第43話 機織り
朝食を終えたエイジは、タニアとともに、別の妻たちの仕事を確認しに出かけた。
同じ調理や
ちょうど、そのとき機織りをしていたのは、フィリッポの妻であるエヴァだった。
フィリッポとは似ても似つかない、本当に小さな女性だ。
エイジより頭一つほど小さいタニアの、さらにもう一つは小さい。
正面から話すときは、頭を下に向ける必要があるくらいだった。
これで子どもが三人もいるというのだから、驚きだ。
女性の体の力強さにはまったく理解できない。
一番下の子は、まだよちよち歩きと言った具合で、可愛らしい。
一歳前後だろうか。
だーだーと声を上げて、母親の足元に抱きつく。
タニアさんと自分との子も、こんな風に生まれ、育つんだろうか。
ちらりとタニアを横目で見て、そんなことを想像した。
それはとても素敵な未来に思える。
エヴァは急な来客を歓迎してくれた。
「あら、タニアさんと旦那さんのエイジさん? 私の仕事で良かったらいくらでも見て、ゆっくりしていってね」
「いやあ、お邪魔させていただきます」
「男の人が仕事を見ていくなんて、不思議な感覚ね。エイジさんが特別なのかしら?」
冗談交じりの流し目をもらったりすると、タニアがドンドンと不機嫌になっていく。
お愛想を返すだけでも機嫌を損ね、手の甲をつねられる始末だった。
ジト目で睨まれながら、思う。
べつに邪な気持ちを抱いていないのに……。
とはいえ、タニアも本気ではないだろう。
愛情の裏返しだと思えば可愛らしい。
仕事は外で行われていた。
実際の仕事現場を見て、驚きに声が出なかった。
機織りとは、言ってしまえば縦糸と横糸を常に交差させて、一枚の布を作る作業だ。
シエナ村の女達は、一本の木の枝に何本もの縦糸を吊るし、その先端を粘土で重しをつけて糸を張る。
そして一本一本を押したり、引いたりして、その間に横糸を通していく。
小さいものならば、そのやり方でも良いかもしれない。
だが、服を作ったりするような大きな布が必要になれば、通す糸は何十本、何百本になる。
作業量は膨大なものになって、機織りはなかなか進まない。
布が貴重で、毛皮のほうが安価なわけだ。
顔が自然と強張るのを感じる。
「エイジさん、どうかしましたか?」
「いえ、少しカルチャーショックを」
「別におかしいところはないと思うんですけど」
「おかしくはないんですけど……むちゃくちゃおかしいです」
エイジは頭を掻きむしりたくなった。
昔から続く伝統的なやり方を、親から教えられたからと、それ以上考えることもなくずっと続けている。
そんなものと言われれば、そんなものかもしれない。
だが、エイジは常に創意工夫を課して仕事をしてきた。
今すぐこの問題を解決しよう。
村の女性も、何も辛い仕事を喜んでやっているわけではない。
それ以外の方法を思いつかないから、大変とはいえやっているのだ。
自分の力で楽な環境にする。
そして喜ばれる。
これまでやってきたことと何も変わらない。
せっかく進んだ知識や技術があるのだ。使わない手はなかった。
影響など知ったことか、というのがエイジの実感だ。
「良いですか、これから作るもののミニチュア版を作ります。糸を貸してください」
「は、はい」
「それとエヴァさん、櫛を貸してください」
「家から持ってきます」
「まだ準備があるんで、急がなくていいですよ」
エヴァが去って後、エイジは本数を少なく、縦糸を垂らしはじめた。
原理を説明するだけなら、水平にする必要はない。
「持ってきました」
「ありがとうございます。では、早速見てもらいますね」
エイジが一〇本の縦糸を一本飛ばしで櫛に絡めていく。
それを持ち上げると、櫛にかかっていない残りの縦糸が一目でわかる。
「エヴァさん、残った縦糸に、一本に一つ、糸を引っ掛けてもらえませんか」
「こうですか?」
「そうです。ちなみにこれはコの字をしたフックでも、なんでも、引っ掛けられたら良いんですね」
「はぁ」
「では、その糸を櫛とは逆方向に向けてください。行きますよ。まずは櫛を持ち上げます」
縦糸の半分が持ち上げられ、横から見れば交差する。
そこに横糸を通していく。
「早い……」
「では、エヴァさん、糸を引っ張ってください」
「は、はい」
櫛を倒し、水平になった縦糸は、エヴァの持つ糸に引っ張られ、逆の交差を作る。
エイジがそこに横糸を再び通す。
「分かりました?」
「わ、分かりません」
「タニアさんは?」
「これを続けると、布になるんですよね」
「そうです。実際に、もう少しだけ続けましょうか」
エイジが再び作業を開始する。
櫛を引き、横糸を通し、エヴァが糸を引っ張り、また横糸を通す。
出来上がるのは、手間をかけて交差させた生地と、同じ状況だ。
「な、なんで……?」
「もう少し続けましょうか?」
「いえ、分かりました。分からないのは、どうしてこんなことに気づけなかったんだろうって」
エヴァが肩を震わせた。
うつむき、顔を伏せる。
いや……まさか……。
エイジはタニアと顔を合わせる。その顔もまた、驚きに彩られている。
「う……ひっく。ううう……」
まさか、泣くとは。
どうすれば良いんだろう?
タニアに視線を向けても、顔を横にふるばかりだ。
「エヴァさん……すみません。どうも困らせてしまったみたいで」
「うちの旦那が失礼しました」
「うっ……ううっ……す……スゴイです! エイジさん、あなたは天才ですか! 天才ですね!?」
「は、はい? い、いえ、違いますよ?」
突如として顔を上げたエヴァは、目を真っ赤にしながらも、笑みを浮かべている。
いや、むしろ嬉々とした表情をして、好奇心に目を輝かせていると言っていい。
「私も手伝います! これはあくまでデモンストレーションなんですよね。本物はどんなにスゴイんでしょう。試作品ができたら、今度は完品を量産しなくちゃいけませんね。うわぁ、そんなことが実際になるって想像したら、私……!」
突如として勢い良く話しだしたかと思うと、最後には身を抱きしめながら震えた。
急激な変化に、エイジもタニアも戸惑うしかない。
エヴァは恍惚とした表情で、織り機を見つめている。情熱的な瞳だった。
というか、この人ちょっと怖い。
テクノロジーの進歩を見てイッちゃう人ってどうなんだ。
それに、それだけ価値が分かるんなら、もっと改良しようとするんじゃないのか。
エイジは知らず、身を引いてしまっていた。
顔が引きつるのを感じる。
落ち着こうと、咳払いを一つ。無理やり微笑を浮かべて、顔のこわばりを隠す。
「と、とにかく。協力してくれるということですね」
「はい! 試作品の材料なんかもお手伝いさせてもらいます」
「わ、私も手伝いますから!」
「タニアさんも?」
「何か問題でも……?」
「い、いえ。ぜひお願いします」
何故睨まれるんだ。
意外な展開に驚きながらも、機織りの開発に目処がついた。
「で、道具を借りに僕のところに来たわけか」
「そういうことです。道具、貸してください」
「まあ、エイジくんなら使い方もしっかりしてるだろうから良いけどさ」
フェルナンドがちらりとエイジの後ろを見る。
その表情はやや呆れ顔だ。
「どうしてタニアさんとエヴァさんを連れているのかな。わけが分からないよ」
「私は織り機の完成が少しでも早く見たくて!」
「夫を手助けするのは、妻の仕事ですから……仕事ですから!」
私にも分からないですよ。
そう答えたかったが、おそらくタニアさんは機嫌を損ねるだろうなあ。
エイジは曖昧な笑顔を浮かべた。
それで通じたのか、フェルナンドは大工道具の保管場所に案内してくれる。
鉋に墨壺に、鋸に、玄能、バール、ノミ、釘にネジにと、雑多な道具が揃っている。
必要な物を次々と手に取ると、エイジは道具箱に入れる。
「じゃあ、お借りします」
「ああ。今後も必要そうなら、自分で作れよ、というか、少しだけなら手伝うよ。何を作るつもりだい?」
「良いんですか? 機織りの改良をしようと思いましてね。こちら、図面です」
「相変わらずきれいな絵を描くな」
図に描かれたのは、ペダル式の水平織り機。
垂直織り機との違いは、幅広い布が織れるという利点があることだ。
ペダルはシーソーのようになっていて、右に倒せば右側が下がり、左が上がる
ペダルの先は、ピアノのように各糸に続き、左右に倒すたびに上がったり下がったりして、横糸を通す隙間ができる。
デザインや細かなサイズが決まり、実際に作れる段になった。
「じゃあ、僕は図面の設計通りに、材料の線引をしていこう」
「私は鋸が使えるので、材料の切り出しします!」
「ノミや鉋を使えるのは私かフェルナンドさんぐらいですから、そこは私がやりましょう」
「えと……じゃ、じゃあ。わ、私は……。あれ……?」
「タニアさんは切りだされた材料をヤスリで削って、形成しましょう」
「が、がんばります」
だが、そこからが大変だった。
縦糸を固定する溝の太さを一定にしたり、一つ一つの関節部の動きを作るため、穴を開けたりといった工程は、指先が器用で道具に手慣れたエイジやフェルナンドしか出来ない。
いわば一番時間のかかる作業が、人手不足なのだ。
さらに出来た作品は、やはり当初の予想通りにはいかない。
「またダメか」
「ペダルの可動域が大きすぎるんだな。底に薄い板を噛まして、範囲を狭めよう」
「頼めますか?」
「エヴァ、出来るか」
「薄く切るんですよね。まっかせて!」
エイジはノミを持ちながら、細い溝を入れていく。
関節部の接合部の形成や、滑りを良くする作業だ。
木屑を息で吹き飛ばしながら、細かく木槌でノミを打ち込む。
試行錯誤を繰り返し、継ぎ接ぎだらけの不格好になりながらも、徐々にその精度を高めていく。
時間がかかった。
日が暮れ、朝日が昇り、それを三度繰り返した。
寝ても覚めても、エイジは機織りばかりに意識を注いでいた。
集中すれば、他のことに目が行かなくなってしまう。
そして――。
「で、出来た……」
「おー、疲れたなあ。まあ、完成品がありゃあ量産はぐっと楽になる」
「これが機織り……。う、うふふ。夢が広がります!」
「疲れた……。エイジさん、千歯扱きもこんなに疲れたんですか?」
「いや、あれは原理が簡単だから。今回みたいに時間もかからなかったですよ」
水平大型機織りが完成した。
幅一メートルに達する、第一号としては規格外の作品だ。
丁寧に鉋をかけた表面は滑るような手触りで、芸術品のような出来栄えだ。
エヴァができ上がった作品を愛しそうに撫で上げている。
エヴァ以外の三人は、みな疲れきっていた。
完成とともにへたり込んでしまい、その場から動けない有り様だった。
「これって屋内でもできるから、雨の日も仕事が出来るんですね」
「そういうことだね。まあ、糸
「あとは私が作ります。この道具があれば、二・三人が機織りに専念して、残り全員が糸撚りをすれば、これまでより何倍も作ることが出来るはずです……」
「手の空いた人は、水車の製作を手伝ってもらうことにしよう」
「ああっ、そっちも手伝いたい!」
「機織りを作れる人がいるなら、代わってもらっても構いませんが」
「……私がんばって作ります……」
がっくりと肩を落とすエヴァに、今後も水車を作る機会はたくさんあると励ましながら、機織りを移動させる。
フィリッポの家に置いた後は、お開きになった。
「やっと終わったな、エイジくん」
「お世話をかけました」
「いやいや。全然構わないよ。ただ、君が少しでも感謝しているというならだね、あのお酒をもらうこともやぶさかではないというか」
「ははは。分かりました。明日にでも、見繕ってきます」
「やった!」
小躍りするフェルナンドと別れ、家に帰る。
タニアも疲れた様子で、表情に精彩がない。
「大丈夫ですか」
「はい。エイジさんって毎回こんなことをしているんですね」
「普段は誰かに任せていることも多いですからね。今回は特別しんどかったです」
「やっぱりエイジさんはすごい人です。これからも、村のためにがんばってくださいね。私も出来る限りのお手伝いはしますから」
「タニアさんが支えてくれるって分かっているから、頑張れるんです」
どれだけ疲れていても、笑顔で送り出して、迎えてくれたら頑張れる。
これが不機嫌だったり、嫌味の一つでも言われれば今のように色々と作り出せただろうか。
黙々と目の前の事だけを片付けて、今とは全く違う現状になっていたかもしれない。
夕暮れになった帰り道、ずっと手をつないで帰った。
まだ春になったばかりの冷えた空気の中、お互いの手があたたかった。
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