ひとをだめにするスーツ
藤原くう
第1話
そのスーツは「シアター」といった。THEATER――映画館という名前のついたそれは、ありとあらゆる五感を満足させるためのデバイスであった。
ペンギンの見た目をしているわけではなかったが、映画館のような見た目をしているわけでもない。どちらかといえば、登山家や寒い地方の人間のような格好だ。まんまるとしたシルエットは雪だるまのようにも見える。
スーツの入り方は簡単。スーツに触れると生体認証が始まり、勝手に開く。冷蔵庫のように扉が開くような感じだ。その中に入るわけだが、中はそら豆の鞘の中のようにふわふわとしたもので覆われている。アイアンメイデンと違うのはそこである。
扉がゆっくりと閉まると、真っ暗だ。ふわふわとした綿毛に全身を包まれる。人によっては胎内にいたときのことを思い出すらしい。
光が点る。先ほどまで見ていた景色が目前に表示されるのだ。中にいる人間が振り返ろうと意識すれば、足を動かすことなくシアターは振り返る動作を行う。ふわふわとした綿毛は人間の発する電気信号を読み取るためのものでもあった。そのために、中へは服を脱いで入らなければならない。少しでも感度を悪くさせないための仕組みで、下着も許されない。これは男女変わらない。
自分がシアターを身に着けているという感覚が希薄になるように作られているために、恥ずかしがる方もいるかもしれないが気にすることはない。多くの人間がそれを受け入れて生活しているのだから。
シアターがつくられた経緯は、あまり知られていない。当初は宇宙服として設計された。宇宙服だから、密閉されているし丸々としているわけである。人工筋肉によって人間の発揮できる以上の力を持っていたし、金属にくっつくこともできる。酸素も背面のタンクから補給され、排泄物は再利用される……。
その当時はシアターという名前ではなく、宇宙服、くらいでしか呼ばれていない。
革新が訪れたのは、人々が宇宙へと飛び出していき、第二の開拓史が紡がれはじめて二世紀か三世紀かが経過したこととされる。
生み出したのは――一風変わったことをすることで有名な――ジャパニーズであった。
シアターを生み出したのは、AV(アニマルビデオを除く)を制作する会社と「ドール」と呼ばれる精巧な人形を製造する会社である。前者については銀河中の人間がお世話になっていることだろうから詳細は省く。後者に関していうと、ドールというのはラブドールのことである。性欲のはけ口に使われるものとは限らないが、その定義について語っていると日が暮れてしまうからこちらも省略。
とにかく、何を思ったのか、二つの会社は手を取り合うことになったのだが、そこにあったのはVR技術の衰退だろう。
VRというのは夢の技術であった。現実世界というのはとにかく制約が多い。科学的な物理法則によるものしかり倫理的な問題しかり妻から言いつけられる約束事――おっとこれは筆者だけかもしれないが――などなど。
しかし、仮想現実内であればそのような制約を勝手に書き換えることができる。空を飛びたければ、そのようなプログラムを組み立てるだけでいい。もちろん、パブリックな場所では、現実と同じように法があってマナーがある。しかし、パーソナルな範囲を逸しなければ、大抵のことは許されていた。他人に迷惑をかけない自分だけの世界がそこにはあるからだ。
VR技術は衰退などしていないという声があることは重々承知だが、衰退していないとしても、停滞していることは誰の目にも明らかだ。
VRの目的地は、五感を電脳世界へと移すことだったはずだ。五感を接続し、あたかも仮想空間にいて、空を飛んでいるという感覚をダイレクトに感じること――それこそが至上命題だった。
『だった』。過去形だ。俗にフルダイブVRと呼ばれる方法は、人間には利用できないということになったのだ。理由は定かではないが、参入した企業――主に軍事関係――が数年後研究をストップしたというのだから、何やら深刻な問題があったと考えられる。人間の電気信号と機械の相性が悪かったのではないか、むしろ相性がよすぎてしまったために帰れなくなってしまったのではないかなどと噂されているが本当のところはわからない。
とにかく、研究は凍結された。
それで現れたのがシアターである。シアターは従来のVRデバイスと機能面において何も変わらない。つまり、映像を立体的に表示させ、現実のもののように錯覚させるというだけだ。
モニターの向こうに女性がいるとしよう。彼女がこちらへと歩いてキスをしてくるという一連の流れ(これは実際のデモ映像にもある)だ。ただ近づいてきてキスするだけなら、視聴者は何も感じない。ゴーグルを――その映像以外の視覚的情報を遮ることで、視聴者は鼻先を舐められて驚いてしまうかもしれないが、それだけだ。
シアターは、仮想上の女性が視聴者に近づいたところで、香水の香りを再現する。再現されるのは視聴者の好みに応じたもので、筆者であればシャネルの五番と言ったところだ。匂いだけではない。足音は手前からこちら側へと近づいてきているように聞こえるし、抱きしめられた感覚、ざらざらとした舌に歯の裏まで舐めまわされるといったシチュエーションまで再現されるのだ。
人間の五感を同時に刺激することにより、目の前の映像が本物であると錯覚してしまう。VR技術は行き詰まり、フルダイブVRも完成が絶望的となったところでこのようなデバイスが生み出された。人々は喜んで機械仕掛けの装置に身を包んだ――わけではなかった。
むしろ、その反対だ。人々はそのような疑似的な反応を拒絶したのである。理由は様々であったが、大抵は「そんなの古臭い」というものであった。人々は仮想空間という理想郷にいたる夢を捨てきれていなかったのだ。
そういうわけで初期のシアターはほとんど売れなかった。
翌年は、銀河ネットワークができた年でもある。宇宙人からもたらされたワープ技術に支えられた通信技術は、送信者へ直接送られるというものであったから、タイムラグが発生しない。例えば、月面上で行われるサッカーをアンドロメダ銀河で観戦するとしよう。光であれば250万年かかって届く距離であっても一瞬である。といってもワープは重いものを運ぶことができないという性質があり、宇宙人も扱いに困っていた。
それを有効活用したのが我らがシアターである。正確にはシアター2となる。
その通信技術を用いたことによって、送受信のラグをなくした。例えば、VR酔いというのが過去存在したが、それは視聴者の感覚と映像とにズレやラグが発生していたことが原因とされる。これだけ首を動かしたのに動いた分だけ映像が動かなかったら、想像していたものと違うと脳が困惑してしまうのだ。ラグも同様、表示が少し遅れただけでも脳は違和感を覚えるのである。
そのようなラグなどを原因とする宇宙酔いは何世紀も前に解消されたはずでは。その疑問を呈した人は、VRに精通していると思われる。確かにその通りなのだ。地球上にいる限り、ラグの影響はほとんどない。
ラグの影響を強く受けるのは地球の外で作業している人間たちである。
シアター2は同一銀河内であれば、ラグの影響を受けずデータのやり取りを行うことができる。シアター2を共同設計した二つの会社は、成人コンテンツに特化した企業で、初期のシアターもそのようなコンテンツを楽しむ層に売り出した。……その成果が芳しくなかったのは先に述べたとおりだ。
そのため、売り方を変えた。シアター2は遠距離恋愛におすすめですよ、と。
遠距離恋愛。宇宙に進出した現在において、過去に用いられた時よりもずっと大きなスケールで用いられるようになっている。地球と月では誇張しすぎていると言われるほどで、地球~金星間よりも遠い距離に用いられる。その程度の距離ともなれば、愛し合う二人が通話しあうことは厳しい。いかに速い光といえど一時間二時間のタイムラグが発生するから、浮気していないでしょうね、という彼女の問いかけに、彼氏は一時間もむっつりと黙り、「してないよ」という返答がようやっと送り返される。その間、彼女はやきもきしながら待つことになるし、彼氏側も気が気ではない。
その惑星で付き合えよ、という無粋な言葉は無視だ。恋愛感情はそうしたものではないことは言うまでもない。愛し合う二人はどこにいても愛している――そのような価値観があり、シアター2はそんな層を狙ったキャッチコピーを打った。
『愛する人のぬくもりをあなたに』
そんなキャッチコピーとともに発売されたシアター2は、空前絶後のブームを引き起こすのだが、その前にシアター2は一つ前と何が違うのか。ほとんど差はない。ただ、ラグが起きないというだけ。後は消費者が手を伸ばしやすいデザイン――丸っこくて雪だるまのような愛らしい姿と過剰なほどのカラーバリエーション――くらいのものだ。そのほかは何も変わらなかった。人間というのは単純であったが、それだけどこにいても誰かの温もりを得られるというのはありがたかった。
そういうわけで、シアター2は太陽系を股にかける愛をより強固なものにするため発売されたのであった。
これで終わりなら、どれだけよかったか。
話はもっと複雑なのである。
愛とはいったい何なのか。これは今もなお、研究者から政治家、一般人までをも悩ませる深遠な問いである。
一方で愛情表現なら、誰しもが思いつくだろう。子どもになら、頭を撫でてあげるとか、子守歌を歌ってあげるとか褒めてあげるとか。では、カップルでは?
抱き合う。キスをする。そのどれもが肉体的な接触だ。そうなると、最終的にはセックスということになる。
初期型ではシアターは外部から取り込んだ映像しか再生することができなかった。シアターはAVをリアルに再生する機器だったからそれで十分だったのだ。
では、シアター2は? 愛し合う二人が目と目を合わせキスをするのだからと、カメラとマイクが向上している。初期型でも搭載しているのだが、あくまで非常用のもので――扉が開かなくなった場合や、火事になった場合だ――常に使用されることを考えられていなかったからだ。
でもセックスっていったってさ、太陽系の端っこにいるのにできるの、と疑問に思うのは非常にわかる。わかるができるのだ。送受信される情報にラグがなく、その情報に従って的確にシアターは機器を動かし、使用者に情報を伝える。彼が愛撫すればさわさわとした感触を。彼女が愛の言葉を囁けば、それを耳元で囁いている風に。
シアターは伝えられた情報を忠実に再現しているだけに過ぎないから、感覚を与えているのは機械に違いない。しかし、最愛の人間が隣にいて、行為の後のいじらしい会話を行っているように感じてしまうのだ。そう感じるようにできているのだ。
いいことではないか。まったくだ。そのような純粋な愛に利用されるのであれば、確かにいいものであったのかもしれない。
しかし、いつの時代もツールというのは悪用する人間がいるものである。
発端は、芸能人であったらしい。らしいというのは、学術的に調査してみたものの、その利用方法の発端を見つけることができなかったのである。そう言った機器に疎い芸能人であったから、誰かに入れ知恵されたのは間違いないのだ。となると、アンダーグラウンドで行われていたとみるべきだろう。
芸能人は不倫をしていたのだ。それも、妻の目の前で堂々と。
なんてことはない。彼はシアター2を着ていたのだ。あれほど巨大なものを着ていて苦言を呈さなかった妻も問題であったが、それほどまでにシアターというデバイスが膾炙していたと言うべきだろうし、芸能人はそれを仕事に用いていたというのもある。一種のビデオ通話の機器としても使用できたからだ(そのような用途で用いるシアターを特にスタジオと呼ぶ)。
シアター2は、外面からは何をしているのかわからない。腰をへこへこ動かしてもわからないような構造になっている。そうじゃないと、紳士淑女は性的な愉しみに集中できないではないか。
シアターが世間に広まっても、それがそういった目的のために造られた事実は変わらない。そういう意味において、その芸能人は正しい使い方をしたと言えなくもない。現在からみればなおさら。
当たり前のことながら、不倫は悪い。悪いことなのだが、誰も咎めることはできない。一人で性欲を発散しているかもしれず、プライベートな部分に踏み入ることは躊躇われた。
議論は行われたが、多くの人間は反対した。シアターという何でも行えるスーツを――この時にはすでにシアターXに名称を変えていた――手放したら何もできないと口々に言ったが、それは建前だ。
誰しもが、どこでもセックスできるという退廃的な悦びを知ってしまった。一度得てしまったものを手放せるわけがなかったのである。
それでどうなったのか。結論を言えば、別に何も変わっていない。
表面上は何も変わっていない。人々はいつものように働いている。
なぜなら、そうなる前からシアターは身に着けていたし、シアターは外面だけでいうならば、真ん丸としていて愛らしいからだ。
その中で何が行われているのかはわからない。隣に座っている人はキスしているかもしれず、ウェイターは彼女に肉体を見せつけているかもしれない。腰を振って卑猥なダンスに耽っているように見えるシアターはむしろ健全という可能性もあった。
ただ、いつでもどこでも快感に浸れるというだけだ。それも不特定多数の人間と!
このようなことは、人類史上初めてのことだ!
このようなことがあってもよいのだろうか。甚だ疑問である。
ピリオドを打った私をシアターが労ってくれる。人間が肩をもんでくれるような感覚。ちょうどいいもみ具合に思わず声が出てしまう。シアターX――十世代目にもなると、たいていのことがシアターで完結した。私が寄稿しようと考えている文章にしても、シアターが私の思考を読み、書いてくれる。
天を仰ぎながら、これからの未来に想いを馳せる。このままいくと、人類は快楽に慣れてしまうだろう。そうなったらどうなるかは言うまでもない。快楽を感じなくなったら、その快楽を感じられるように増やすのだ。雪だるま式に増えていく快楽。そうなってしまえば、ヒトは快楽を受け取るだけの存在になる。気持ちよさに飲み込まれて何もしなくなるのではないか。
なればこそ、私は問題提起しようと思うのだ。
もみほぐしが終わる。その細い白魚のような手が、腕を伝って股間のあたりまで下りてくる。
「やめろ!」
いつもであれば、それで手の感覚は霧散する。音声認識によって、シアターは操作が可能だ。不特定多数の人々が快楽を求めて、誰とでも繋がろうとしてくる。そういったものは煩わしいし、何よりどこでも快楽に浸るなんてそれでは動物となんら変わらないではないか。いや、動物以下ではないか。
しかし、体を這う感触はなくならない。いやそれどころか増していくように感じられた。
「なっ。や、やめろ」
私は両手をばたつかせて、手を払おうとする。そうしようとしたのだが、体は動こうとしない。これから起こるであろうピンク色の快楽を待ち望んでいるかのように。
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