第86話
あの後すぐにでもオーギュストさんのお母さん、ヴァネイラさんに魔法を使って欲しい先生と、心の準備がしたかった私とで暫くの攻防があったけど、既にOKを出していた私には負け確定の戦いだった。
そんな訳で私は現在、アルフレードさんの手配のもと、案内されたヴァネイラさんの私室にて、不思議そうな顔でこちらを見るヴァネイラさんとワクワク顔の先生に挟まれていた。
「クリフォード、一体どうしたんですの? この方はだあれ?」
「……主治医の先生だよ」
「あら? そうだったかしら……いやね、最近少し忘れっぽくて」
「そういう事もあるだろう」
あなたはそういう病気なんだよ、とは言えずに、いたたまれない気分のまま、それだけを言う。
ヴァネイラさんはそんな私の様子なんて気付いていないのか、それとも気に出来る程には記憶に余裕が無いのか。
私は医者ではないし、まだスキャンの魔法を使った訳では無いからその辺りは分からない。
とっとと調べてしまいたい所ではあるのだが、どうしたものか。
何を躊躇っているのかと言うと、私にとっては当たり前な事なんだけど、つまり。
これで原因が分かって、ヴァネイラさんの病気が完治したら、その時、もしかしたら私は、オーギュストさんじゃないと気付かれてしまうのではないか、という恐怖だ。
そうなったらなったで真摯に対応したいんだけど、この恐怖が消える事は無さそうだ。
それはとても漠然としたもので、オーギュストさんの凄すぎる勘ですら、どうなるか分からないと出ているのもその原因の一つである。
仕方ない事は分かっているけど、怖いものは怖いのである。故にしんどいのである。やだもう。
「さて、ヴァネイラ夫人、診察したいのだが宜しいかな?」
「ええ、構いませんけれど、ドレスは脱いだ方が宜しいかしら」
「いや、そのままで構わないよ、では失礼」
そんなやり取りのあとに、先生はヴァネイラさんの目を隠すように手を翳した。
すると、かくり、とヴァネイラさんが意識を失ったように先生へと倒れ込む。
それをそっと抱き留めた先生は、満足気に頷いた。
「よし、これでやりやすくなっただろう」
お気遣いありがとうございます先生。
でも一言くらい相談してくれても良いと思います。
突然倒れたから何が起きたのか分からなくて一瞬焦りそうになったわこんちくしょう何してくれてんだ馬鹿。
スキップしそうなくらい嬉々としながら、豪華なベッドにヴァネイラさんを寝かせた先生は、なんか腹立つキラキラした目で此方を見た。
「さあ! 準備は万端だ! やろう!」
それよりもまずアンタをシバキ倒したいんだけど、良いかな? 良いよね?
あ、駄目だ、オーギュストさんのヤバ過ぎる勘が、それはアカン! って言ってるから駄目だ。
賢人である筈の先生ですらシバいたらアカンってどういう事なの、って思ったけどなんか嫌な予感するから考えない事にしようと思います。
よし、スルーだ。頑張れ私。
「……仕方ないな……」
溜息混じりにやれやれ、みたいなリアクションを軽くしつつ、魔法のイメージを固める事にする。
怖くないって言ったら嘘になる。
だけど、勝手に怖がって、焦って、何もしないまま放置して、それに何の意味があるって言うのか。
後悔して、あの時どうしてやらなかったの、ってなる気しかしない。
先生の話では、このままだとヴァネイラさんは何もかも忘れて、呼吸の仕方さえ忘れて、衰弱死する未来しかない。
ヴァネイラさんは、オーギュストさんのお母さんだ。
オーギュストさんなら、きっと助けるに決まってる。
それに、わたしだって理不尽な死なんて見たくない。やだ。絶対やだ。
それじゃあもう、やる以外の選択肢なんて無いじゃないか。
逸る気持ちを抑えるように、息を吸って、吐く。
イメージするのは人間ドックとかでよく見るCTスキャンだ。
人体に全く害の無い、CTスキャン。
確かホントのCTスキャンは安全じゃないってどっかで聞いたから、ここでは安全って想像をしておかないといけない。
ほんの少し前に、凍り付いたジュリアさんに向けて使った魔法とはまた違う別の物として、新たに初めから別の魔法を造るつもりでイメージを固めていく。
その方がより安全な物になるような気がしたので、多分だけど、これで合ってる。きっと正解だ。
どれだけ考えても魔力が何なのかすら分からないけど、多分これだ! というほぼ勘でそれらしき魔力波を創造した。
想像じゃなくて創造なのは、そうした方がいい気がしたからという、これも大雑把な勘だ。
全部が勘でやってて不安感がないのかというと、実はそんなに無かったりする。
なんか知らんけど出来る気しかしないから、なるようになるやろ、というなんかそんなアレだ。
切実に知性が足りないのでアレとしか言いようがないんです大目に見てくださいお願いします。
全部勘任せだから無責任に見えるかもしれないが、誰かに丸投げしたり、中途半端にやって放置する方が無責任だと思うので、これは私なりに全力を尽くしているのです。
出来る事があるから、やる。それだけだ。
私のこの変な恐怖は、放置で良い。だって意味無いし。
内心がぐちゃぐちゃな私に反して、ヴァネイラさんは、穏やかな表情ですやすやと眠っている。
そんなヴァネイラさんへと近寄って、作り上げた魔力波を掌から翳しながら、足から順番にゆっくりと照射した。
体全体を一気に照射した方が良いのかもしれないが、この魔法を他の人が使うと仮定した時に、情報過多で脳がパンクして誤作動起こす可能性があるって勘が言ってたので、そういうやり方でしか出来ないという事にしとこうと思った結果です。
あと、まだ試験運用だから、一気にやって取り返しのつかない事が起きたら嫌だし。保険マジ大事。
そんな訳で、足からゆっくり実況しようと思います。
えーと、あ、右足首に過去捻挫した形跡があるな。
若い頃の怪我かな、そのせいで片足に負担の掛かる変な歩き方の癖がついてるっぽい。
筋肉の付き方が変な気がするから多分そう。
だからかな、左の膝軟骨が少し磨り減ってるのは。
ていうか骨密度にも問題がありそうだ。
でもこれらは加齢によるものだろうから、カルシウムとかコラーゲンとかそういうもので何とか補えそうな感じ。
あとちょっとむくみが出てる。
それと、太腿辺りに
もしかして水分あんまり取れてないのかな、むくんでたのもそれが原因か。
となると、食生活の見直しが必要だなぁ。
ん?
ふと、静脈瘤血栓を詳しく調べていて、血栓の中央に、核とも呼べそうな物がある事に気付いてしまった。
それは、目に見えないほどに小さな、魔石だった。
ざわりと肌が泡立ったような錯覚と共に、私の心にやって来たのは、フツフツとした怒り。
───呪いは人々に蓄積している───
その事実を思い出して、そして、それが裏付けされたような気がして、理解はしてたけどこれでようやく納得出来た。
はぁああ!! もぉおおお!! 隣国てめぇこの野郎ふざけんな馬鹿!!
ほんっ……! おま……! くそおおお!!
「うん? 何かあったかね」
「……いや、気にするな」
私の感情による演技のブレが伝わってしまったのか、先生が不審げに問う。
そのお陰で少しだけ冷静さを取り戻した私は、小さく息を吐く事で誤魔化した。
魔石とは、魔素の濃い場所にしか発生しない、魔力の結石のような物だ。
故に人体に魔石が出来てしまう事は、余程内蔵魔力が高い者でもなければ、自然には起こり得ない事象である、と知識にある。
多分これは過去オーギュストさんが先生と議論した際に取り入れられた知識なんだろう。
ヴァネイラさんの病気は、あの呪いが原因なのかもしれない。
それを知る為にも、私はこのなんだか分からない魔法を使わなくてはならなかった。
……自分で作っといてなんだか分かってないとかどういう事なんだろうね!!
単純に私の頭が悪いからなんだけどな!! ちくしょう!!
そんなどうでもいい事を考えつつ、それでも手を動かしてスキャンを続ける。
腹部、胸部と続けて照射していると、ヴァネイラさんの体のあちこちに目に見えないほど小さな魔石が点在しているのが確認出来た。
体内に異物があるってだけで異常事態だけど、これは上手くやれば何か汗とかその他で排除出来そうなので今は置いておこう。
心配していた魔法による異常も無さそうだし、何の問題もなくスキャン出来ているのが怖いくらいですらある。
むしろ順調過ぎて怖いです。やだー。
そんな中、ようやく問題の頭部のスキャンに取り掛かると、問題点が多数存在している事が発覚した。
私は医者じゃないからよく分からない筈なんだけど、素人目に見てもヤバいとしか言えない状態だった。
わたしには専門的知識なんて無いし語彙力も無いから、説明をオーギュストさんの知識で補うとしよう。
脳の一部が変色している。
これは血管が塞がれた事により酸素が行き渡らず、壊死している可能性が高い。
これだけでも大分ヤバいと思うけど、もっとヤバいのが、脳のあちこちに散らばるように、大小様々な形で腫瘍と見られる何かが点在している事だ。
「……最近頭痛などに悩まされていなかったか?」
「昔から頭痛には悩まされていたが、そういえば最近酷くなったと……まさか……」
「……脳のあちこちに異物がある」
「クレブノウス・ティウマか……!」
うん、ごめん待って何それ?
突然専門用語持って来ないで知らないから私。
この世界独自の名称って事で合ってるかな、合ってるよね多分。もういいや知らん。
カタカナ横文字やめてよぉ! 頭に入らないからぁ!!
いやオーギュストさんのスペックならスルスル入るわ。前言撤回しとこう。何も問題無いです。
「それで、それは一体どの程度の大きさだね?」
「小石程度ではあるが……」
「歯切れが悪いな、まだ何かあるのかね」
「異物の中央に、ごく小さなものだが魔石がある」
「なんだと!?」
驚きに目を見開く先生と、そのついでに盛大に揺れる乳。
真剣な雰囲気の筈なのに性別年齢正体不明な先生の無駄な巨乳が視界の邪魔してくるんだけどなんなの。自慢なの。そうなの。もぎたい。
待て待て落ち着け私。息を吸ってー、吐いてー。よし落ち着いた。
今ホントにもぐとこだったわ、危ない危ない。
そんな苛立ちや思考はいっその事無かった事にして、私は重々しく口を開いた。
「元凶は枯れ木の呪い、だろうな」
「だが、夫人は枯れ木病に罹患していなかった筈だよ」
そんな先生のそんな言葉で、ふと察した。
「ふむ、先生は知らなかったか」
「どういう事だね」
「あれは、水を媒介にして広がった」
もしかしなくても先生は、治す方法と病原を特定するだけで、何が媒介していたかまでは探せなかったんじゃないだろうか。
知識は有っても応用するの苦手そうな人だし。
そう考えての私の言葉は、正解だったらしい。
「水…………まさか!? そんな馬鹿な、それでは……!?」
たった一つのヒントから12年前に何が起きたのかを悟ったのだろう。
先生は焦った様子で呟いて、思案するように顎に手を当てながら、本の文字を追う時と同様にあちこちに視線を動かした。見覚えのあるその仕草は、オーギュストさんが知っている12年前にも見ていた医師と同じ、計算やその他色々をしている時のものだ。
「……そうだ、この国の人々は呪われたまま、という事になる」
「…………我が弟子よ、色々と確認事項はあるが、それよりもちょっと隣国滅ぼして来ていい?」
同意するような私の言葉に、先生がふと何かを思い出したかのように問い掛けた。
そしてどうやら、たったあれだけの事から黒幕まで察してしまった先生の推理力には感服するしかない。はえーすっごい。
でもそんな買い物行くみたいな軽さで国滅ぼそうとしないで下さい怖いから。
「待ちたまえ、此方にもその予定がある」
あ、止め方間違えた。
いやでも上手く情報とか集まったらそのつもりだからこれでいいのか。
「よし、では早速行こう」
「その前に母を治療したいのだが」
「あ、そうだった」
うん、シバくぞこの野郎。
「ねぇアリーちゃん、ベルちゃん」
「どうしたのおばあさま」
困ったように眉根を寄せながら、編み物をしていた老婆が顔を上げた。
それにいち早く反応したのは、孫娘姉妹の姉の方、アリエッタである。
彼女はパタパタと祖母である老婆へ近寄りながら用件を聞いた。
「お前達は教会に行かなくて良いのかい?」
「おばあちゃままでそんな事いうの? やめてよもう!」
心配そうに首を傾げる祖母に、姉の後ろを付いて来た妹の方、ベルベットが言葉を返す。
不機嫌そうではあるものの、本人の気質のお陰か、それとも12歳という幼い年齢であるが故か、全く嫌味っぽくもなく、それはむしろ拗ねているようにしか見えなかった。
「そうは言っても、ご近所付き合いというものもあるでしょう? せめてお前達だけでも」
「おばあさま、精霊様にお聞きしたのだけど、教会には男しか居ないそうよ」
困ったような苦笑を浮かべながら、アリエッタは自分の知り得た情報を祖母に伝える。
暗に、そんな所に行くのはどうにもはばかられるのだと伝えたつもりだったのだが、祖母には伝わらなかったらしい。
「そうなの……、それじゃあ尚更女手が必要なんじゃないかしら……」
祖母の言葉は、なるほど確かに、と思える内容ではあった。
しかし歳若い少女達からすれば、何をされるか分からない恐怖の方が勝っているのが、姉妹の微妙そうな表情から見て取れた。
だが祖母の目では近くは見えても遠くが霞んで見えない。
故に姉妹の表情には気付けなかった。
「おばあちゃま! ベルはいやよ! むさくるしい所なんて行きたくないわ!」
「でもねぇ……神父さまの所には小さい男の子も居るんでしょう?」
祖母からすれば、街を上げての騒動である。
何かあった時に女子供しかいないこの家に居るより、男達のいる教会で守ってもらった方が良い、と思ったのだろう。
その気持ちはとても有難いが、教会にはあの神父がいる。
それさえ無ければ、姉妹だってなんの憂いもなく教会へ行った筈である。
「あのねおばあさま、精霊様が言うには、凄く殺気立って怖い雰囲気なんですって。
そんな所に私達姉妹がお邪魔したら、きっと足手まといになるわ」
「そうなの……、それじゃあ仕方ないわねぇ」
姉の言葉でようやく納得した祖母は、馴れた手付きで編み物を再開した。
「まったく、おばあちゃまったらのんきなんだから!」
籠いっぱいの洗い終えた洗濯物を、家の外で物干し竿を立て掛けていた姉の足元へ置きながら、ベルベットが愚痴る。
姉はというと、祖母譲りの困ったような笑顔を浮かべながら妹を宥めた。
「そこがおばあさまの良い所じゃない」
「そうなんだけど、でも危機感なさすぎよ! あたし達みたいな超美少女が二人で、やじゅう達の檻の中に入るなんて、じさつ行為だわ!」
「もう、ベルったらそんな事言ってはだめよ、精霊様が言ってたからって、言葉の意味も分かってないでしょう」
籠から洗濯物を取り出し、姉へ手渡しながら暴言を吐く妹に対して、アリエッタはと言えば溜息を吐き出した。
「まぁしつれいしちゃう! 意味くらい知ってるわ!」
「なら尚更ダメよ、誰に聞かれるか分からないじゃない」
「精霊さまが教えてくださるからなんの問題もないわ!」
「もう、そういう事じゃなくて……」
一度吐いた筈の溜め息がもう一度漏れてしまうような妹の言動に、姉は頭を抱えたくなった。
どうしてこんな風に育ってしまったのだろう、という疑問と、教育を間違えてしまったのか、という後悔が姉の表情を歪める。
キリッと自信満々に胸を張る妹の様子を見て、何も言えなくなってしまった姉は、苦笑するしかなかった。
「それよりもねえさま、賢人さまにどうやって会いに行くか、そっちを考えましょうよ」
「……そうね、そうしましょう」
ぱんっ、と勢い良く引き伸ばしてから洗濯物を干していく姉の手つきは慣れたものだ。
「それで、どうしたらいいかしら。ねえさまはどう思う?」
「うーん、よく考えなくても、私達って賢人様がどなたで、どこにいるのかも知らないわ」
「そうよね……」
悩む姉妹に、二人をいつも見守っている精霊からの声が掛かった。
『賢人ならこの街で一番大きい建物にいるよ』
『そう、丘の上の大きい建物』
「丘の上の……」
「大きい建物……」
姉が思案する為に俯きながら呟いた言葉を、妹が引き継ぐように口にする。
そして姉は、はっと何かに気付いたように顔を上げた。
「それって、領主様のお屋敷……!?」
驚き、目を見開きながら呟かれた姉の言葉に、精霊達は正解だと言わんばかりにくすくすと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます