術師が有毒成分を確認した」化粧品の出どころや送られた意図を探る方がはるかに重要だ。

 アレンは大きく息を吸い込み、クララの視界を遮る位置に歩きながらエリックと向き合う。


「助かりました。ありがとうございます。あと、魔術か錬金術で壊れた窓を直せたら完璧ですね。できますか? やってください」

「人使い荒いけど、良いよ。普段王様とかお姫様とか俺使い荒い上司には慣れているし。かわいい弟の頼みなら、それこそ喜んで」


 途中からアレンは「わー! わー!」と騒いでそのセリフがクララに聞かれるのを阻止しようと試みていた。

 せっかくの、兄による甘やかしを弟自らによって遮られたエリックだが、特に気にした様子もなく窓へと引き返して行く。

 その後姿を見て、アレンは息を吐き出した。いつの間にか額に汗までかいていた。無駄な体力を消耗しまくった。兄め、と思っていたところで、クララから遠慮がちに「アレン、あのー……」と声をかけられる。一気に、肝が冷えた。


「お嬢さん、割れた窓から冷たい風が。暖炉のそばまで移動しましょう」


 すべてをごまかし尽くす強い意志を持って、アレンはクララに微笑みかける。立って歩けないのはすでに確認済みなので、抱き上げようとそばにしゃがみこみ、片膝をつく。

 顔をあげると、クララは翠眼を楽しげに煌めかせて、アレンを見つめていた。


「どうしました?」

「楽しいなって。また少し寿命が伸びた気がするの」

「あのひとと僕の会話が悪魔への供物になったのなら、幸いです」


 言いながら、アレンは手を差し伸べる。クララがその手に手をのせたとき、ガチャ、という乾いた音がした。

 ドアへとアレンが目を向けると、レスターがメアリーを伴って姿を見せていた。窓際でグシャグシャとガラスを踏み歩いているエリックをちらっと見てからアレンへと目を向けてくる。

 表情を特に変えることなく、厳粛な声で尋ねてきた。


「調査結果が出たみたいだな」






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