第48話 宴会 後編
ダンテとフランコが退場したあと、息を整えたマイクが寄ってきた。
表情には鬱憤が晴らされてスッキリしたものが浮かんでいる。
「いい気味だぜ」
「その代わり、険悪になってしまいましたけどね」
「構うことはねえ。何か問題があってみろ、そん時は俺だけじゃねえ、村全員が黙っちゃいねえさ」
マイクがギロリと目を光らせながら言う。
剣呑な言葉の通り、村人の感情はかなり険悪なものになっているだろう。
今日の騒動は瞬く間に広がってしまうに違いない。
厄介なことになったな、とエイジは頭を抱えたくなった。
最初から敵対する必要はどこにもない。
今日を限りに見知らぬ仲になれるならともかく、今後も顔を突き合わせなくてはならないのだ。
上手くやるつもりでいたのに、結果は真逆になっている。
つい、頭に血が上ってしまった。
一体どうしたものかと悩み始めたエイジを余所に、それよりも、と前置きしてマイクがエイジの肩に手を置いた。
「スゴイじゃないか。何なんだあの技は。よくあんな事が出来たな」
「柔道をやってましたから。ずいぶんとやっていなかったんですが、体が覚えているものですね」
「ジュードー?」
「弓を射る技術なら弓道。相手を投げたり、締めたりする技術の名前です」
「そういう訓練をしていたのか。たまたまじゃなかったんだな」
明確な格闘技もない文化に、柔道の説明をするのは難しかった。
だが、猟師であれば弓の練習はする。
例えを交えながら説明すると、マイクはいたく感心した様子だった。
こうか、などと言いながら、エイジの動きを真似する。
もともと運動神経が良いのだろう、動きが様になっていた。
一芸に通じれば百芸に通じるというやつだろうか。
ただただ感心するしかない体捌きだった。
だというのに、不意を突かれてやられてしまう。
これを狙ってやっているなら恐ろしいが、天然な辺りがマイクという人間の憎めないところだ。
「今度俺にも教えてくれよ」
「下が堅い場所だと大怪我しますよ」
「芝生の上なら問題無いだろう?」
まだマシか、と了承する。
しかし、先ほどまで腹を立てていた人間とは思えないほどの明るさだ。
「あんた、大丈夫なのかい」
にこやかに笑いながらウイスキーをぐい呑みし、料理を食べ始めたマイクに、ジェーンがやってきて、心配そうに聞いた。
ああ、いい奥さんだな。旦那の姿を見て、心配していたらしかった。
自分もまた騒動の中心に立ってしまい、タニアが心配しただろう。
エイジが自分の座っていた席を見ると、青白い表情でタニアが座っていた。
片手を挙げて、軽く頭を下げる。ホッとしたような表情で、うなずき返された。
「おお、ジェーン。俺はエイジのお陰でぜんぜん大丈夫だわ。心配かけたな」
「そうかい。ほっとしたよ。じゃあ歯を食いしばりな」
「あん……?」
慈母のような顔が、一転して鬼の形相に変わった。
怖い。何かわからないがとにかくすぐさまこの場を離れなければ大変なことになる。
エイジがその場を即座に離れたというのに、鋭く睨みつけられたマイクは、まだ良くわかっていない様子だった。
「村の中だけならともかく、他所様にまで恥晒してんじゃないよ、このタコ! 死ね!」
「ふぐあっ! へぶっ! おぶふっ!」
ジェーンの拳がエグるような角度で、胃に三度、鈍い音とともに打ち込まれる。
ドスッ、ドッと重い音とともに、マイクの体がくの字に折れていく。
苦しむマイクの首に、ジェーンの腕が絡まったかと思うと、そのまま首を支点に投げつけられた。
「あ、腰車」
「ぎゃああああ!」
エイジが技を呟いた直後、背中から叩きつけられたマイクの体に、ジェーンの靴が踏み落とされる。
一連が流れるような動きだった。息を挟む暇すら無い。
芸術的な追い打ちに、マイクはダンテにやられた以上のダメージを受けている。
「あんたは今日は反省して食事酒抜き」
「かあちゃん、そりゃ殺生だよ」
「お黙り!」
「ひでぇ。ひどすぎる」
「あんた、もう一発欲しいのかい」
「しゅ、しゅみましぇん……」
ボロボロになったマイクが情けない声を上げるが、ジェーンは許すつもりが無いようだった。
両手を上げて、フルフルと首を横に振る。
席に座らされ、テーブルから杯と皿が片付けられる。
フィリッポやフェルナンドが体の具合を聞いたりと慰めるが、とばっちりを恐れて庇う者はいなかった。
なんというか、せっかくの食事時にあわれなものだ。
だが、マイクとジェーンが空気を変えてくれたおかげだろう。
宴会の空気が
フランコとダンテという威圧感のある人間が退場したことも良い影響を与えたのだろう。
これまで隅のほうで小さくなっていた来訪者たちは、凍りついたように身動きをしていなかったが、少しずつ食事やアルコールに手を付け始めた。
そしてそのうちの一人が、エイジの元へと駆け寄った。
小柄な女性だった。
「あたし、カタリーナっていいます。ダンテさんがご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
「エイジです。こちらこそせっかくの歓迎の場所を騒がせてしまいました」
「エイジさん、よろしくお願いします!」
カタリーナは勢い良く頭を下げた。
がばっと頭をあげると、照れくさそうに笑う。
ショートカットの元気そうな印象を受ける女性だった。
くりくりとした目でエイジを見上げる。
その目がキラキラと輝いていた。
リスみたいで可愛らしい人だな。
年はタニアよりも下だろうか。
エイジの目が素早くカタリーナの全身を捉える。
藍色に染色された毛糸のセーターが、胸元で大きく引き伸ばされ膨らんでいる。
エイジがそっと視線を外す。
一つ屋根の下で三ヶ月も同居して理性を保ち続けた男だ。多少のことでは動じなかった。
手をよく使っているのだろう。
少し荒れて、働き者の手をしていた。
ようやく話の通じそうな人物の登場を素直に喜んだ。
少しでも関係性を築いて、今後の仕事を良好にしたい。
「ここの料理って本当に美味しいですね。ナツィオーニでも食べたことがなかったです」
「私の奥さんと、先ほどの女性が作ったんです。もしカタリーナさんに興味があったら、色々料理について話し合ってみたらどうでしょう。私もナツィオーニの料理に興味があるし」
「あたしも知りたいです! 材料はあまり変わらないはずなのに、ソースとか、チーズの使い方とか上手だし」
「ナツィオーニも今回出た料理とあまり変わらないんですか?」
「そうですよ。基本は麦粥に野菜のスープ、川や海の魚に、この時期だと山菜と――」
「海魚かぁ。食べたいなあ」
不意に魚の話が出て、猛烈に食べたくなる。
この村に来て以降、日本料理の希望は一切断たれている。
米が食べたい。味噌汁に醤油の料理が食べたい。
どれほど願っても、島で米や大豆があるという話は聞けなかった。
刺身が食べられるなら、ありがたい話だ。
せめて、ここが山奥でさえなければ。
いつか旅行に出かけよう、とエイジは思った。
山を降りて、海沿いの村に滞在しよう。
そんな交流の機会があれば、ねじ込んででも参加を表明するのだ。
エイジが故郷の食べ物を回想している間、カタリーナが黙って眺めていることに気付いた。
完全に上の空だった。
「すみません。ちょっと考え事を」
「大丈夫ですよ」
「カタリーナさんは、町では何をされていたんですか?」
「私は染色をやってました」
「布を染めたりする?」
「そうです。で、ある日石鹸っていうのが紹介されて、一気に染めが良くなったんです。一体どんな人が考えたんだろうって、ずっと思っていました。今回この村に来たのも、石鹸を作った人が新しい技術を教えてくれるって言うんで、やってきました!」
意外なところから話が飛んできたな。
石鹸の多くはナツィオーニの町に運ばれたようだった。
だが、体を洗うためではなく、染色の布に使われることはエイジにとって予想外だった。
よく考えれば、洗濯も洗剤を使って行うのだから、汚れを落としたりと石鹸が使われるのは道理だ。
しかしまあ、嬉しそうな顔をして。
カタリーナの顔が、興奮で赤くなっている。
どうやら少なくとも、この人は良い弟子になってくれそうだと思うと、エイジもホッとする思いだった。
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