第7話 傲慢なお嬢様
「実は私、義母との仲が大変大変よろしくないのだけど。今まで面と向かって『このアバズレ』とか『クソババア』と言う機会がなかったの。今日を境に、そんな自分とさよならしようと決めました」
開かれたドアから女性が部屋に入り込んでくるほんのわずかな時間、クララは早口でそう言うと、目を丸くしているアレンを見上げた。
「あなただけは裏切らないで、私の味方でいてね」
(アバズレ、クソババア? ほんとに、どこで覚えてきたんだそんな言葉。それに何より、「あなただけは」って。俺はいま会ったばかりの素性の怪しい男だぞ。いつの間にそんな信頼を得たのかさっぱりわからないんだが?)
口ほどに物を言う目の訴えを正確に読み取ったかのように、クララは豪然と言い切った。
「なにしろあなたは私の『色欲』担当なんですもの。もはや私の一部。一心同体」
「うわぁ……。いくらでこの体が買われたのか、先に確認しておけば良かった」
「金額確認してないの? あなた意外と抜けてるわね、大丈夫?」
その可愛らしい唇から次々と飛び出す言葉のせいで、思わず二人だけの会話に集中しかけていたが、こほんと咳払いが耳に届いたときにはすでに、伯爵夫人が目の前に立っていた。
クララとは似ても似つかぬ茶色の髪に同色の瞳。白く塗られたような肌、厚い唇。結い上げた髪の形も、フリルとドレープ多めのドレスもそれなりに流行を取り入れてる。化粧でわかりづらいが、執事を務めるレスターより年下かもしれない若さだ。
アレンが一瞬でそれだけ見て取ったのと同様、夫人もまたアレンの頭のてっぺんから足の先までさっと一瞥し、「んん~」と曖昧な微笑を浮かべた。
値踏み。
夫人はアレンに直接話しかけることなく、クララに笑いかける。
「レスターが男娼……、あなたの
「どうかなってどういうこと? 覗き見しにきたんですか、お義母さま。そんなに継娘の初夜が気になります?」
煽りvs煽り。
口を挟むことなどできるはずもなく、アレンは沈黙を保った。
ほほほ、と笑って夫人はアレンに視線を流してくる。再びの、値踏み。
直接話しかけてくることなく「ずいぶん若いわね」と呟いてから、思い出したように手にしていたガラスの小瓶を差し出してきた。淡いピンク色で、赤いリボンが結んである。
「最近、若いお嬢さんたちの間で流行っているという香水よ。今日ヴィンスが持ってきてくれたの、あなたのために。気の利く青年よね。部屋からでることがなくても、流行りのものでも使えば気分が明るくなるんじゃないかって。ほらすごく良い香りよ、使ってみて」
クララが、厳然とした声でアレンに命じた。
「受け取って」
蝋細工のような指がこれまでほとんど動いていないことに、アレンは気付いていた。小瓶とはいえ、掴む握力があるのかも怪しい。黙って手を出して夫人の手から受け取ろうとする。一瞬、夫人は手を引っ込めかけたがアレンは素早くその手から瓶をさらった。
見計らったタイミングで、クララが続けて命じた。
「床に叩きつけて」
常識を挟んだら動けなくなる、という直感に従い、アレンは勢い良く瓶を床に落とした。割るつもりだったが、絨毯に受け止められて転がっただけ。
目を大きく見開いてその様を見て、夫人はわざとらしくひっと息を飲んだ。
上目遣いにアレンを睨み、「野蛮な」と聞こえる音量で呟く。
一方のクララは憮然とした表情をして、強い語気で言い放った。
「マクレイ卿からの贈り物など、届けて頂かなくて結構です。あの方が私に婚約を申し込んでいたのはもうずいぶん前の話でしょう? 余命宣告を受けた私に用などないはず。それとも、確実に殺すために何か仕込んできたのかしら」
「あらやだ、なんてことを言うの。ヴィンスはそんなひとじゃないわ。あなたはその同情されがちな境遇のせいかわがままばかり。他人のこともずいぶん悪く言うわよね。どうかと思うのよ、女親としてあなたの教育にはもっと」
「どうせ私はこの体よ。一緒に社交界に出ていくこともないし、女王陛下に拝謁することもないわ。十歳しか離れていないのに頑張って母親面などしなくても結構。あなたの
鉄面皮との異名をとるレスターの弟として。アレンは気合で、表情を無に保った。
言われ放題の夫人は表情筋をひくひくと
暑くもないはずなのにせわしなく自分を仰ぎながら、クララを睨みつけた。
「今日はずいぶんおしゃべりのようだけれど、病気に障るわよ」
「ご心配ありがとうございます。これからの出来事に期待しかないから、いつもより元気なの。出ていくの? 行かないの? アレン」
名を呼ばれて、アレンは表情をほころばせた。
「奥様、ドアまでお送り致します。本日はお嬢様へのお見舞い、誠にありがとうございました」
退室を促すように先導し、ドアまで歩く。
イライラとした様子でついてきた夫人は、ちらりとアレンに視線をくれて、低い声で呟いた。
「下賤の身で、いっぱしの口をきくものね。レスターが連れてきただけのことはあるわ。その若さで高級男娼といったところかしら」
言葉に滲む
「味見は御免被りますよ。俺はお嬢様のものです」
「おお、汚らわしい」
あとはもう、見るのも嫌とばかりにドアを出ていった。
鼻先で大きな音を立てて閉まったドアを見て、アレンはクララを振り返る。目が合ったところで、極めて素直な感想を口にした。
「仲悪いね」
「良かったことなんて無いわ。その瓶も捨てておいて、何が入っているかわかったものじゃない」
窓際まで引き返し、アレンは絨毯に転がった小瓶を拾い上げた。蓋を開けて、慎重に匂いを確認する。立ち上る甘い香り。吸い込みすぎたのか、むせた。その瞬間、「何が入っているか」の言葉が耳にこだまし、妙に胸に引っかかった。
「これ、俺が預かっても良い? 少し調べてみたい」
「構わないわよ。未使用ですもの、誰かあなたの愛しい相手に贈っても良いわ」
「そんな相手はいないし、出どころがわかっているだけに俺だって本当はすぐにも捨ててしまいたいよ」
そう言いながら、ジャケットの内ポケットに瓶を納める。
揺り椅子の正面に立つと、クララはアレンを見上げて口の端を吊り上げて、笑った。
「さっきの、どう? 『傲慢』はクリアできたと思う?」
ほんの少し考えてから、アレンは正直に告げた。
「どちらかというと、『憤怒』かな。いずれにせよ、積年の不満をぶちまけたにしてはまだまだ足りない。アバズレとクソババアどうした。ところでお嬢さん、具合は?」
「……とても眠いわ……。『色欲』はまたね。おやすみ」
聞き取りにくいくぐもった声で告げ、クララは目を瞑った。
無理がたたったのか、クララが次に目を覚ましたのは、それから実に四日後のことだった。
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