カップ一杯のコーヒー

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

第1話 カップ一杯のコーヒー

 俺の恋人、ミズキは最高に可愛い。


 男同士で付き合い始めて三ヶ月。俺は本格的な就職活動の時期を迎えていた。


 俺が忙しくしていると、段々と機嫌が悪くなっていく。ミズキに笑ってほしい俺は、どうしたら機嫌が直るかと試行錯誤を繰り返した。


 ミズキは、機嫌なんて取らなくていい、余計なことをするなと言って帰ってしまう。追いかけるともっと怒る。仕方なしに粛々と就職活動をこなす間に次の週末が来て休みになると、ぶすっとした顔で合鍵を使い入ってくるのがこれまでの流れだった。


 前まで付き合った女たちだったら、「面倒くさい」とバッサリ切っていたかもしれない。


 だけど、俺の中にミズキを切るという選択肢はない。


 だって、可愛すぎる。構ってもらえず機嫌が悪くなるのを止められないから、それで自分の家に帰っているんだぞ。


 素直に謝れない天の邪鬼のミズキは何も言わないけど、ぶすっとした顔のまま俺の膝の上に乗ってきて甘えるんだから。


 そんな風に過ごすのが当たり前になってきた頃、週末になってもミズキが俺の家にこなくなった。


 当然、俺は焦る。電話をしても、素っ気ない返事ばかりで会話が続かない。


 これはいよいよ飽きられたのか。俺は大いに焦り、電話を切った後に必死で考えた。ミズキが好きでつい笑っちゃうものは何だ。


 そして、駅前のケーキ屋に走った。この前、期間限定のアップルパイを買ってみたら「甘いものは好きじゃないんだよね」とブツクサ言っていたミズキが、ひと口食べて目を細めたのを思い出したのだ。


 それは大人な味のアップルパイで、シナモンがたっぷり掛けられた一品だった。


 幸い、アップルパイはあった。だけどホールしかない。細くて折れそうなのに、最近太ったと気にしているから一瞬迷う。


 でも。


 俺はホールのアップルパイを買うと、ミズキの家に急行した。


 家にいなかったらどうしよう。他の男が近付いていたらどうしよう。放っておくつもりはなかったけど、前ほどミズキに時間を割いてなかった最近の自分を呪う。


 ミズキは寂しそうだったのに。それでもぐっと我慢してくれていたのに、俺はミズキが歩み寄るのをいつの間にか当然と思っていた馬鹿野郎だ。


 アパートに到着すると、中に別の男がいたらどうしようと思いながら合鍵を使ってドアを開けた。


 ミズキの家は、玄関を開けたらすぐに部屋だ。


「ミズキ!」

「え……っ」


 美味しそうなコーヒーの香りが漂う部屋にいたのは、ミズキひとりだった。俺はへたへたと玄関にしゃがみ込む。


「ど、どうしたんだよ春馬!」


 ミズキが焦った様子で俺の元に駆け寄ると、膝を付いた。俺は、逃すまいとミズキを腕に掻き抱く。


「え!? なにちょっとどうした!?」

「ミズキ……!」


 ミズキが離れそうになり、恐怖で身が竦んだ。今は今で、腕の中にいる美しい人が消えてしまわないかと恐怖で震えている。


「ちょっと春馬、痛いだろ……て、それなに?」


 俺の腕の中で藻掻くミズキが、玄関に投げ出されたアップルパイが入ったケーキの箱を見て尋ねる。


「……アップルパイ。ミズキが前好きそうだったから」

「俺、好きなんてひと言も」

「顔ずっと見てたから」

「……馬鹿だな」


 ミズキの身体の力が抜けた。もう逃げないかな、と腕の拘束の力を弱める。相変わらずぶすっとしたミズキの顔。その中に、嬉しさが垣間見えて、俺は吸い寄せられる様に唇を重ねた。


 ミズキも抵抗しない。何度か啄むようにキスをすると、ミズキが緩んでくる頬を必死で引き締めようとする姿があった。


「しゅ、就職活動に専念しろよな! 今は大事な時期だろ!」

「ミズキがいないと専念出来ない」

「おま……っ人が折角努力して……むぐっ」


 もう一度キスをすると、ミズキが黙った。


「俺の邪魔になると思ったの? そんな訳ないじゃん」

「だってさ……」


 唇を尖らせて目を逸らすミズキ。俺はミズキの顎を掴むと、俺に向かせた。ミズキの目が大きく開かれる。


「ミズキ、一緒に住もう」

「へ?」

「お揃いの指輪も買おう」

「ちょ、ちょっと待て春馬」


 俺は説得を始めた。二人で暮らしたらお互い如何に幸せになれるかと、切々と。


「ね?」


 ミズキがいれていたコーヒーからは、もう湯気は立ち昇っていない。その代わり、ミズキの顔から湯気が出そうだ。


「わ……分かったよ!」


 とりあえず入れば。顔を真っ赤にしたミズキが立ち上がり、俺を中に招く。俺はミズキの後を追うと、膝立ちをしてミズキの腰に抱きついた。


「……アップルパイあるんだろ」

「うん、食べよう」

「コーヒー冷めちゃった。最後の一杯だったのに」

「一緒に飲んでいい?」

「……不味くても文句言うなよ」


 へへ、とミズキがようやく笑顔を見せる。


 この先、俺はまたミズキを寂しがらせるかもしれない。


 その時は今日みたいにアップルパイを買って、カップ一杯の冷めたコーヒーを二人で分け合ったら、ミズキは今日のことを思い出して許してくれるだろうか。


 愛してる、と俺が言うと、ミズキは知ってるし、と笑顔で答えた。

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