第5話 初めての恐怖

 鼻血を噴き出して倒れている小娘たちを放置し、ベッドから降りてみる。

 どうやら逃げようとしなければ、ある程度の行動は可能のようだ。


 だが、殺そうとすると体が硬直してしまう。どうやら、こんな無防備な小娘を殺す力も今の自分にはないようだ。


 窓の外に目をやると、広大な草原を見下ろせる。

 どうやらこの屋敷も丘の上にでもあるのだろう。

 少し離れた場所に、それなりの大きさの村……もう少し先に行けば街もあるようだ。

 とはいえ、それでも辺境地。

 これまで自分たち魔王軍も特に価値を見出さずに手を出すことも無かった大陸の辺境地。平穏を感じられる。


 庭に出ることもできそうだ。

 宝玉の効果は自害と反逆をできなくすること。

 ゆえに自分に対して「この敷地内から逃げるな」などを命じていなければ逃げることは可能。


 だが、屋敷の周囲と庭を覆う塀……ここから先は強力な結界が張られて、今の自分では破ることは難しそうだ。

 角さえ再生すればどうにでもなるかもしれんが、問題なのは肉体の一部と化している宝玉だ。

 あの炎竜王すらもこれで手なづけることができた。

 気を失って瀕死の状態で埋め込まれてしまえば、自分の意志で取り外すことは不可能。


 自分の角が再生する以外でこれをどうにか引き剥がすには、主の死しかない。

 

 状況から見るに、5人で自分に宝玉を埋め込んだ様子。5人の誰かが死ねば解除されるのか、それとも5人全員が死なねば解除できないのかは不明。

 自分が殺すことができないのであれば、誰かに殺させるようにするしかない。どうにかして魔王軍の残党と連絡がつくようになれば手もある。

 ただ、問題なのは既に魔王軍の大将軍たちもはぼほぼ討たれた現状、魔王軍にあの5人を仕留められる者は思い当たらぬ。


 本当に最悪のことを考えた場合、あの5人が死ぬのを待つというのもある。


 人間の寿命など我ら魔族からすれば閃光のようなもの。数十年耐え続けるという手も無くはない。


 そう、数十年の地獄であれば……むっ……



「穏やかでしょう。のどかで落ち着いて、これまでの争いの日々を忘れさせてくれます」



 寝室で一人起き上がった気配を感じた。

 どうやら、魔法使いのアネストのようだな。

 みっともない鼻血も拭き、これまで見たことも無い微笑で、自分の隣に立った。


「あなたと人類と魔族、地上と魔界、それぞれの生存権を懸けて、そして先祖から続く勇者の使命のために幼少期からの過酷な訓練と戦いの日々が嘘のようです」


 そう語るアネストは遠くを見つめながら、自然と自分の腕に寄り添ってきた。

 それを振り払おうとしても、どうやら宝玉の力でできないようだ。



「私たちの人生をそのようにしたあなたが憎い……数多くの戦友を奪った魔族が憎い……大魔王を殺し、平和を勝ち取る……それが私たちの願いでした。しかし、このようなことになるなど、つい先日まで思いもしませんでした」


「……やろうと思えば、そなたらなら今すぐにでも―――」


「本当に、愛の力とはすごいものですね」


「…………ぬ、ぬぅ?」


「たったそれだけで、勇者と大魔王の立場や、これまでの人生全てを投げ捨てられるほどの想いに塗り替えられてしまうのですから。ね? ジャーくん……いえ……『ア・ナ・タ』」


「ッ!?」



 鳥肌? 悪寒? 自分が? 

 いかなる勇者の剣や大魔法を目の当たりにしても臆さなかった自分が、そう言って更に身を寄せてくるアネストに悍ましいものを感じた。



「分かっています。本当なら二人きりで誰も知らない誰も居ない地で永遠に愛し合うことが理想なのだということは。しかし、シャイニたちがアナタに一目惚れしてしまったことと、いかに私とてシャイニたちの追跡を完全に撒くことは不可能……このような妥協の生活になってしまいまったことを許してください。大丈夫です。私は分かっているのです。アナタノワタシニタイスルアイヲ」



 何という歪み……恐ろしいのは、まるでこの小娘はソレを疑っていないということ。

 歪んでいるのに目は真っすぐ純粋で、本当にそう思い込んでいる。



「ただ、ちょっと残念なのは……いかに宝玉で拒絶できなかったとはいえ、寝起きのアナタのハグやナデナデをシャイニたちに奪われたことですね……アナタも本当は私としたかったのでしょう……ああ、アナタが辛そうなのは、私ではなく他の女に先を抱きしめてしまったことでしょうか? 穢れたと傷ついているのでしょうか?」


「ぬっ、ぬう?」


「ああ、そういえばそもそもアナタは経験豊富のようでしたから、そもそも先ほどのが異性に対するファーストハグやファーストナデナデでもないのですよね。……当然ファーストキスも……ふぁーすとえっちも……ああ、そうでしたねぇ!」


 

 なんだ、急に空気が一変した? 弾ける空気が肌を叩く。

 これは……!?



「でも、心配いりませんよッ!!!!!!!」


「ッッ!?」


 

 突然の殺気。魔力を練り込んでいる。本来であれば楽に回避可能。しかし、身体が動かぬ! 

 来ると分かっているものを回避も防御もできん!


「ギガ・バーニング・エンド!」

「ッッ!!??」


 最強に近い爆撃系の魔法。本来であればくらうはずのないもの。

 しかし、今の自分では……


「ぐっ、お、おおおおお!?」


 強烈な熱と爆撃は、自分の両腕の肘から先を一瞬でふっ飛ばした。



「痛いですか? でも、愛する人のハグを目の前でシャイニたちに先取りされた私の胸も同じぐらい痛かったです。でも、こうすれば……ギガ・ヒーリング」


「ッ!?」



 しかし、欠損した両腕が上級の治癒魔法で癒されて修復される……これは……



「さ、消し飛んだ腕が元に戻りましたね。これでこの腕で私をハグしてくだされば……ウフフフフ、再生されたばかりの両腕で包み込んでくだされば、私がアナタのファーストハグの相手ですよぉ!」



 歪んでいるどころか、純粋に壊れている。

 たかがこの程度のことで……いや、考えよ……むしろコレを利用することはできないか?


 ハグを先走られたことで腹を立てて人の両腕を爆破する女。


 その嫉妬心を煽れば、他の小娘たちもこやつの手で……



「拒否をする。自分はそなたに欠片も興味もない。最終決戦で呟いたこともただの冗談だ」


「…………………」



 バカなことを。このような世間知らずな小娘を垂らし込んで助かろうなど、大魔王にあるまじきこと。

 誇りは決して―――――



「嗚呼、やはりアナタは本当に私を想ってくれているのですね!」


「……なに?」



 それなのに、何故にアネストは感涙している?



「だってそうでしょう? あの時の発言が本当に嘘だった場合……それならアナタはこの状況から何としても逃れようと策を巡らせるはず……今の私の大胆な行動で、アナタほどの方なら思いついたはず。『私の嫉妬心を煽って、シャイニたちと同士討ちをさせればいいのでは」と……でも、アナタはそれを実行しなかった! 貴方の愛が、私に友を殺めさせるということを避けたのでしょう……何という優しさ……何という愛なのです!」


「……な……なぜ……」


「愛も友情も取りましょう! 私たちは五人で仲良くアナタを共有します! アナタの私への想いに報いるために!」



 何故そうなるぅうううううううううううう!!??



「かつては、人と魔で分かり合えない者なのかと戦争に嘆いた頃がありました。でもそれはできないと諦め、魔王軍にもアナタにも憎しみと殺意を持って戦いました。でも、私は分かっていなかった。愛さえあれば分かり合えると……アナタ!」



 そして、アネストは自分の胸に飛び込んで、顔を埋め……



「さぁ、アナタ! そのおニューの腕で私を抱きしめてくださいませ!」



 自分はそれを拒否することができなかった。

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