第64話

 





 バッキバキに凍った地面や、草花に囲まれる中、目の前には呆然と立ち竦む薄青い鱗のドラゴンが一匹。


 何ていうか、もはや哀れにさえ見えてくる程度には、茫然自失状態で固まっている。


 何コレ、こんなん私に一体どうしろっての?

 え、なんか言うべき?

 なんて?


 君の攻撃が私に全く通じてなくてごめん、とか?

 余計にヘコむだけだわそんなん。

 無理だわ、言えるか。


 どうしよう、沈黙が痛い。


 だがしかし、なんか言わなきゃずっとこのままなんじゃないか?


 そんな訳の分からない恐怖を感じた私は、なるようになれ! というヤケクソみたいな勢いのまま、口を開いた。


「さて、今、何かしたかね?」


 態度は堂々と、仕草としては優雅に両腕を組み、少しだけ首を傾げて斜に構えながら、淡々と尋ねる。


 いや、マジごめん、そんなセリフしか出て来なかった。


 だって、オーギュストさんが格下に謝罪するとか無いと思うの。

 ていうか、しちゃ駄目なんじゃないかと思うの。

 威厳消えるでしょそんなん。

 可哀想なんだけど、駄目なら仕方ないと思いました。


 そして案の定、ドラゴンの方は大混乱である。


『な……、な、何故だっ!? たかが人間が、私の本気の攻撃を受けて、無傷など有り得ない、有り得ないぞ!!』


 めっちゃ狼狽えている。


 ブンブンと頭を振りながら、未知の恐怖でかジリジリと後退りしているくらいの狼狽え具合である。


 いや、どんだけだよ。


 何、私がそんなに弱いと思ってたの?

 なら、これはちょっと言っておかないと駄目だよね?


 改めて小さく息を吸い込んでから、ドラゴンへと声を掛けた。


「その事なのだが、先程から一つだけ、間違っている事がある」

『な、なんだ』


 なんか、どもるくらいビビられてるけど、無理矢理気にしない事にして続ける。


「私は人間では無く、賢人だ」

『嘘だっ!! 賢人様がそんなに弱い魔力の訳が無い!!』


 言った瞬間怯えながらも、ぐわっと口を開け、吼えるように反論されてしまった。

 だがしかし、負け犬の遠吠えならぬ、負けドラゴンの遠吠え的な雰囲気である。

 混乱というか困惑というか、もう何が何だか訳が分からなくなっているらしい。


 違う! 絶対違う! とか、うるさいくらいに連呼している。

 なんとも仕方ないドラゴンである。


 こうなったら、なんとか分からせてやるしかない。

 こんだけビビってたら私の実力は伝わってるだろうから、魔力の量とやらが分かれば良いだろう。


 どうすればいいのかよく分からないけど、魔法ってのはイメージが大事らしいから、とりあえずなんか頑張ってイメージしようと思います。


 とにかく、身体の中の魔力をこのドラゴンにだけ感じられるようにすれば良い訳なんだから、なんか、こう、発射、……したら駄目だドラゴン吹っ飛ぶ。

 えっと、そうなるとレントゲン写真的な投射でいいか、なんかそんな感じに一部だけ解放するみたいな、なんかそういう風に。


 ついでに、脅しを掛ける為に、声に魔力を乗せるイメージもオプションで追加しておこう。

 よく分からないけど、多分出来ると思う。


 すっ、と息を吸い込んで、その吸い込んだ分全てを言葉として吐き出した。


『本当に、貴様は頭が悪いな』


 たったそれだけの言葉なのに、ドラゴンは怯えたようにビクリとその巨体を硬直させた。

 予想外な反応に、なんかちょっとこっちもビビってしまいながらも、それでも私は頑張って、そんなドラゴンに向かって畳み掛けるように、言葉を続ける。


『何故、私が魔力を隠している事に気付かない?』


 その瞬間、当のドラゴンはガタガタと小刻みに震えながら、怯えを隠す事もせず、崩れ落ちるみたいに地面へとへたり込んだ。


『あ、あぁ……!』


 ずずん、という地面が揺れる音と共に、またしても土煙が上がる。

 次いで、じょわー、というなんか水が漏れるみたいな音もどこからともなく聞こえ、……ってあのドラゴンからか!?


 なんかもう、巨体のせいで水溜まりなんていう生易しい物じゃない。

 水道管が壊れた時並の水分の拡がり具合である。


 それのお陰か、ドラゴンの周りで凍っていた草花達が復活しているようだ。

 まぁ、でも一回凍っちゃったから後で枯れると思うけど。


 ……いやいやいや、え?


 ちょ、うそ、あれ?


 え? 漏らさせた?

 私、ドラゴンをビビらせすぎて漏らさせた?


 慌てて全てを引っ込めて、ドラゴンの様子を見るけど、やっぱり辺り一面水浸し。

 びちゃびちゃなんて通り越してて、もうなんて言ったらいいか分からない。


 ……うん、一個良いかな。


 なんか、めっちゃ怖くなって来た。


 あのね、私、普通の人間の女の子だったのよ?

 それが、こんな巨大な生き物ビンタだけで吹っ飛ばして、心折らせて、小便漏らさせるくらいの力を持った身体に入ってるとか、恐怖しかない。


 怖い。


 だって、簡単に色んなものが壊せてしまう。

 こんな巨大な生き物でさえ、この怯えようだ。


 今、私が入ってるこの肉体に、一体どれだけの力があるのか、自分では全く分からないのが余計に怖い。

 だって今までの私にとって、これが普通で、当たり前だったんだから。


 どうしよう。


 あ、ヤバイ、自覚したら動けなくなって来た。

 マジどうしよう。


 全力で硬直してしまった。

 あーもうコレ無理だわ、指一本すら動かせない。


 だって、動いただけで爆発したらどうすんの、そんな事有り得ないとか、自信持って言えないよ私。

 本当にしそうだもん、爆発。

 やりかねないもん、爆発。


 とか思って一人で固まってたら、


『テメェこのくそぼけ何晒しとんじゃあああああ!!!』

『ぬぐおおお!!』


 そんな咆哮と共に、突如として現れた赤いドラゴンが薄青ドラゴンに衝突した。


 粉塵と土煙と土塊と泥と水分が飛び散る中、当の私はといえば、うわ、ばっちい、と瞬間的に思ってしまって、気付いたら私の周りに透明な壁が形成されていた。


 これって、あれかな、小学生の時よく男子と遊んでた時に想像してた、アレなんじゃないだろうか。

 だって今一瞬思い出しちゃったし。


 タッチ! 次お前が鬼な!

 ぶっぶー! 今無効バリア張ってたからセーフですぅー!!

 的な、あのバリア。


 お陰で私は全く汚れてないけど、私の周りとバリアが大惨事である。

 ぐちゃぐちゃのでろでろである。


 ていうか、私まだ何にもしてないのにドラゴンが勝手に爆発した、とか思ったけど、全く違うかった。


 いやちょっと待て、なんか増えたぞオイ。


『確かにうちのを探しましょ、って言ったけど、賢人様に喧嘩売れなんて言ってないよね、何なのこの馬鹿!!』

『え、ちょ、まぶぉ!!』

『何で事前に精霊に確認しねぇんだよダボが! あと力量差で分かんだろボケ!!』

『まっ、やめ、おばぁ!!』


 気付けば、薄青ドラゴンがマウントポジション取られて、赤いドラゴンにフルボッコにされていた。

 具体的に言うと、馬乗りになった赤いドラゴンが、薄青ドラゴンの顔面を右左交互に殴りつけている。


『ホンマ何晒してくれとんじゃ!! どう責任取るつもりじゃ! おおん!?』

『や、あの、ごめんなさ……』

『謝って済むとでも思っとんかクソダボがァァアア!!』

『ぎゃあああ!!』


 ドゴンドゴンと継続的な音を響かせながら、殴り続ける赤いドラゴン。


 あの、なんか、流石に可哀想なんで、そろそろ止めてあげて欲しいんだけど、口を挟む隙がない。

 あと、あの、辺りの被害が増えるからそろそろ落ち着いてくれないかな。


 なんかもう仕方ないので、声に魔力を乗せて、言葉にする事にした。


『落ち着きたまえ、私は無傷だ』


 周りはあちこち大惨事だけど、まあ気にしない事にするしかない。


 すると、ばっ、と薄青ドラゴンから赤いドラゴンが離れた。


『はいっ!! もう二度とすんなよクソが』

『ぐはっ、はい……申し訳、ございません、でした……』


 途端に大人しく私の言葉を聞いたかと思えば、次いで薄青ドラゴンへ向けて吐き捨てるみたいに告げる赤いドラゴン。

 そして、完全に再起不能なボロボロの状態でも、頑張って謝罪の言葉を口にする薄青ドラゴン。


 ……今、赤いドラゴンの方、なんか凄い態度だったんだけど、気のせいにしとこうかな。

 しときたいんだけど、強烈過ぎて無理かもしれない。


『賢人様、うちのつがいが御迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません』


 さっきまでの態度から一変、地べたに這いつくばるようにその巨体を低くしながら、誠心誠意謝罪して来る赤いドラゴンに、内心だけだけど思わずちょっと焦ってしまった。

 だってちょうどその辺、薄青ドラゴンのアレのせいで水浸しなんだよね。


 ……大丈夫かな。

 いや、うん、まあ、知らない方が良いよね。

 そっとしておこう。


 ちなみに現在、風の精霊達が何をしているかといえば、飽きてしまったのか精霊達同士で鬼ごっこをしている。

 中々に訳の分からない状況である。


 よし、ほっとこう。


『気にする必要は無い。

 だが、少々こちらがやり過ぎてしまったようだ、謝罪しよう』


 主に、そこの薄青ドラゴンさんを漏らさせてしまった挙句、ちょうどそれが広がった上で謝罪させちゃって本当にすみません。


『賢人様が謝る事などなんにもありません! 全てはうちのクソダボが悪いのです、きっちり調教しておきますので、どうかお許しください……!』


 いや、クソダボって、つがいって事は夫婦なんだよね?

 え、そんな関係性で大丈夫なの?


 ていうか、それ以上その子になんかするつもりなの?

 泥だらけで、血塗れの満身創痍なのに?

 いやいやいや、それはちょっと可哀想過ぎるかな、止めてあげて欲しい。


『その点はもう心配無いだろう。

 そのドラゴンには私直々に躾をしておいた』

『なんですって...!! お手数をお掛けして申し訳ありません! ほら、テメェも謝れ!』

『本当に、申し訳、ございません、でした……』


 無理矢理薄青ドラゴンの頭を掴んで、どごしゃあ、なんて凄い音を立てながら地面にめり込ませる赤いドラゴン。

 そして、そんな状態でも頑張って謝罪する薄青ドラゴン。


 でも今その子の意識、朦朧としてるだろうから止めてあげて欲しい。


 ていうか、この魔力を声に乗せるってやつ、いつまでやってたら良いのかな。

 分かんないけど、箔を付ける為にもまだもう少しやっておこうと思います。

 あと、このままだと話が堂々巡りしそうなので、方向転換させておこうとも思います。


『気にするな、と言っている。

 ところで、卵が盗まれたと聞いたが……』


 すると、どこか慌てたように姿勢を正しながら、赤いドラゴンはまたしても頭を下げた。


『……申し訳ございません、我が家の事情に、なんの罪もない賢人様を巻き込んでしまいました……!』


 いや、あの、そういうの良いから。


『それは構わん。心当たりや手掛かりは?』


 良いから説明しろ、とばかりに赤いドラゴンを見詰めると、意を決したのか、ようやく説明を始めてくれた。


『……それが、うちのは、竜族には珍しくワイバーンと似た殻の色をしておりましたので、ワイバーンの巣で、ワイバーンの卵と紛れさせていたのです』

『ふむ』


 説明に対して、簡単な相槌を返す事で続きを促す。


『しかし、つい先日様子を見に行きましたらば、何故かうちのだけがワイバーンの巣から消えていたのです』


 うん、まぁ、そうなんだろうね。

 色々とツッコミどころがあるけどそれはこの際ほっとこうと思います。

 もうめんどくさいし。


『私達竜族は、自分達の卵を見失う事はあっても、他の卵と見分ける事が本能により出来るので、それが発覚したのですが……』


 ふむふむ、なんかよく分からないけど、ドラゴンはそういう生き物って事なんだろう。


『ワイバーンの巣の周りにあった人間の足跡から、きっと人間の仕業に違いないと、……少ない手掛かりを頼りに夫婦手分けして探し回っていたのです……』

『なるほど、災難だったな』


 大体は薄青ドラゴンの言動から察していたけど、さして変わらない内容でした。


『結果、手当り次第目に付いた強者に、……という事となった訳か』

『面目次第もございません……』


 なんかめちゃくちゃしょんぼりされてしまった。

 待って待って、そんな落ち込まないで、どうしよう、フォローしなきゃ、えっとえっと。


 外見はクールに落ち着き払った様子で、だけど内面はやっぱり大パニックになりながら、それでもありがたい事に優秀な脳が台詞を組み立ててくれたので、それをそのまま口にする。


『我が子の為なのだろう? 親であるならば、致し方あるまい。

 子が大事であればあるほど、親は取り乱してしまうものだ』

『なんとお優しいお言葉……痛み入ります……!』


 またしてもその場にひれ伏す赤いドラゴンに、魔力を声に乗せる事を止め、なるべく優しく声を掛けた。


「……そろそろ頭を上げたまえ。

 それだけ反省している者に鞭打つような趣味はしていないのだよ」

『っはい! 恐悦至極でございます!』


 時代劇とかで、殿様を前にした平民みたいな、物凄い勢いの敬われ具合、なんていうか、実は凄くリアクションに困る。


 完全に、ははーっ! 御意に御座いまする! 的な勢いだ。


 いや、オーギュストさんの知識的に貴族ってそういうものだから、そのリアクション自体には慣れてるんだけど、問題は相手がドラゴンって事。

 そんな巨体で平伏されたら困る。


 いや、もうマジで困る。


「さすがは旦那様...!! ドラゴンをも従えてしまわれるとは...!!」


 不意に聞こえた、感動に打ち震えながらの、聞き覚えのある声。


 視線を向ければ、やっぱりそこにはうちの執事さんがいて。


「このガルフ・トラッセ、感服致しました……!!」

「さすがは旦那様だぜ……!!」

「まさかここまで強いなんて……!」


 しかも、キラキラした目で見て来る私兵団おっさん連中も居た。


 ………………。


 ほらあ!! やっぱりこうなったじゃないですかやだああああ!!






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