第26話 爪切りと鋏

 村の開発計画を練ったとしても、普段するべきことは残っている。

 あくまでエイジは鍛冶師としての自分を忘れたわけではなかった。


 最近寒くなってきたな。

 冬が近づいてきたため、鉄を打つのもそろそろ限界が近い。

 制作に使える貴重な時間を、鍛冶場で過ごすことが多くなっていた。


 水に漬けられてしっとりとした砥石の上に、小さな鉄の塊を滑らせる。

 エイジは目を細めて刃先を確認する。

 まだ研ぎが足らないか。


 もう一度刃角をしっかりと確認し、砥石にかけていく。

 シュッ、シュッと擦れる音が連続的に立つ。

 作業を見ていたピエトロが、不思議な顔をしてそれを眺めた。


「親方、それは何ですか?」

「爪切りだよ」

「爪切り? 名前から考えると、爪を切る道具ですか」

「実際使ってみたほうが早いだろう。手を出してみるといいよ」

「はい」


 パチン、パチンという音とともにピエトロの爪が切られていく。

 ピエトロの表情は驚愕といっていいほどに目が見開かれている。


「……親方が考えたんですか?」

「いや、私じゃないよ。元いた世界にあった物」

「考えた人は天才ですね」


 なるほど、もっともだ。

 エイジは職業柄、身近な鉄製品があれば、その構造を確認する癖がついていた。

 爪切りは上下の刃と、テコの原理、バネの原理などを使用した単純な道具だ。


 原理を知って感心した記憶がある。

 エイジが知るかぎり、この村には爪切りはない。

 どうやって爪を切っているのかといえば、歯で噛み、その後ヤスリで整えるのだ。


 もしくはナイフや鋏を使って先を切る。

 どちらにしろ切り口が不揃いになるし、ナイフや鋏では指先を傷つける危険がある。

 自分の爪が伸びた時に必要性を感じたのは随分と前の話だが、色々と作るものが多く後回しになっていた。


「こういう道具を考えつく人は、頭が良いんだろうなあ、と思うよ」

「見ただけでこうして作れる親方もスゴイです」

「好きだからだろうなあ」

「これ、借りてもいいですか?」

「結構苦労したから、大切に扱うならいいよ」

「親父や母ちゃんに見せてやろう」


 小さい物を作るのは、細かな作業が必要になって大変だ。

 特に今作っていた爪切りは刃の部分がカーブしているから、叩いて形を整える鍛造という訳にはいかない。

 硬度の高い切断道具を使い、切り出す必要がある。


 鍛造も実際には可能なのだが、それには細やかな道具がいる。

 そこまで鍛冶道具を作り出せていないのが、痛いなと思う。

 早く鍛冶道具の種類も増やしたかった。


 大きなものには体力という名の労力が、細やかなものには神経という労力がかかる。

 だが、苦労のかいはあった。

 シエナ村の村人たちは過度な装飾や役に立たない大きなものよりも、小さくても実用的なものを評価する傾向がある。


 爪切りはそういう意味で、鉄鍋や針と同じように、家庭に欠かせないものとしての評価を受けるだろう。

 これも主要な生産品として、交易品の一つとして数えられることになるはずだ。


 エイジが高い評価を受けた最近の製作物はもう一つある。

 それははさみだった。それも散髪用の鋏だ。

 人の髪の毛は固い。そして本数が多い。


 それ故に青銅製では刃こぼれや切れ味の鈍りが早く、切れ損じの生じた際に引きぬかれて痛いという問題があった。

 すでに第一の試作品は猟師の妻、ジェーンが使って、最高の評価をもらっている。


「親方、今度の鋏は地金と刃金に分けないんですか?」

「うん。軟らかい地金と固い刃金、分けるのも一つの手だけど、すぐに減ってしまうだろ?」

「まあ、毎日村の誰かの髪は切りますもんね」

「人の髪の毛の一本一本を切るわけだからね。すぐに傷んでしまう。だからこそ、研げば何十年でも使えるように、総鋼で作る。といっても、分けないだけで鉄の種類はいくつか使うよ。ピエトロも大変だけど、頑張って手伝ってな」

「任せてください」


 髪を切る最高品質の鋏は高い。

 エイジの知る限り一〇万円を超えるものもある。

 資格を取りたての駆け出しではとても買えない高級品だ。


 エイジが今回作ろうと考えているのは、それに比類するような最高の切れ味の鋏だった。

 現代とは設備が劣る環境ではあるが、今のエイジには作れるだろうという確かな自信があった。


 炉の温度管理、作りだした鋼材の見分け方など、これまで分からなかったことがかなり把握できるようになってきていた。

 出来るはずだ。


 細かく砕いた木炭が火炉の中に積み上げられている。

 箱ふいごを動かすと木炭は赤熱してゴウゴウと音を立て始める。

 火を見るためにやや薄暗い鍛冶場の中で、木炭と炎の明かりが顔を照らす。

 冬も間近だというのに中は熱く、汗が吹き出てくる。


 長年の日常で熱に慣れたエイジと違い、ピエトロはびっしょりと汗をかいていた。

 時折腕で額を拭うも、すぐに新しい汗が湧き上がり、顔を伝っていく。

 今日は作業を手伝わせるつもりで、研ぎを任せていない。


 代わりに隣に立って炉の様子を見学させる。

 珍しい機会に、ピエトロの目は輝き、少しでも技術を学ぼうと、表情は真剣そのものだ。


「そろそろですか?」

「違う。もっと鉄の色をよく見ろ。もう少し色味が白くないといけない」

「はい」

「これぐらいだ。よく覚えておくんだ」

「わかりました」


 炉温は一〇〇〇度に達しようかという時、鋼材を入れる。

 炭を上にかけて熱が早く移るようにする。

 軟らかな鉄と硬い鉄とでは熱する温度も違う。


 そんな鉄の温度を色一つで見極める。

 それは全て経験の蓄積からくる勘働きによるものだ。

 最適な温度を見極めて炉から出し、水力ハンマーで形を整える。

 ここまではピエトロが動く必要はない。


 鍛接に使えるよう形を整えて、藁灰をまぶし、その後泥をかける。

 鉄と鉄がよく合わさるための鍛接剤だ。

 現在ならホウ酸やホウ砂に鉄粉を調合したようなものを使ったりもするが、昔ながらの作り方だと、藁灰で充分なものが出来る。

 昔の名刀はみな、このやり方で作られているから、問題がないのは歴史が証明済みだ。


 熱した鋼材を重ねあわせて上から打ち付けていく。

 ここからは実地研修としてピエトロに向う鎚を頼む。

 ピエトロの緊張が手に取るように分かった。


 金床に置いた鉄の塊を、肩口まで振りかぶった大鎚で叩いて素延べのばしていく。

 トンカントンカンと鐘の音が響く。

 熱した鉄はそこまで固いものではない。

 力ずくで叩くことよりも、適度な強さで充分だ。


「均一に伸びるように気をつけるんだぞ」

「はい」

「ムラが出来たら焼割れが入る。ここもう少し多め」

「はい!」


 代わりに均一に叩くことが大切になってくる。

 熱した状態で叩かれた鉄は粒子分布が均一になる。

 後で硬度を高めるための焼入れをするとき、この分布がまだらだと、膨張率が変わり鉄がける。


 焼割れという現象が起こり、この時、すべての作業が無駄になる。

 鍛冶師の失敗では最もこたえる瞬間だ。

 だからこそ、慎重に鉄に鍛えを入れていく。


「今回は何枚を合わせるんですか?」

「炭素量の違う鉄を五種類だ。一回折り返したら十層、五回折り返したら何層になる?」

「えーと……二回で二〇だから……一六〇層ですか?」

「毎回計算させてるからか、早くなってきたね。その通り。こうすると刃の表面が減っても、次の層があるから切れ味が鈍らない。人力での折り返しは大変だけど、そのかいは十分ある作業だよ」


 肩までしか上げないとはいえ、向う鎚は重い。

 ピエトロはまだエイジの時代では中学生ぐらいの年頃だ。

 次第に疲れが溜まり、腕が上がらなくなってきている。

 そろそろ限界かな。

 息が荒く、汗が次から次へと噴き出している。


「よし、あとは見ているように」

「そんな、まだやれます!」

「無理をしなくていいよ。それよりも作業を見て覚えることが大切だ」

「分かりました」


 まだやろうとするピエトロに、水を飲ませて休憩させる。

 口では強気だったが、限界だったのだろう。

 一度休むと、もう一度やるとは言わなかった。

 まだ幼いんだ。無理をするべきじゃない。

 ピエトロのやる気が心地よい。


 残りは水力ハンマーで鍛接して、折り返していく。

 伸ばしては折りたたみ、一枚に合わせる。

 鉄の層が出来て、地肌が波のような模様になる。



「よし、形成に入るよ」

「はい!」

「しっかりと赤めた鉄は充分柔らかくなる。冷えないように素早く、的確に小鎚を振るって、望む形に変えていく」


 持ち手の部分の穴は、最初たがねで小さく穴を開け、それを開いていく。

 円を描くようにして軽く叩いていくと、一瞬にして滑らかな曲面が出来る。

 昔はこれでよく失敗した。

 何気ない動作に高い技術が要求されることはよくある。

 望んだ通りの形に曲面を作り出すのに、何年かかっただろうか。

 今ではそれがたやすく出来る。

 小指がけをつくり、手の形に沿うよう、形を修正していく。


 刃と刃の合わさる穴をつけ、焼鈍やきなましと焼入れを行う。

 湯の温度を確認する。

 ややヌルい。


 炉熱を利用して熱したヤカンから、熱湯を足す。

 ちょうどいい熱さになる。

 ピエトロが湯の温度を同じように確認したのを見て、昔なら腕を切り落とされたんだろうな、と笑う。


 どれだけ良い物を作っても、焼入れと焼戻しが半端だと、物が悪くなる。

 鍛冶師によっては、鍛えよりも鉄よりも、この焼入れと焼戻しこそが一番大切だというものもいる。

 鍛冶師にとっての腕の魅せどころであり、同時に秘匿すべき知識でもある。


 どんな粗悪な鉄でも、作り手の技術がしっかりとしていれば、かなりのものが出来る。

 鉄の良さは、良い物を作る要素の一つでしかないのだ。


 もっとも集中力がいる作業だ。

 箸で掴んだ熱した鉄を入れると、瞬時に蒸気が上がる。


「できましたね!」

「うん。水力ハンマーだけを使っても良かったけど、いい経験になっただろう?」

「はい! 少しだけですけど、鍛冶のことが分かった気がします」

「それは良かった。研ぎは任せたから、荒削りが終わったら教えて」

「頑張ります!」


 鍛造品の場合、持ち手なども滑らかにするため、研磨を掛ける場所が多い。

 この後、ひぞこという刃の裏面に、裏スキとも呼ばれる浅いくぼみを作る必要がある。

 鋏の切れ味を左右する、とても重要な部分だ。

 さすがにそこまでピエトロに任せる訳にはいかない。


 休憩して少しは体力が戻ったのか、ピエトロは元気に荒研ぎを始める。

 その姿を見ながら、エイジは気を一度ゆるめ、体を伸ばす。

 腕の筋肉は以前よりも随分と楽になった。

 ようやく生活に体が慣れてきたようだ。


「さて、炉が冷えない内にもう一丁作るとするか」


 鋏一丁作るのに二時間近くかかる。

 朝から始めても三つ四つ作れば一日が終わってしまう。


「一つは普通の鋏を作ったし、次は梳き鋏を作るとしよう」


 梳き鋏は一度しっかりと見たことがある。

 片方の刃はそのままに、もう片方だけが櫛のような形状になっている。

 普通の型作りを終えた後、たがねで櫛状に一つ一つ切れ目を入れていくことで出来るだろう。

 梳き鋏があれば、髪を切る作業量も減るはずだ。

 制作に使う鉄を選びながら、エイジは再び気を引き締め始めた。





「散髪ですか?」

「はい。新しい髪用の鋏を開発したので、タニアさんもどうかと」

「うーん……毛先だけでしたら」


 自宅に戻ったエイジは、鋏の切れ味を妻の髪の毛で試そうと考えた。

 艶があって、柔らかくもしなやか、という表現がぴったりな綺麗な髪だった。

 普段から丹念に櫛を入れているのを知っていた。


 清潔に保たれた髪は軽くウェーブしながら、肩口を超えて肩甲骨のあたりまで伸びている。

 家の表に出たタニアは背中を向けて、髪を切りやすいようにする。

 相変わらず綺麗な髪だ。

 夕日に照らされると黒い中にわずかに赤みがあることが分かる。


 櫛を通すと滑らかにすくことが出来る。

 櫛を通して、途中で揃った髪の先を鋏で切る。

 シャク、と小さな音とともに、予想よりも軽い手応えで鋏が動く。

 パラパラと切られた髪の毛が散った。


 端から順番に少しずつ切っていく。

 自分の手の中で自由に形を変えていくのは、やっていて面白い。

 ひと通り終わったあと、一度離れてみてみる。

 日本人形みたいだな。


「どうですか?」

「ますます綺麗になりましたよ」

「あら。エイジさんも随分と髪が伸びてきましたね。私も切りましょうか?」

「大丈夫ですか?」

「そんなに無理に切らないんで、大丈夫だと思いますよ。切ったことないですけど」


 不安になる言葉だな……。

 さあさあ、と促されるがままに背中を預ける。

 シャキシャキと髪の毛の切られる感触とともに、パラパラと毛が落ちていく。


「あっ」

「ど、どうかしましたか?」

「いえ……なにも」

「本当ですか?」

「大丈夫です」


 目が泳いでるんですが。

 エイジの中で嫌な予感が高まっていく。

 再び鋏が髪の毛を切っていく。

 少しの間順調に髪が切られていたかと思うと、また不穏な声を聞くことになる。


「あっ」

「ちょっと、本当に大丈夫ですか、タニアさん!?」

「大丈夫、大丈夫です! ちょっと右側を切りすぎてしまったので、整えますね」

「……無理そうなら、出来る人に頼みますんで、早めに言ってくださいね」

「信用してくれないなんて、私悲しいです」

「むっ。そこまで言われたら強く言えませんね」


 仕方がない、覚悟を決める。

 勢い良く髪の毛が落ち、風に乗って散っていく。

 その量は普段切られている時よりも、かなり量が多いように感じる。

 しばらく無言が続く。

 その時には嫌な予感が確信に変わっていた。

 おずおず、という様子で、タニアがエイジに声をかける。


「あのー」

「はい」

「…………」

「できましたか?」

「いえ……。今からジェーンさんを呼んでくるので、少し待っていてもらえますか?」

「……分かりました」


 覚悟は出来ていた。

 出来ていたはずだ。

 この時ほどエイジは鏡がほしいと思ったことはなかった。

 ガラスと一体何で出来ているのか。

 村長の家に行けば銅鏡はあるが、果たしてそれで本当に自分の状態がしっかりと分かるのか。

 冷たい風が肌を打つのを我慢して、タニアとジェーンが来るのを待った。

 しばらくしてジェーンが、タニアに腕をとられてやってくる。

 訳もわからないまま連れられて、困惑した表情だった。


「急に人を呼び出してどうしたんだい?」

「助けてください。エイジさんが……」

「なに! エイジに何かあったのか……って、なんだいその髪は!」


 ジェーンが髪を見た途端、驚き、そして次の瞬間には腹を抱えて笑いだした。


「アハハハ! 顔が歪んで見えるよ」

「あまり笑わないでくださいよ。好きでなってるわけじゃないんですから」

「いやー、ごめんごめん。ちゃんと男前にしてあげるから、機嫌直しなよ」


 タニアが謝罪を続けている。

 ジェーンに髪を切られながら、エイジは思った。

 二度と素人に散髪を任せることだけはしないでおこう、と。


 おおむね大きな問題もなく、平穏無事な日々を送っていた。

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