第5話 手押し車と大工フェルナンド
切り倒され、乾燥された木材が何本も立てかけられていた。
村の北西部、大きな倉庫が目について、大工のいる場所はすぐに分かった。
大きな作業台に、加工された木材が転ばされている。
何かを作りかけなのか、小さな斧で凹凸が作られている。
作業をしていた男が手を止め、エイジに向かってきた。
彫りの深い顔の、美男子だ。
「おう、君が新しく村に入ったって人だね?」
「はじめまして。エイジと言います」
「僕の名前はフェルナンド。いわゆる大工ってやつだ。あっちが下働きのトーマス。この村の殆どの家は、僕たちが新築し、修理しているんだ」
「スゴイですね。何だかんだで建物の数は八〇くらいあるんじゃないですか?」
「倉庫や納屋、作業所を考えるとそれくらいになるかな」
畑や家畜を放つ牧場の獣除けの柵など、大工の仕事は目に見えない所で数多い。
それら全てを一手に引き受けるフェルナンドの腕は、かなりの物だろう。
作業場は青銅製の工具が整然と並べられ、手入れが行き届いているのがよく判る。
フェルナンド自身は背の低い、目付きの鋭い小男という感じだった。
言葉使いは丁寧だが、優しいだけの男ではない、という印象をエイジは受けた。
補うようにトーマスは長身で、体つきもゴツいという印象だ。
「それで、何の用だい?」
「実は作って欲しいものがありましてね。これなんですが……」
「どれどれ。初めて見る図だな。というか、これは君が描いたの?」
「そうです」
「へえ。こんな綺麗な絵は見たことがないな」
エイジが取り出した木版は、削った炭で描かれた詳細なイメージ図だ。
フェルナンドが珍しそうに、しげしげと眺めると、感嘆の息を漏らす。
「一輪か二輪の車かい」
「牛に牽かせるのではなく、手で押す形を想定しています」
「へえ。自分で押すのか。それでこの把手が付いているわけだね。上手く使えば運搬が楽になるなあ」
「最終的には一家に一台は欲しいところです」
「うちでも使えそうだな」
フェルナンドは早くもどのように制作すればいいのか考えがついているのか、車輪はこうして……などと小さく呟いた。
小さく二度、三度と頷くと、顔を上げる。
「面白い発想だ。問題なく作れそうだよ」
「お願い出来ますか?」
「報酬は一週間分の麦でどうだい?」
「一週間分ですか……」
備蓄のさほどない生活で、しかも主食の麦だ。
燕麦や大麦、野菜とは格が違う。
エイジの価値基準からすれば、高すぎるの一言に尽きた。
フェルナンドはニヤニヤと笑っている。
ふっかけているのを自覚しているのだろう。
「もう少し安くなりませんか?」
「なるよ」
「それじゃあ……」
「代わりに大工道具を作ってくれよ。それでいい」
「ああ、そういうことですか。では物々交換といきましょう。先にいただく形になりますが」
「鍛冶屋は助かるからな。なにせ釘一つでも、よその村から買ってこなくちゃならねえんだからなあ」
「まずは
「カンナ……何だそりゃ?」
「まあ、出来上がってからのお楽しみです。きっと気に入りますよ」
フェルナンドはしばらく黙っていた。
出来上がる未知のものの価値を量りかねているようだった。
だが、結局は認めたようだ。頷くと手を差し出してくる。
ぎゅっと握ると、ひどく硬かった。
毎日斧だなんだと握り、働いてきた男の手だった。
「この木版は借りておいていいかな」
「構いません。よろしくお願いします」
「仕事は任せてくれたらいい。逆にこっちがそのカンナとやらを気に入らない時は、遠慮なく別のものを取り立てに行くからね」
「それは怖いですね。まあ、大丈夫ですよ」
エイジは笑った。
ノコギリの歴史は紀元前一五世紀まで遡る。
だが、鉄製のノコギリはローマ時代まで現れないし、木材の断面を見るに、鋸で切られた様子はない。
あまりにもデコボコしているからだ。
きっと、そのあまりの切れ味にフェルナンドは喜ぶだろう。
物が出来上がるのが楽しみだった。
炎を見ていた。
真っ赤に燃える炎は、エイジに必要なことのすべてを教えてくれる。
木が木炭に変わる瞬間、煉瓦が焼きあがる温度、酸化鉄を放り込むタイミング――。
いま、三日かけてキンキンに焼きあげた白炭が真っ赤に燃え上がっていた。
煙突から吹き上がる煙は、最初黒色だったものが、今は水蒸気の白いものに変わってきている。
耐熱煉瓦が出来るのだ。
あれから更に一週間が経った。
準備は忙しく、毎日がクタクタだった。
煉瓦造りにはまず土探しから始めることになった。
普通の煉瓦では高温に耐え切れず溶けてしまうからだ。
フィリッポの助けを借りながら、土探しで二日。
この近辺のありとあらゆる山を知るフィリッポがいなければ、耐熱煉瓦を諦めていただろう。
だが、煉瓦が出来ればようやく望みの炉が作れる。
炉が出来れば鍛冶ができる。
そうすれば村の生産力は飛躍的に上がるだろう。
未来への展望が開けてくれば、疲れも我慢ができた。
村のためというよりも、自分を拾ってくればタニアのためにも、役に立ちたかった。
タニアにはまだ、手を出していない。
寝床に入る時、たまに誘われているのではないかと思うことも何度かあった。
食事の時、何かで手が触れ合う時、蠱惑的な流し目が使われ、誘惑に駆られた。
寝る時にささやき声でおやすみなさい、と言われた時も、衝動が身を襲った。
その度にグッと堪えて、一人で床に入った。
今多くの人に借りがあり、何一つ出来ていない状況では気後れがある。
早く早くと、気ばかりが急く。
せめて、一つでも物を作り上げたら……、その時は。
ゆっくりと日が落ちていくのに合わせ、竈の火もゆっくりと消火されていった。
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