第84話

 



 美女を突っ立たせたまま、私はいつものように執務用の机で偉そうに椅子に座ってるという状況だけど、実際立場的に偉かったから仕方ない。

 雇った医者とその雇い主って関係だったもん。

 相手が賢人とか思わないよ仕方ないよね。


 早めにソファなりなんなりに座って貰いたいけど、どうしたら座ってくれるのか分からないので今はスルーしようと思います。仕方ないよね!


 なんか色々とツッコミどころが多過ぎて、何からツッコミ入れていけば良いのか分からないけど、それでもとにかく一度頑張って、まずは情報を整理しようと思います。


 ええと、この人が本当に賢人かどうかに関しては、オーギュストさんの凄すぎるスペックから察する事が出来るので、間違いは無いと見ていい。

 賢人は他の賢人を察知出来るって説明書にもあったから、あれが間違ってなければ、ってのが前提条件になるけども、多分大丈夫だろう。


 それより何より、目の前のこの美女が人なのかどうかすら危うい気がしないでもない。

 ていうか、元が人間じゃないかもしれない気がしてきた。


 あんだけぐんにゃり自由自在に姿変えられたらもうさっぱりだわ。


 ファンタジーってよく分からないし知らないから、他の種族とかオーギュストさんの知識にあっても理解が追い付かないです。

 スルーしていいかな、いいよね。もう知らん。


 よし、他の事を考えよう。


 嘘を吐いているのでなければ、この人がオーギュストさんの家庭教師でジュリアさんの主治医でオーギュストさんのお母さんの主治医、って事になるんだけど、情報過多すぎない?


 もしこれが手の込んだドッキリというか、私を騙す為だけに色々とやってるとして、賢人という常軌を逸した存在がそんな事をわざわざする必要があるのか、という部分で疑問が残るので、これも多分大丈夫だと思う。知らんけど。


 なのでその理論だとこの人は、先代当主の知己、つまり、オーギュストさんのお父さんの友人、という事になる。

 それがどういう関係の友人なのか、オーギュストさんのお父さんはもう居ないから分からない事だ。

 気にはなるんだけど個人情報だし、結局の所プライベートだろうから、スルーが最適解だと思う。


 まあ、これも気にしても仕方ないと割り切って、他の、気になる無難な所を聞いてみようと思います。


「それで、何故その姿を?」

「これかね? これは小生の……何番目だったかな、忘れてしまったが、妻、いや、娘……の友人、違うな、姉か? まぁいい、記憶に残っている誰かだよ」


 結局誰なのか本人も分かってねぇじゃねぇか。


「余りにも魅力的だったのだよ、彼女は! ほら見たまえ! この肢体を!」

「どういった関係かを忘れているのにも関わらずそれを言うのかね」


 セクシーポーズ取るのは良いけど、それでいいのかアンタ。


「はっはっは! 良いじゃあないか! これが誰だろうと知る者は最早小生しか居ないのだからな!」


 言いたくないのか、本当に忘れてしまったのか、どっちかなんだろうけど、私には関係無い事だからどっちでもいいのが正直な感想である。

 だけどそれをそのまま口に出すのもなんかアレなので、少しだけ考えた。


「それはつまり、先生はそれほど昔から存在しているという事で宜しいか?」


 とりあえずで無難な問いを投げ掛けてみれば、不定形賢人さんは快活に笑いながら答えてくれた。


「そうだな! おのが年齢など数えるのが面倒になってからはさっぱり分からんくらいだ!」

「大体どのくらいの年数かすらも、かね?」

「そうとも! 千を数えた後辺りから面倒になったのだから仕方あるまい!」


 いや色々面倒になり過ぎだろ、どんだけだよ。


 気持ちは分かるけどね?

 私もいつかそうなりそうだし。

 あれ、どうしよう、そうなる予感しかしない。


 オーギュストさんのスペックが無駄に高性能過ぎるから忘れるとかはしないし、無意識に数えてたりするんだろうけど、絶対面倒になると思う。

 うん、考えててもキリがなさそうなので、一旦話題を元に戻すとしよう。


「ふむ、では、本来の姿がどのようなものか、聞いても?」

「そんなにも小生に興味があるとは、嬉しいな」


 うふふ、とか美女らしく微笑まれたのにも関わらず、私にもたらされたのは地味な苛立ちだけだった。なんだろうめっちゃシバきたいなにこれ。


「出来るなら茶化さないで貰いたいのだが」

「そうは言ってもだな、覚えていない物は答えられないと思わないかい?」


 自分の元の姿忘れる程姿変えてんのかよ。やべぇな。


「では、種族は」

「さて、なんだったかな、記憶力が神の采配により何倍かに増えても、それを越える程の時を過ごしてしまうと覚えていられなくてね」

「……なるほど」

「鮮明なのは直近の五百年の記憶くらいさ」


 いやそれも充分ヤバい記憶力だと思うんだけど。

 まあ、細かい事を詮索しても、これも忘れてしまったのか、言いたくないのかのどっちかだろうから、スルーしようと思います。

 あと純粋に面倒臭い。


 ん? この人について分かった事少な過ぎない?

 賢人、年齢不詳、性別不明、本来の容姿不明、目的不明……、え、どうしよう、凄ェ怪しいって事しか分からんぞコレ……。


「それで、小生に聞きたい事があるのでは無かったかね?」

 「そうだな」


 促されてしまったので鷹揚に頷いてから、静かに思う。


 なんだったっけ。


 いや、だって情報過多すぎて分からんくなってきたんだもん仕方ないよねこれ絶対。


「まあ、見当はつくよ、卿の母御の事だろう?」


 若干腹立つドヤ顔で不定形賢人さんが言い放ってくれたのでようやく思い出せました、ありがとうございます。


 うん、そういやその為にこの人と面会しようとしたんでした。


 ホントになんかもうキャラが濃過ぎて記憶喪失してたわ。マジ何してくれてんだよこの人。

 あっ、この人は悪くねぇわ、悪いの私だ。

 まあ口に出してないからセーフだよね、よし。


「分かっているのなら、説明をして頂いても?」

「はっはっは! そう急くな、まずはこのカルテを読んでくれたまえ」


 豪快に笑った不定形賢人さんが自分の胸の谷間に手を突っ込んだ。

 一体どうやって入れていたのかさっぱり不明だが、彼女はカルテらしき物をそこから取り出してテーブルへ載せるように置く。


 なお、取り出した際に盛大にその巨乳が揺れたのだが、なんかプルンプルン過ぎて若干気持ち悪かった事をご報告しておきたい。


 かつて私もあのくらいはあった筈だが、傍から見るとあんな感じに気持ち悪かったのかと思うとなんとも言えない気持ちである。

 いや、単純に持ち主の資質とかそんな感じのによるものかもしれないけど。


 しかし、一生懸命女優になる為の努力をしてたのに、モデルやグラビア撮影のオファーばかり来ていたのは、多分あの無駄にデカかった乳が原因なんだろう。

 薄々勘づいてはいたけど、今考えると確定か。


 自慢ではあったし、なんなら武器にすらしてたけど、演技をする俳優という職業上では障害になっていたのかもしれない。

 そう考えると芸能界とは本当に難しい世界だったのだな、としみじみしつつ、妙に生温いカルテを手に取った。ちょっと気持ち悪い。


「それは卿の母御の症状と、現在に至るまでの治療記録が記してある」


 不定形賢人さんの言葉に促されて、執務用の机の、オーギュストさん愛用の椅子にて姿勢を正しながらカルテに目を通す。


 私は医療関係者という訳でも無いから理解出来ないんじゃないかと思ったけど、さすがはオーギュストさんのスペックというべきか、なんか知らんけどサクサクと読み進める事が出来た。


 簡単に説明するなら、オーギュストさんのお母さんは現代でいうと認知症が一番近い病気だろうか。

 こちらでは、“スキエンティア・カースス”というなんだかさっぱり分からない名称が付いているらしい。なんだそれ。


「この病名のスキエンティアは古代語で知識、カーススは滅び、または呪いという意味があってね、なかなかにオツな名付けだとは思わないかい?」


 いや、どっちかというと中学生が考えた感がしてムズムズします。

 あとなんでカースス? カースで良くない?

 まあいいや、知らん。


「それよりも、これは治る術はあるのかね」

「つれないな、まあいい。

 そうさな、特効薬は存在していない、が、絶対的に治らないという訳でもない」

「…………ふむ、どういう事かね」


 特効薬が無かったら不治の病だと思うんだけど、治療法はあるってどういう事?

 薬以外でなら治せるとかそういう事?


「この病は、頭の中の記憶を司る部分に欠陥が生じる事で、発症すると言われている」


 色々考えてみるけどイマイチ分からん私を放置して、不定形賢人さんがドヤ顔で説明をし始めてくれたので、有難く拝聴する。


「つまりここをなんとかする事が出来れば、治るだろうさ」


 うん、なんか含みのある言い方だな。


「…………方法がある、という事かね」

「まあ、余り現実的ではないが、方法は存在しているよ」

「ふむ」


 現実的でない方法ってどんなんだろ。

 全然想像付かないんですけどこれ分かる人いるんだろうか。


 あんまり頭良くない方なので全然想像出来ない。

 もっかい言おうか。あ、でもしつこいか。じゃあもういいや。


 瞬時でそんな事を考えつつ諦めた私は、不定形賢人さんの説明を待つ事にした。


「まずは頭を切り裂き、骨に穴を開け、原因があるならそれを取り除けばいい」


 いやそれただの除去手術やん。

 むしろこれ超現実的だと思うんだけど、なんでこれが非現実的なんだろう。


「しかしこの方法には欠陥があってね」


 欠陥、という言葉でフラッシュバックしたのは、現代日本で見た医療系のニュースやドキュメント番組だった。


「なるほど、原因がそれでない場合には意味が無い、という訳か」


 思った事を整頓してから口に出すと、想像よりも冷静な声が出た。

 ちょっと冷たいかな、と思いはしたものの、これはきっとオーギュストさんの標準装備なんだろうと判断して諦める。


 今はそんな事を考えてる場合じゃないので、思考を元に戻し、落ち着いて考えようと思います。


 まず、考えた通りなら確かに手術する意味は無くなってしまうだろう。

 場所が悪いせいで癌を全部取り切れない、とかドラマでもあったし、なんならそれで死んでしまう人も居た。

 私でさえ覚えているんだから、こちらでも似たような事は多いのかもしれない。


 そんな風に一人で納得していたのだが、当の不定形賢人さんはそれを否定するようにかぶりを振った。


「まあ、それも可能性としてはあるだろうが、一番の問題はその作業をした後、ちゃんと目を覚ます事が出来るのか分からないという事だよ」

「ふむ」

「何せ頭の中を切り刻んでいるんだ、何がどうなるのか予測が付かない、だからこそ、現実的な方法ではないと言ったのだよ」


 単純に技術力の問題だった。


 今更気付いたけど、言われてみれば確かにそうだ。

 現代日本と同じレベルの外科手術をこの世界でやるとか、どう考えても無理がある。

 いくら魔法という訳の分からない凄い力があっても、この世界の病気の全部を治す事が出来ないのはジュリアさんの件で痛感していた。


 なんでも出来るように見えるけど、出来ない事だってある。


 実際ジュリアさんの病気は呪いだったから治せなかったんだけど、きっと他にも色々と治せない病気はあるんだろう。


 そこまで考えて、ふと、一つおかしい点がある事に気付いた。


「確認したい事がある」

「なんだい?」

「ジュリアの病の原因を、知っていたか?」


 賢人で、しかも医者として生きていける程の技量を持っている目の前のこの人が、それを知らないとは思えなかったからの、問い掛け。

 それは、当人の困ったような微苦笑で確信に変わった。


 私から軽く視線を逸らして、ゆっくりと天井を仰いだ彼女は、小さく息を吐き出すように語り始めた。


「…………あぁ、知っていたよ。

 枯木病の患者の遺体を切り開き、何が病原かは確認していたからね」


 聞かれたら、答えようと思っていた。

 掻き消えそうな声でそう続けながら、彼女は瞼を閉じる。


「あれは本当に厄介な呪いだよ、出来た魔石を切除するだけじゃキリがない、その上、それで治る訳でもない」

「……何故、原因が分かっていて放置を?」


 怒鳴りつけてしまいそうな程の憤りを、一瞬感じてしまったけど、目の前の彼女から感じるどうしようもないやるせなさのようなものに気付いて、ぐっと堪えた。

 そんな私の問い掛けに対して、彼女は静かに瞼を開けた後、近くのソファにドカッと腰掛けた。


 やや乱暴なその仕草により、無駄にでかい乳が思いっ切り上下に揺れたのだが、そんな事などどうでもよくなる程度には緊張した空気だ。


 暫くの沈黙の後、感情の抜け落ちた無表情で、彼女は呟いた。


「無から有は生まれない」


 その声音は淡々としていながら、哀愁のような微妙な感情を伴っていた。

 

「小生には、光属性の浄化魔法は、使えなかった」


 表情は一切無い。

 だけどそれは、どこかで見た事のある顔だった。

 まるで能面のような、ほんの少しだけ、微かな笑みを浮かべたようにも見える、なんとも言えない表情。


 治す方法が分かっているのにそれが出来なかった医者は、一体、何を思うのだろう。


 私にはそれを察する事は出来ない。


 医者ではないし、当事者という訳でもない。

 だけどそれがどういう事なのかは、理解出来た。


「……そうか」

「救えるものなら救いたかったさ、ジュリアは小生にとっても友人だったからね」


 皮肉げな笑みを浮かべながら、彼女は自嘲する。

 記憶を辿れば今の姿とは全く違う姿で、枯木病を調べる為に必死にあちこちを飛び回る様子が思い出された。


 そして気付く。

 過去のその人と、目の前の彼女の類似点に。


 カルテの文字も、瞳の色も、姿形も何もかも全く違うのに、一つだけ変わらないもの。


 “思い”だ。


 真っ直ぐで、誠実で、透明な思い。

 目的の為に突き進む姿勢が、思考が、行動が、全く同じ。


 誰よりも真剣に人と向き合う彼女の姿は、とても眩しく見えた。

 その自由さが羨ましく思えて、つい視線を逸らす。


 私も、そんな風に生きられるだろうか。


 ぼんやりと心の中で嘆いてから、笑い飛ばした。

 生きたいんなら生きればいいのに、何を弱気になってるんだろう。

 わたしは私で、それ以上でも以下でもないって知ってるのに、馬鹿みたいだ。


 隣の芝生はなんとやらって言うから、そういうなんか、あの、アレなんだろう。うん。

 真面目な話してるのに自分で台無しにしていくの、本当にどうにかならないだろうか。


 自分自身にガッカリしつつも、真っ当な疑問が浮かんだので、尋ねる事にした。


「……他の賢人には?」


 すると彼女は軽く手を挙げたかと思えば、ひらりと翻すような仕草をしてから、淡々と告げる。


「賢人の中で光属性の浄化魔法が使えるのはたった一人だけだよ」


 次の瞬間、哀愁漂わせていた彼女の雰囲気が一変した。


「人間嫌いのエルフの、王」


 彼女から発されたその言葉は、今まで聞いた声音の中で一番低く、そして、恨みのような感情が篭っていて、唐突過ぎる余りの変化について行けず、ただ戸惑う。


「説得したが間に合わなかった」


 ───────それはつまり、そういう事なんだろう。


 エルフというのがどういう種族なのか、というのは、有難い事にオーギュストさんの知識にあったから、何が起きたのかは想像がついた。


 偏屈で変化を嫌う長命な人達が、何を思うのかも。


 本来なら助けられる筈だった命が、偏見と差別と、それから肥料にすらならないような虚栄心によって、消えていってしまった。

 出来る事はあった筈で、人材も揃っていたのにも関わらず。


 どれだけ、無念だったろう。


 当時何をしようとしたのかは、先程までの彼女の言葉から察する事しか出来ないけれど、この人が、先生が尽力をしてくれていたという事だけは理解出来た。


「お陰でエルフが嫌いになったよ!」


 それまでは偏見なんて無かったんだがな! と困ったように笑いながら、先生はソファで仰向けに寝そべる。


「……奇遇だな先生、私も今、エルフが嫌いになった」


 なんかもう、やるせなくて、無駄にしんどい。


 もしかしたらエルフ側にも何か理由があってそうなってしまったのかもしれないけど、だとしても憤りが酷くて、つい全力で心から言ってしまったけど、全く後悔がなかった。


「そうだろうそうだろう! あの唐変木のへそ曲がりの自意識過剰の根暗者共め!」


 悪態を吐く先生の目は、口調の軽さとは裏腹に真剣そのものだ。

 余程腹に据えかねているのか、眉間の皺が酷い。


 嫌な記憶を思い出させてしまったのは申し訳無いけど、知らないままでいる事は嫌だったから仕方ない事にしておいて欲しいと思う。

 色々とツッコミどころしか無いし、全然分からない事の方が多いので、お相子かもしれない。


 心の中では、色々と、本当に色々と訳が分からなくてイライラしている。

 だけどここでブチ切れてしまう事に意味なんて無いだろうから、少しでも落ち着く為に鼻から息を吸って、口から吐き出した。


 ふう、という声とも息とも取れない微妙なそれを、他人事のように聞きながら、私は、現実と向き合う事から始めるのだった。


 



​───────​───────

あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願い致します( ´ ▽ ` )



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