第36話 畜舎建築開始

 雪積もり寒空の中に、白い息を吐きながら男たちが汗水を垂らしながら、土木作業に精を出していた。

 雪に覆われた土は、夏場よりもはるかに固く締まっている。

 男たちは鍬ではなく、今や鶴嘴つるはしを持って、土を掘り返していた。


 一人が穴を開け、掘り返された土は別の手によってシャベルで一度手押し車に積まれる。

 その土砂はまた更に別の者によって運ばれていく。


「おらぁそこ、遅れてるぞ! トーマス、ボサッとするな、お前もちゃんと監督しろ」


 普段は飄々とした態度を崩さないフェルナンドが、厳しい叱責を飛ばしながら、建築予定地の線引を続けていく。

 つい先日リバーシで問題になった人物とは思えないくらい、しっかりとした対応だ。


 その様子を、エイジとマイク、そして村長のボーナが少し離れた場所から眺めている。

 遠くから眺めれば、どのような建物にしようとしているのかがよく分かる。

 長方形で南北に六メートル、東西に三〇メートルほどの大きさだ。


 ボーナは全体の計画の責任者だ。

 杖を片手に、厳しい視線を働く村人たちに向けている。


「今日は麦パンを多めに配ってやりな」

「お、マジで!? 気前がいいじゃねえか、婆さん」

「村の共同作業のために働いているんじゃ。多少は応えねばなるまい。お前も欲しかったらその分働け!」

「ああ、いや。俺は捕まえた兎の処理に忙しかったんだ。パンが食えないのは残念だな」

「お前はほんっとうに口ばっかりじゃな」

「俺だってやることはやってるよ」

「それは知っておる。その上で口が過ぎるというておるんじゃ」


 マイクはとことん、女性には弱いらしい。

 ボーナに対しても、言い負かされてばかりだ。今も叱責の声に、反論できないでいる。

 かといって、それでマイクの株が下がるわけではない。

 狩りの腕は優秀だし、いざというときは率先して動き出す度胸の良さがある。


「そういや、この畜舎ってどうして建てる必要があったんだ?」

「それって、以前の会議の時に説明しましたよね」

「いやあ、任せておけばいいと思って、実はあの時は注意して聞いてなかったんだわ。スマン」

「この馬鹿が……!」

「あいたっ、杖はダメだって!」


 いや、やっぱりこの人は大丈夫だろうか……。

 エイジの冷ややかな目線に気付いたのか、マイクはバツが悪そうに頭を掻きながら、謝る。

 できるだけ誠実な対応をしようと心がけているにもかかわらず、露骨な溜息が出てしまう。


「……しっかりしてくださいよ。フォローにも回ってもらうこともあるんですから」

「今度は大丈夫だよ」

「本当に頼みますよ」

「このシエナ村一の狩人に任されよう」

「この馬鹿にも分かるように説明してやってくれんか」


 狩人と都市計画は何の関係もないだろう。

 つっこみたくなる気持ちをぐっと抑え、エイジは畜舎を建てる理由を説明した。


「では、いくつか現状確認の質問からしましょうか」

「簡単にで頼むぜー」

「マイクさんは、この村の鶏一羽が、一年でどれぐらい卵を産むか、把握していますか?」

「そうだな、俺の家で飼っている鶏で考えるなら、およそ二十個ぐらいかな」

「そんなものですよね。しかしよく覚えてましたね」

「自分たちが食べる分だからな。俺でも覚えているさ」


 えっへん、と胸を張るマイク。

 いや、別に威張るようなことじゃないから。


 家畜としての鶏は非常に優秀だ。

 ほとんど人間を恐れないし、虫や草を食べるから、放っておけばいい。

 そして普通の鳥のように飛んで遠くに行くこともない。

 夜になる前に迎えに行けば、大人しく小屋に戻ってきてくれるから管理もしやすい。


「調べたところ、各家には大体鶏が五羽います。雄鶏おんどりが一羽に、雌鳥めんどりが四羽ですね」

「よく調べたな」

「下調べしないと怖くて計画なんて言い出せませんよ。それで、雄鶏が少ないわけですよね」

「まあ、卵を産まない雄は、さっさと肉にしちまうわな。交尾に必要なのは一羽で充分だしな」

「すると一年間でひとつの家庭の得られる卵は八〇個前後。そのうちの幾つかは孵化させるから、六人家族だと、一人年間一六個前後食べれるわけですね」


 もちろん家族構成によっても違う。

 エイジとタニアの二人だったら、一人五八個。

 週に一個は食べられる計算だが、家族の多い家庭では、卵はほんとうに貴重品になってしまう。


 その分飼う量を増やせば良いという考えもある。

 だが、ひとたび天候不順などで食糧難が起これば、増やす前に胃の中に収まってしまっていたのが現状だ。

 豊穣祭のハンバーグには大量の卵が使われたが、あれだけの卵が使われるのは、一年でもあの日ぐらいのものだろう。


「これが現状です。ところで、これはあくまで平均の話。鶏によって、たくさん産む鶏と、少ししか産まない鶏がいるのはご存知ですよね」

「おう。賢い奴はすぐに盗ったら気づきやがるんだよな」


 鶏には不思議な習性がある。

 産卵期に入った鶏は、ほぼ一日に一個のペースで卵を産む。

 そしてそれは大体五個ぐらい溜まるまで続けられる。

 それぐらいまでは数える頭があるのだろう。


 そこで飼い主が卵をそっと一つ盗む。

 鶏は盗まれたとは気づかずに、まだ四個しか産んでいないのか、とまた卵を産む。

 あとはいつ盗まれたことに気付くかだ。

 わずか二・三回で気づいて産まなくなる鶏もいれば、三〇個以上生み続ける鶏もいる。

 ちなみに卵が六個以上溜まった状態で一つ盗っても、新しい卵が産まれることはほとんどない。

 やはり、五個以上数えることが出来ないのだろう。


「それでですね、卵をたくさん産む鶏の卵だけ、孵るようにしましょう」

「うん、意味がわからねえ」


 エイジが考えたのは、たくさんの卵を産む鶏同士をできる限り掛け合わせて、多産系の鶏を育てようという考えだった。

 そのためには鶏を分けて管理するほうが変化を追いやすい。


「するってぇと、この畜舎で鶏を飼うことで、卵の数がこれまでの倍産むようになるってのか」

「スグにではありませんけどね」

「なんだか夢の様な話だな。多く産む鶏から産まれた卵が、また多く産むなんて、本当にそんなことが可能なのか?」

「私のいた国では、国民ほとんどが毎日卵を最低一個は食べていたんじゃないですかね」


 メンデルの法則で知られる遺伝の法則は、まるで理解されていない。

 エイジの言葉に、マイクはあんぐりと口を開けた。

 想像もつかないのだろう。信じられないという様子で首を横に振る。


「ぱねぇな」

「そこまではまだ難しいですが、いずれそうなるようにしたいですよね」

「おう。そりゃ俺だって、そうなって欲しいぜ」

「誰も飢えずにすむって、素晴らしいことじゃありませんか?」

「お前がそれを達成できたら、俺はお前を神と崇めるよ」

「止めてください」

「いーや、誰も飢えないんじゃ。それはわしの悲願じゃよ。本当にそれぐらいすごいことじゃわい」


 別に自分がスゴイわけじゃあない。

 反論したかったが、エイジはその言葉をぐっと飲み込んだ。

 たまたま生まれ育った環境が、この場所より少し進んでいただけだ。

 手に染み付いた技術とは違う面で褒められると、どうしても少し後ろめたい気持ちになる。


 鍛冶師として褒められている時は、純粋に受け止められるんだけどな。

 エイジはいつか、自分の知識を少しでも残す必要があるな、と考えた。

 現代人の知識がどれだけ役に立つかは分からないが、物や知識を残すのは、発展につながるだろう。


「これってでも、餌を俺らがやらないといけないわけか?」

「最初のうちは昼は放し飼いですよ」

「それだと混ざっちまうんじゃないのか」

「放すところを柵で囲って、混ざらないようにします」

「そこまですんのかよ」

「やるからには徹底的に。そうじゃないと、わざわざ建ててもらう必要性もありませんからね」

「はぁ……俺はもっと楽がしたいもんだ」


 やれやれ、と肩をすくめるマイクに、またもや杖が飛ぶ。


「そういうわけじゃ。エイジ、説明助かったわぇ。これからもよろしく頼む」

「いえ、今度からは一度で覚えてもらいますよ。難しいとは思っていますが」

「まあ、無理じゃろうな。こいつ、馬鹿じゃから」

「まあ、馬鹿ですからね」

「人を馬鹿馬鹿いうな!」

「じゃあ、重要な会議ぐらい、覚えてくださいね?」

「ぐっ……分かったよ」


 エイジとボーナの笑い声が、辺りに響いた。





「くわぁ、重てえぇえええ!」

「ぐっ……ふっ……うぉぉ」

「おいエイジ、無理すんな。お前ただでさえ力ないんだから、腰やっちまうぞ」

「言い出しっぺの、私が、やらないわけには」

「かえって足手まといなんだよ。ぬぉおおらああ!」


 人手が足りないから、お前らも手伝え。

 そう言われて、畜舎建設に呼び出されたエイジは今、巨大な柱を基礎に打ちこむところだった。

 畜舎の中央に立てられる柱は、大人二人で丸抱えできそうなほどに太い。

 これほど太い柱が必要になるのか、と思わないでもなかったが、あくまで設計などはフェルナンドの仕事だ。

 変に口出しして倒壊でもしたら目も当てられない事になる。エイジはそう考えて、言われるがままに人夫仕事に精を出す。


 もとより精悍ではあるが、鍛冶仕事以外の肉体労働をしていなかった体だ。

 大柱を持ち上げ打ち込んでいくには、少々力不足と言わざるを得ない。

 フィリッポなどはこんな木材を、加工前の段階で毎日運んで切り出しているんだな。

 そう思うと、寡黙な木こりに尊敬の念が浮かぶ。

 さすがに働きぶりに無理があると見たのだろう、周りの筋骨隆々な農夫が、邪魔になると仕事を代わってくれた。


 寒さもどこへやら、汗を拭きつつ、腕の疲れをほぐしていると、フェルナンドが寄ってきた。


「おいエイジ君、君は鋸は使えるのか?」

「自分で作れる道具の大抵は使えますよ。本職には敵いませんが」

「それならこっちを手伝ってくれ」

「分かりました」


 連れて行かれたのはフェルナンドの作業場だ。

 墨打ちという、真っ直ぐに切るための目印が引かれた木材がゴロゴロと転がっている。

その数は十や二十ではきかない。

 一つの建物を建てるのに、これほど木材が必要になるのか。

 これまで知らなかったことばかりで、新鮮な驚きがある。


「まずはこの材木を墨で線引されたとおりに切っていってほしい。みんな使い慣れていないからか、鋸をこじってしまったりして作業が進んでないんだ」

「もともとフェルナンドさんに合わせて作ってますからね」

「そうなのかい?」

「切りやすいように薄めにしてるんです。その分、使える人が限られるんですよ。だから最初からこれを巧く使える人はほとんどいないんじゃないかな」

「腕がいいんだな」

「この鋸を使えるんだから、そう思いますよ」

「僕のことじゃないよ」

「え?」

「そうやって使い手一人ひとりの特徴を考えながら、作っているんだろう。それが腕がいいって言っているんだ」


 これは別に鋸に限った話ではない。

 鍬一つでも、上手に土を切れる者には、そのぶん薄く軟らかくしている。

 その方が手に返る衝撃も少なく済み、また軽いから、使い手は疲れずに長時間働ける。

 貴重な材料も少なく済むと、両者にとって都合がいい。


「まあ、普段は僕しか使わないからそれで問題ないのか」

「ええ。しかしこれだけ薄く切るとなると、板材ですか?」

「ああ。壁がいるだろう」


 フェルナンドが見せてくれた設計図は、非常に贅沢な空間の使い方をしていた。

 将来を見越しての、かなり大型建築だ。

 内部は一羽当りのケージが非常に大きく、自由に動き回れるようになっている。

 そこから外に出られるよう幾つもの扉を備え付け、昼間は半放し飼いのような状態にする。

 完成が楽しみだった。


「じゃあそういう訳で、頼んだよ」

「任されました」


 鍛冶師によっては、柄も自分で作る者がいる。

 エイジの家はそのような鍛冶師ではなかったが、微調整ぐらいはお手のものだ。

 鋸もかんなも、器用に使いこなす。

 木材に足を載せて固定し、線に対し慎重に鋸を動かす。

 最初の角度をきっちりと当てれば、後は勝手にその方向で固定されて進んでくれる。

 鋸を動かすエイジの表情は、子どものように楽しげに輝いていた。

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