第93話
教会の地下に広がっていた光景は、惨状、という言葉しか出てこなかった。
まるで家畜小屋みたいな粗末な狭い空間に、ぐったりと横たわる少年や少女達。
空気は、もう、普通なら吐き気がしてその場にうずくまるくらいの悪臭。
耐えられてるのはやっぱり、賢人だから、なんだろう。
内心ではどうしても見たくなくて目を背けようとしてしまったけど、無理矢理にその衝動をねじ伏せる。
その上で背後から不意打ちしようとしてか、私の頭を棒でぶっ叩こうとしてきた神父には、もう一度床と強制的にカップルになってもらった。
魔力の加減を間違えてしまったので、ずごん! という凄く痛そうな音が響いたけど、まあいいや。
あとよく見たら棒じゃなくて剣だったけど、それもどうでもいいや。
いや、どうでも良くないな?
剣で頭をぶっ叩こうとしてくるって、殺す気満々じゃねぇかこの野郎。ふざけんな。
「ばかなっ……! あれだけの魔力を使って、なぜ……!」
驚愕に目を見開きながら金魚のようにパクパクと口を開いたり閉じたりしてる所をみると、どうやらあの魔力による圧力をそんなに連発出来ないと思い込んでいたらしいのが窺えた。
うーん、この…………まあいいや。
「愚かだな、力量を見誤っている事に気付けないとは」
「なん、だと……!?」
すっかり忘れてたけど、他人の魔力量を見極められる人ってそんなにいないんだっけか。
どこ情報か忘れたけど、この感じからすると一般常識かもしれない。知らんけど。
なので私は床とイチャイチャしてる神父を無視して、子供達の救助を最優先したのです。仕方ないね。
なんか私は触っちゃいけない気がしたので、魔力で作った手みたいなもので彼等を一気に全員掬い上げてから、神父を踏み…たかったけど汚いから魔力でわざわざ道を作ってその上を歩く。
そうやって地下から教会の人々が転がった広い所、なんだっけここ、礼拝堂? に出てみると、なんか知らんけどあちこちから息を飲むような音と気配がした。
神父が保護した筈なのに、随分と酷い状態の彼等を見てしまったからかと思ったが、私に嫌悪の視線を送ってきたのでなんか違うらしい。
「貴族め……」
「あんな小さい子まで……」
「どうしてあんな酷い事が出来るんだ」
「人でなし……」
いやなんでワシがやった事になっとんねん。
見りゃ分かるやん、ふざけんなてめぇらの目は節穴か。
あ、節穴やったわ忘れてた。
「君達の目は飾りかね?」
「はっ、なんだよ、言い訳するつもりか?」
「彼等の傷は昨日今日出来たものではない」
「は?」
いや、は? じゃねぇよこの節穴どもが。
マジで役に立たないなさすが節穴。
「おおかた、治療もせずに放置されたのだろう」
「神父さまがそんな事する訳ねぇだろ!」
「では彼等は何故治療されていない?」
「てめぇが神父さまを陥れる為に傷付けたんだろうが! クソ野郎!!」
はい、全力の否定入りましたー。
めんどくせぇー。
「やかましいな、黙っていたまえ」
「なんだと!?」
「光の精霊殿、良ければ来て頂けないか」
『呼びました?』
いや早い。
と思ったら、見た事のある精霊さんでした。
えっと、あなたは確か、姉妹のお姉さんの方、お下げちゃんの近くに居た金髪の美少女精霊さんでしたよね。
なるほど、光の精霊さんだったんですねあなた。そりゃ早いわ。近くに居るもん。
あー、うん、そういえば光の精霊王さんと同じ色合いでしたね。
なるほどなー……って感心してる場合じゃなかった。
ええと、何しようとしてたんだっけ?
あぁ、そうそう。
「水の精霊達、おいで」
『あらあら、なんてことかしら』
『かわいそうに』
『ひどいことするわね』
声を掛けるだけで現れた、青い光の玉が好き勝手に喋る。
どうやら空中に浮かぶ酷い状態の少年少女達を見て、その上で彼等を哀れんでくれているらしい。
ふわふわと浮かぶ精霊達は、三……人にしとこう数え方よく分からんし。
近くに川は無くても水路や貯水池があるからか、予想通り精霊はその辺をうろうろしてるようだ。
思い思いに四方八方へ飛び回りながら、この場では私にしか分からない可愛らしい声を私の頭の中に響かせている。
「貴方達には彼等の治療をお願いしたい。魔力は好きなだけ持っていくといい」
『そのくらいなら』
『傷の洗浄が必要ね』
『すごくいたそう』
ふわふわと浮かぶ光の玉達はそれぞれの役割があるのか、洗浄、癒し、調整に別れて行動を開始した。
魔力が少し持って行かれたが、キラキラと光る魔法の残滓に、あちこちから驚いたような声が上がった。
貴族が平民を癒しているという事実が信じられないらしい。はい馬鹿ー、赤ちゃんからやり直してください。
なお私はというと、精霊達がやっている事って何か参考にならないかなー、と観察していたりする。
私なら頑張れば出来るんだろうけど、見本がないとどうなるか分からないのはどの世界でも共通なのである。
その上で分かったのは、魔法による癒しっていうのが、自然治癒力を高めた上で無理矢理に増やした細胞を使って強制的に傷を塞いでいるだけ、という事だろうか。
これ、もしかしなくても後遺症とかめっちゃ残るやつやん。
体力無かったら死ぬやつやん。
あかんてそんなん。傷だけ治しても意味ないやん。
いや、心の傷の方がヤバいんだけどさこの子達。
病は気から、って言うし、このままだと衰弱死する未来しか無いやん。あかんてそんなん。
焦ったその時、澄んだ声が頭の中に響いて来た。
『それじゃあ、わたしは何をしたらいいのかしら?』
うん、そうだね、もうこの人に頼むしか無いね。
「……光の精霊殿は彼らの基礎体力の回復と、記憶をこの場にいる全員に見せてやってくれないか」
光という属性は、浄化と回復に長けている。
だがしかし、希少属性らしくて使える者も少なく、詳細は不明点が多い。
つまり他の属性に比べて、その能力は未知数なのだ。
それでも分かっているのは、『光』という限定的なものが使えるということ。
もしかしたらイケるんじゃないかと思ってかけた言葉には、不思議そうな声音が返ってきた。
『体力はともかく、記憶? どうやって?』
体力回復イケるんだ!?
すっげーな! どうするのかもよく分からんけど!!
後で何するのか確認させて貰おう!
そんなアホの子みたいな事を考えつつ、口からは冷静な説明を垂れ流した。
「人間の脳は光の信号で制御されている。
それを利用すれば、映像くらいは簡単に脳内で再生出来る筈だ」
なんかの番組でやってた知識だけど、多分こっちでも通用する、といいなあと思います。
はい、希望的観測です。
『簡単に言うけど、それすっごく難しい事なのよ?』
「出来ないのか?」
『バカにしてるの?』
できるの!?
「いや、ただの事実確認だよ」
取り繕うように言ってみたが、口から出たのはさも当たり前とばかりの断定的な、そして自信満々な発言だった。
どうなってんだろうねこの口。
『ふうん、それならいいけど、それに何の意味があるの?』
光の精霊さんのふとしたそんな言葉で、少し冷静な思考を取り戻した。
どうやら魔法という力を使っていたがゆえに、少々舞い上がってしまっていたのだと今更のように気付く。
あかんあかん、落ち着け私。
息を吸って、吐く。
そして、冷めきった精神状態で思考を巡らせた。
「……気休め程度だが、しないよりはマシ、といった所だな」
何を見せられようと、どれだけ真実を明らかにしようと、ここまで洗脳されてしまっている人間には理解不能だろうから。
彼等は信じないだろう。
だがしかし、それでも何人かには微かな猜疑心を植え付けられる筈だ。
何かおかしいんじゃないか、何か間違ってしまったんじゃないか、そんな疑問はいつか膨れ上がって、破裂する。
そして、それはいつか彼等の関係にヒビを入れ、崩壊させるだろう。
しかしそれには長い時間が掛かるだろう。
それでも、知らないままでいる事に微かな疑問を持つ事が出来ればいい。
それは彼等の偏った常識を瓦解させる手助けになるだろうから。
素晴らしい神父という偶像崇拝は、その時にゴミと化し、彼等は己の過ちに多少なりとも気付く事になる。
その時になってようやく、彼等の洗脳が解けるのだ。
つまり、今はもうこれ以上、彼等に関わっていても意味がないのである。
思考を巡らせている間に、光の精霊さんは私のお願い通りに色々やってくれたらしい。
「う、うわあああ!?」
「ひいいい!」
「待ってくれ、そんな……!」
「うそだ、嘘だぁあ!」
あちこちから色んな声が聞こえ始める。
心の弱い人間は、それだけショックだったのか号泣している者もいた。
「信じない、こんなの、でたらめだ!」
「そうだ、そんなはずがない!!」
「で、でも、じゃあ今見たのは……!?」
「まぼろしだ!」
案の定の反応なので、気にしない。
むしろ、ほらやっぱりこうなった! としか思えないくらいである。
問題は、フラフラの状態で地下から這い上がって来た神父だ。
「皆さんっ、無事ですか!」
「神父さま!」
床とカップルにした筈なのにピンピンしてやがるあの神父。
いや、ピンピンって言うほど元気じゃないし、なんだっけ……ま、邁進相違……みたいななんかそんな四字熟語、とにかく疲れきってフラフラの状態だけど動けない訳じゃない感じ。ちくしょう忘れたよ。まあいいや。
しかしこうなると、やっぱり奴は魔法抵抗力が強いタイプのオッサンなんだろう。
それが高いという事は、戦士として鍛えてあるという事で。
つまり、この神父は戦える。
戦えない人々を洗脳し、煽っておきながら、悠々と高みの見物をしていたという訳か。
うん。クソじゃん。
その上で抵抗出来ない少年少女達を監禁して虐待してたの?
え、控えめに言ってもクソじゃん。
どうしよう、どれだけ頑張って良く言おうとしてもクソしか出て来ないんだけど。
『治療、終わりましたわよ!』
『カンペキですわ!』
『元通りと言っても過言ではありませんわ!』
ふと、水の精霊達がふんぞり返りながらドヤ顔を決めた。
光ってるから顔立ちはハッキリ見えないんだけど、それでもドヤ顔をしてるのは分かるってどういう事なんだろうね。
「さすがだな、素晴らしい仕事ぶりだ」
賞賛の言葉を発しつつ、宙に浮かぶ彼等の様子を見る。
傷跡ひとつない綺麗な肌と、あれだけ薄汚れていた事など幻だったかと思う程の小綺麗な様子に感心してしまった。
唯一、彼等の着ているボロ切れのような服に、それまでの面影が残っているのかもしれない。
そのボロ切れも綺麗に洗浄されてしまっているのだけど。
『ちょっと! わたしが体力回復してなかったら死んでたのよ、調子に乗らないでチビ達』
あっ、しまった、体力回復に何やってたか見損ねた!
全力で残念がる私を他所に、水の精霊達はしょんぼりと落ち込みながら謝罪の言葉を口にする。
『ごめんなさい』
『久しぶりにたくさん魔力貰えたから』
『張り切りすぎちゃったのですわ』
『まったく、そんな事だろうと思ったわ』
腰に手を当てて偉そうにふんぞり返っている光の精霊殿だが、美少女なので迫力は無かった。可愛いです。
「おい、あれ……」
「うそだ……うそだろ、そんな訳ねぇって言ってたじゃん……」
ふと聞こえた呆然とした声に、ちらりと視線を送る。
驚愕と、動揺と、それから失望だろうか。
そんな感情をありありと顔面に浮かべながら、項垂れる男が数人。
それから、呆然と空中の彼等を見詰めながら、誰かが呟いた。
「ローさんとこの、坊ちゃんだよな……」
それを皮切りに、数人の男達は何かに気付いたようにハッとして、声を張り上げた。
「まて、あの子は……!」
「カインさんとこのレイラちゃんだ……!」
「じゃあ、あれはダールさんとこの娘さんか……!?」
「確かに顔立ちが奥さんによく似てる……!」
ざわざわ、どよどよ、そんな効果音が付きそうな程の混乱した状況に、神父の声が響く。
「皆さん、騙されてはいけません!」
「そ、そうだ、これは貴族の策略だ!」
神父の言葉に同調するように、少年の凛とした声も響く。
正直とても鬱陶しい。
「どうやって彼女達の顔を知ったかは知りませんが、悪趣味な事をしますね……!」
特徴のない顔面を不敵に歪めながら、それでもフラフラと神父は立ち上がった。
だがしかしひとつ言わせてくれ、悪趣味なのはお前だろ。
「何を言うかと思えば、知る訳が無いだろうそんなもの」
「知らないのに出来るわけねぇだろ! ウソつくんじゃねぇ!」
激昂する少年の言葉にイラッとしまくってしまったけど、仕方ないよねこれ。私悪くないよね。うん。
「では聞くが、君達の言う卑劣な貴族が、麦の一粒一粒を覚えているとでも? どれだけ矛盾した事を言っているのか、理解したまえ愚か者」
「そ、それは……」
「俺達は麦じゃねぇ! ふざけんな!」
少年よ、話が進まないから本当に黙ってくれ300円あげるから。
「それで、一体なんのつもりですか、こんなもので僕達の絆は」
「やかましい」
「は?」
「先程から聞いていれば何の中身のない発言ばかり、本当に市民の事を考えているなら何故こんな危険な事をさせる?
事件を起こして、本当に状況が改善すると思っているのか?」
「あなたのような貴族がいるより、全てを取り替えた方がマシですからね」
自信満々に断言した神父の言葉で、頭の中にあった若干の違和感の正体に気付く。
今コイツは、全て取り替える、と、そう言った。
取り替えたとして何が変わるのか、知っているから行動が出来るのではないか?
その疑問を裏付けるように、神父の呼吸、心拍数、仕草、それらは全て、欺瞞と自信と、それから嘲りに付随するもので間違いは無さそうだった。
神父自身はそこまで出来るほどの実力が無い。
つまり、この神父には上層部に協力者がいて、何とでもなると思っているという事。
なるほど、そうか。
知恵の輪が解けた時のようなスッキリ感と、その上での嫌悪感が私の身を襲う。
だってそれって、そういう事でしょ。
「…………なるほど、その自信がどこから来るのかと思えば、貴様、この領地を乗っ取るつもりだったか、浅はかだな」
「何を言うかと思えば、突然なんですか?」
馬鹿にするように笑った神父と、床とイチャイチャしてる男達の嫌悪の眼差しに、とうとう私の頭の中で何かがキレた。
この切れたのが堪忍袋の緒ってやつなんだろうな、と頭の隅で冷静に考える。
こいつらは敵だって事を今更のように思い出した。
いや、理解はしてた筈だ。
だけど、話せば分かり合えると思ってた節があった。
いやー、現代教育の賜物ですね、クソ喰らえ。
歩み寄る側はともかく、寄られる側にその気持ちがなければ出来る訳がない。
分かってたけど、これだけ言って、これだけの事をやって、その上で何も響かないとかもうマジでダルい。
私を大事にしようとしない奴らをなんで大事にしなきゃいけないのか、そして気を遣わないといけないのか分からない。
オーギュストさんの大事にしてた領民だからって
あぁめんどくさい。
もうダメだめんどくさい。
こいつらの相手してるのマジでめんどくさい。
もういいや。
「その宣戦布告、このオーギュスト・ヴェルシュタインがしかと承った」
「は?」
キッパリとした私の断言には、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔が返ってきた。
ちょっと誰かハリセン持ってきて思いっきりぶっ叩くから。
うん、潰すわ。
私の目的はなんだった?
そう、状況の検証と、脱出だ。
こいつらをどうにかしようとした時、『オーギュスト・ヴェルシュタイン』という存在の立ち位置が明確になる。
後で辛い思いをするのは、私の覚悟が足りなかった場合だけ。
そして私は、彼等を一人残らず殺すつもりで右手を上げた───────
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