第3話 いわゆる奥手

 レスターが伯爵邸から乗ってきた馬車は、生家から離れた場所に待機していた。レスターは御者に対し、「伯爵からの頼まれごとを片付けてきた」と告げ、兄弟と紹介することなくアレンを同乗させた。そして、伯爵邸へと向かう道すがら、アレンに事情を説明する。

 アレンは両手で顔を覆って呻いた。


「そういうこと……、そういうことね。事情はわかったけど、こう見えて俺は結構清らかだよ?」

「わかっている。お前は昔から、口ほどに手が出ない。いわゆる奥手だ」


 道が悪いらしく、ガタガタと音を立てて馬車が揺れる。指の隙間からアレンがレスターの横顔をうかがうと、冗談を言ったつもりもないらしく、相変わらずの無表情で前だけを見ていた。


「後学のために聞いておきたいんだけど。男娼の教師見繕っても良いって言っていたけど、どのへんから連れて来るつもりだったの?」

「……学生時代の友人に、女性が得意な男が……」

「そのひとで良くない? 俺、絶対にボロ出すよ?」


 レスターは腕を組み、足を組み直した。アレンに横目を流し「ボロは出すな」と釘を差してくる。その上で、どことなくためらいがちに続けた。


「お嬢様たっての望みとはいえ、簡単に手を出すような男を差し向けるというのも……。アレンくらい奥手でちょうど良い」

「謎の信頼をありがとうございます、兄様。身持ちが固いのは男でも女でも長所に数えて良いと思いますよ、俺は。名誉なことです。我が家で言うと兄様と俺がまさに。ですよね兄様。ご結婚の予定はまだ全然ですか?」


 レスターはアレンの視線を逃れるように、すうっと反対側を向いてしまった。

 学生時代、学友に次期公爵がいた関係で、卒業後公爵邸で働き始め順調に昇進したレスター。その才覚を見込まれて、つい先ごろ公爵家に縁のあるメイナード伯爵家に執事として雇われることになったという。家格はもちろん公爵家に及ばないが、その若さでは昇進の部類。ちなみに、いまだ未婚。所要で実家に顔を出した折に父親に口やかましく急かされても「自分は死んだものと思って、家督は弟の誰かに」とあしらっている。仕事と添い遂げる気らしく、浮いた噂のひとつもない。


 男爵家には五人の息子がいるが、レスターの母親は息子を四人生んで夭折している。現在は、一人だけ腹違いであるアレンの母親が男爵夫人に収まっているが、上の兄たち四人を押しのけて我が子を跡継ぎに、と言い出すほど荒々しい性格ではない。未婚を貫くレスターの身の振り方を実の母親のように気にしており、「次期公爵様もうちの息子をなんだと思っているのか」と悔しがる父親に全面同意している。

 気にしていないのは、本人ばかり。


「もしかして、兄様はどなたか心に決めた相手でも? 叶わぬ恋に身を焦がし」


 アレンが胸に手を当てて芝居がかった動作でそう言うと、ようやく振り返ったレスターは、たった一言。


「馬鹿なことを」


 会話はそこで終わり、あとは事務的な内容に移行した。

 クララの前ではレスターと兄弟である事実は伏せておくこと。余命宣告を受けているだけあって、体調を崩しがちなので、「男娼」としての勤めを果たす可能性は限りなく低いこと。一番の仕事は「ベッドに寄り添って話し相手を務めること」になるであろうこと。


「お嬢様はお小さい頃から些細な運動ですぐに熱を出し、寝込むことが多かったと聞く。最近は特に、、起き上がっているのもお辛そうなほどだ。どこで男娼という言葉を知ったのかわからないが、具体的に何がしかの色事ができるとは到底考えられない。話すのはお好きな方だから、アレンはあの方を退屈させないことを第一義とし……。その上で、何か気になることがあれば、アレンの裁量で動いて構わない」


 アレンとレスターの間柄でなければ、聞き落として気にも留めないようなさりげない後押し。注意深く耳を傾けていたアレンは、レスターの顔を見ることなく素早く思考を巡らせる。


(お嬢様の体調の変化には、何か事情があると考えている、か? だけど兄様は立場上、表立って動きづらい。だからこそ、俺に探らせようとしている)


「わかったよ、兄様。きっちり働きます」


 ごく軽い口調で請け負ったアレンの憶測を肯定するように、レスターが低い声で言い添えた。


「間に合うと良いんだが」

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