第4話 ゴロツキの自己紹介

 郊外の伯爵邸に着き、馬車から降りると肌寒い風がウールのコートを突き抜けた。

 肩をすくめて両腕で自分の体を抱きしめながら、アレンは目の前にそびえる伯爵邸を見上げる。

 

 漆喰仕立ての白壁にアーチ型の窓が並び、二階の外壁には瀟洒なバルコニーがしつらえられた三階建ての独立型住宅。

 領地と王都の行き来はお嬢様の体に障るのでかなわず、さりとて街中の集合住宅に住むのも落ち着かないということで、一家で郊外住みを選択しているということ。

 アレンが玄関へ目を向けたそのとき、ちょうどドアが開いて金髪の男がジャケットの裾をなびかせて足早に出てきた。

 黒のロングコートを身に着けたレスターと、その横に立つアレンを一瞥して目を細める。立ち止まってレスターを指差し、一人で何度か頷いた。


「お前が、新しく来たっていう執事か。なるほど聞いた通り、見目の良い男だが、しょせんは卑しい身の上だろう。伯爵に取り入って信頼を得ているようだが、その程度で超えられるほど身分の壁は薄くないぞ。わきまえろ」


 凍てつく風に、レスターの睫毛が微かに揺れた。横目でそれを見て、アレンは一歩前に踏み出した。


「はじめまして。僕はこの家に招かれた客です。後学のためにお聞きします。あなたのその挨拶、それは貴族の礼儀作法にのっとって、正しい自己紹介なんですか?」

「自己紹介?」

「『僕は自分の機嫌を八つ当たりでしか晴らせない五歳児でしゅ。他人によしよしされる特権階級だってわめいていないと一秒も生きてられないんでしゅ』って言いましたよね、いま」


 人好きのする甘い美貌に、品の良い微笑を浮かべた唇。非の打ち所のない笑顔。堂々たる態度。

 言われた内容が強烈な嫌味と遅れて理解したらしい男は、さっと顔を強張らせた。

 表情を動かすことなく見守っていたレスターが、格別張り上げずともよく透る声で呟く。


「五歳児はもう少しマシだ」

「お前ら……っ」


 当然、聞き咎められた。しかし、意に介さぬ無表情でレスターは淡々と続けた。


「この方は伯爵の客人です。当家の敷地内で侮辱を口にする行為は、伯爵へ無礼を働くも同然です。それはマクレイ卿の本意ですか」

「客人だと……!? 貴様何者だ」


 剣呑な調子で問われ、アレンはことさらに花がほころぶような笑みを広げて答えた。


「お嬢様の話し相手として参りました」


 ふん、と小馬鹿にしたようにマクレイというその男は鼻を鳴らした。整っていると言えなくもない男くさい顔に、嫌に皮肉げな笑みが浮かぶ。


「それはクララ嬢のことか? 死の床にあり、話すどころではないとついさっき伯爵自らが言っていたが。冗談もたいがいにしろ」

「なぜ冗談と決めつけているんですか。お嬢様たっての希望であり、伯爵様が叶えたから僕はここにいます。なにしろ、お嬢様は本来なら社交界デビューをなさるお年頃。ダンスのお相手はできなくても、僕はこのおしゃべりでお嬢様を楽しませてみせますよ。なかなか口が立つと思いませんでした?」


 付け入る隙を与えぬ、爽やかにして皮肉の効いた弁舌。不利を悟ったか、興ざめしたようにマクレイというその男は言い捨てた。


「あれは、ベッドに横たわるだけの骨と皮だ。相手をするなど時間の無駄。よほどの暇人なら別だがな」


 唾を吐き、二人の横を通り過ぎて冬枯れた前庭を突き進むと、準備していた馬車に乗り込んで門から出ていった。

 見るとはなしに見送ってから、アレンはレスターに笑みを向けた。


「あのゴロツキは、何ですか」

「ヴィンス・マクレイ。この国で女性に相続が認められる法改正があったのはほんの一年前。それまで、当主が死ねば血縁を辿って爵位と財産が譲渡されるのが通例だったのはお前も知っているだろう。彼は伯爵の遠縁で、法改正前の時点でその筆頭だ。事情が変わってからはお嬢様との婚約を持ちかけてきていたが、お嬢様は決して受け入れなかった。伯爵もあの男に気を許していない。いまの奥様は、懇意にしているようだが」


「いまの奥様?」

「後妻なんだ。結婚してもう十年になる。前の奥様が亡くなり、子どもは体の弱いお嬢様がひとりだけ。若くして嫁いできたいまの奥様は跡継ぎを生むことを期待されたが、音沙汰がなかった、と。なかなか苦しいお立場だとは思うが……、こうもあからさまに間男を引き入れるとは。いや、いまのは忘れるように。私にも確証はない」


 言い過ぎたとばかりに、レスターは口をつぐむ。勤めて日が浅いとはいえ、立場上色々見聞きしているのかもしれない。だが、醜聞となりかねない内容だけに、慎重にもなるというもの。

 とはいえ、しばらくこの屋敷で暮らすアレンが、事情を知らずに妙なことに首を突っ込まぬよう、口を滑らせたふりをして忠告をくれた節もある。


(奥様か……。伯爵との間に男子が生まれていれば安泰だったろうけど、兄様の言う通り、この国で女性に相続が認められるようになったのは、ここ一年くらい、本当に最近だ。伯爵にもしものことがあったとき、自分には何も残らないと思えば後継者と目される相手に取り入るかもな……)


 なるほど、と思いながら「同じ後妻が奥様していても、元気いっぱいの男兄弟だらけのうちとは大違いだね」と軽く流した。

 レスターは二階の窓を見上げて、独り言のように呟く。


「奥様は、お嬢様の看病にはずいぶん関心を寄せていて、これまでも見舞いがてら率先して世話を焼いてきたようだ。それでも回復することなく、余命宣告となったわけだが……。なんにせよ、くれぐれも、お前はお嬢様に心を傾けすぎないように。飼い猫が虹の橋を渡ったときにお前が寝込んだ件、忘れていないぞ。本音を言えば私は非常に心配しているんだ。お前がお嬢様に入れ込んで、いざ別れということになったら……」


 重々しい物言いに対し、アレンは反射的に安心させるべく笑いかけてみせた。「大丈夫だよ、兄様。俺のことは心配しないで」と。

 粉雪をはらむ冷たい風が、アレンの赤毛を乱して吹き抜けて行った。



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