第49話 閑話

 暗く狭い部屋だった。

 最低限の補修はされているが、明らかに人の住んでいなかったため、傷みがあちこちに見受けられる。

 ダンテをはじめ、ナツィオーニの町からきた弟子一行が住む家だった。

 一人ひとりの場所は極めて狭い。

 暖炉に火が焚かれ、僅かな明かりが部屋の輪郭を浮き上がらせている。

 フランコとダンテが、暖炉を囲んで座っている。


「ダンテ、料理をもらってきた。食べようじゃないか」

「ああ。ありがとうよ」


 フランコはワインを口に含む。

 ブドウの豊かな香りと、ほのかな甘さ、辛さが口の中に広がる。

 今年の夏は暑かった。

 かなりブドウの味が濃くなっている。

 ダンテは皿を受け取ると、黙々と食べ始めた。


「……ウメェな」

「見事なものだ。素材自体は大して変わらないだろうに、作る人間の腕次第でこうも味が変わるのかね」

「俺はスープってのは、もっとアクが強くって、エグみのあるもんだと思ってたが」

「こんな料理を食べると、他の村に視察に行くのが嫌になるな」

「普段からご馳走ばっかりで、腹にくるんじゃねーか?」

「毎日馬に乗って、太る暇もないさ」


 人の倍はあろうかという巨体だ。必要な栄養量も人一倍だろう。

 持ってきた料理は次々と口の中に消えていく。すぐさま皿の上は綺麗になった。

 フランコは冷静な目で、ダンテの様子を観察していた。


「ダンテ、あれはいただけなかったな」

「すまなかった」


 ダンテの頭が軽く下がる。

 そこには宴会で見せたような図々しさはどこにもなかった。


 思えば哀れな男だ、とフランコは思った。

 ダンテは決して馬鹿ではない。

 きっちりと意図を把握させれば、素直に動くし、成長もする。

 それが今のような性格になったのは、育ってきた環境のせいだろうというのが、フランコの分析だった。


 ダンテはナツィオーニと妾の間に産まれた三男だ。

 だが、ダンテにとって不幸なことに、ナツィオーニが愛したのは息子ではなくその母親だけだった。

 母が産褥熱で亡くなると同時に、ナツィオーニはダンテへの興味を失った。


 後を継ぐならば上の兄弟がいる。

 上の兄弟も変わらぬ怪力だが、最低限の躾はされているため、問題を起こすことは少ない。

 逆に放っておかれたダンテは、思春期になるに連れて親の目を引こうと悪戯を繰り返し、かえって遠ざけられるようになった。

 領主の息子という地位を利用して、ガキどもの大将気取りがいまだに抜けていない。

 厄介者のように扱われ、町にいられなくなったというのが現状だった。

 困ったところは多いが、大本に悪意を感じられないので、フランコも嫌い切ることが出来なかった。

 噛み付き癖のある犬のようなものだ。

 躾をしっかりしていれば、噛み付くこともなくなる。


「なあ、フランコ」

「なんですか?」

「俺がこの村で成果を上げれば、本当に領主の後継ぎとして推薦してくれるんだろうな」

「それはもう。お約束しますよ」

「分かった。信じるぜ」

「それなら、明日にでも騒ぎを起こしたことはしっかりと詫びるのですよ」

「ああ。ついカッとなっちまった。ダメだな……」


 普通に考えれば、ダンテに後継者の鉢が回ってくることはない。

 だが、徴税吏として領内の実務を一手に切り盛りしているフランコが強く推せば、パワーバランスは大きく変わる。

 自分がいなければ、この領地は成り立たないという自負が、フランコにはある。

 ナツィオーニの一族は、皆体躯に優れ、戦場では無類の強さを発揮するが、実務にまるで理解がないのが問題だった。


 まあ、せいぜい努力すれば良い。

 ダンテの接し方は問題が多い。円滑な交渉など望むべくもない。

 失敗すれば協力の話は最初から無かったことになるし、成功すれば援助したという実績を作れて、ダンテが領主になった時、動きやすくなる。

 同時に兄弟たちには厄介者のダンテを追い出したという口実を作れている。

 どのように転んでも、最後に損を被ることがないように立ちまわれる自信があった。


「君がここで実績を積むには、あんな態度ではダメだ。敵意を募らせるだけだからね。せっかくここでは町での評判を知る人間がいないんだ。第一印象を覆すには大変だろうが、頑張るんだね」

「ああ。あんたは唯一俺の後継に協力すると声をかけてくれたからな。期待には答えてやるよ」

「まあ無理はしないことだ。一つ一つ着実に進めばいい」


 ダンテがエイジの技術をどれだけ学べるかは甚だ怪しい。

 他の四人についても釘を差しておく必要がある。

 フランコはゆっくりとエールを飲む。

 宴会はまだ続いているだろう。

 溶けこむきっかけは出来たのか、あとで話を聞くことにしようと考えながら、食事を進めた。






 それからかなりの時間が経って、カタリーナが帰ってきた。

 彼女だけが、女性ということで別の家を用意されていた。

 わざわざ騒動の種を作ってくれるなという、防護策だ。


 白い肌が暗がりでも真っ赤になるほどアルコールに染まっている。

 かなり楽しんできたようだな。

 フランコはカタリーナが気付くよう、声をかけた。


「お帰り。楽しめたかい?」

「フランコさん。はい。親方のエイジさんも、奥さんのタニアさんも良くしてくれました。これから仲良くやっていけそうです」

「それは良かった。君を連れて来たかいがあったというものです」

「本当に感謝しています」

「なに。こちらの希望とたまたま合致しただけですよ」


 勢い良くお辞儀するカタリーナに、手で抑える。

 放っておけばいつまでも頭を下げそうだった。

 それに感謝されるほどのことではない。

 今は何の利益も生まれないが、技術を学んだ後には、何倍にもなって返ってくる予定なのだから。


 ダンテがお荷物の押し付けなら、カタリーナは正攻法での技術獲得だ。

 新技術に対する抜群の好奇心、熱意、元気いっぱいの性格は、必ずああいった職人タイプの人物が気に入るはずだった。

 早くも交流を築いてきたというのだから、自分の目に狂いはなかったらしい。


 唯一の心配は、このままカタリーナがシエナ村に住み着いてしまうことだが、まあその心配もないだろうとフランコは考えている。

 今回シエナ村に連れてきた人物の人選には、断れない、帰らざるをえない事情がある者を選んである。

 カタリーナが鍛冶に並々ならない興味を持っているのは確かだが、シエナ村行きを熱望したのはそれだけではない筈だった。


「カタリーナ君には、少しお願いがある」

「何でしょうか? 私の望みを叶えてくれた以上、できる限りのことはするつもりです」

「そんな大したことじゃないよ。ダンテ君をそれとなくフォローしてやってほしい。もちろん手に負えない場合は、その限りじゃない」

「ダンテさんを?」

「ああ。彼は今日も問題を起こしたばかりだからね」


 カタリーナの表情にわずかに恐れが浮かんだのが分かった。

 顔色に一瞬血の気が引いた。

 カタリーナは元気で体全体で感情を表現するが、決して気が強い性格ではない。

 粗暴なダンテとの相性はあまり良くないだろう。

 いや、ダンテを完全に御せるのはこの村では村長とあのジェーンという女ぐらいか。


 フランコが考えに浸っている間も、カタリーナは悩んでいたらしい。

 表情を引き締めると、頭を下げた。


「分かりました。不肖カタリーナ、全力でサポートします!」

「いや、全力じゃなくていいよ。出来る範囲で」

「はい。出来る範囲、全力でサポートします!」

「ああ、うん……よろしく頼みます。……ふははっ」

「フランコさん?」


 まったく変わった娘だ。

 湧き上がる喜悦を押さえつける。

 怪訝な表情を浮かべるカタリーナに、なんでもないと目で訴えながらも、笑いが止まらない。


 多くの人間を税収という面で見てきた。

 同じように働いていても、成功するタイプと、一生うだつの上がらないタイプと分かれる。

 カタリーナはまず間違いなく成功するタイプだ。

 人を惹きつける天性の魅力がある。

 思わず応援したくなる。

 これは先が楽しみだな、と思った。





「お前たち、遅いぞ」

「あ、フランコ様」

「すみません」


 残る三人の男たちは、皆酔いが回りすぎたようだった。

 シエナ村のアルコールは、普段口にする物より遥かに美味く、そして酔いやすい。

 いつもと同じペースで飲めば、酔いつぶれるのも仕方がないだろう。

 だが、まだ春先の夜ともなると肌寒い。

 待たされる身になってみろと、フランコは言いたかった。


「で、どうだね、やっていけそうか」

「は、それはもう」

「身を粉にして働く所存です」

「まあ、頑張り給え」


 税を納められなかった者ばかりだ。

 口を利く代わりに村に送られた者ばかりだから、命令にはよく従う。

 一番使いやすい人材だった。


「お前たちの仕事は分かっているな」

「は、はい」

「失敗は許されないぞ」

「肝に銘じます」

「うむ、では行け」

「はい」


 ペコペコと頭を下げながら逃げるように家に入る男たちを見ていると、思わず鼻息も荒くなってしまう。

 カタリーナが天性の人たらしなら、彼らは穀潰しだ。

 積極的に動こうとはしない。愚痴だけは人一倍多い。

 かといってすべてを捨てて盗賊に身を落とすほどには勇気もない。

 だが、だからこそ使い道もある。

 せいぜい使い潰してやろう、というのがフランコの考えだ。


 フランコは夜のシエナ村を見た。

 村長の家の周りだけは、まだ明るく火の光が照らしている。

 いまは暗がりになっている先に、新しく出来た畜舎があり、水車小屋があり、鍛冶場がある。


「……この村の発展は、早すぎる」


 気付けば思いが口に出ていた。

 次々と真新しいものが開発され、これまでの常識が覆される。

 新しい技術が伝わり生活が豊かになるのは、喜ばしいことだ。

 だが、その発展がたった一つの村で起こっているのは、黙視できない事実だ。

 パワーバランスが大きく崩れる。


 技術を奪うか、拡散させるか、はたまた無理やり廃れさせるか。

 対策はそれこそいくらでもある。

 だが、行動に移るにはまだ時期尚早だ。

 このままには捨て置けないから、ダンテやカタリーナを連れてきた。

 これでダメなら、更に強引な手を打たなければならないだろう。

 様々な未来を予測しながら、フランコは思った。



 ――準備をしておく必要がある。

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