第57話【王と騎士】
ルナミリア王国騎士団長、ミカエリス・ヴェルシュタイン。
彼はこの国の宰相の推薦により、王国騎士団のトップに抜擢された、若き英傑である。
抜擢された当時は20歳であったが、現在は2年経過し、22歳となった。が、まだまだ若い事に変わりは無かった。
性格は品行方正、指揮を執る姿は質実剛健、歩けばその気品溢れる美しい容姿に老若男女が振り返る。
誰の目から見ても、引く手数多にしか見えない好青年。
そんな彼が未だに婚約者の候補さえ一人もいないのには理由があった。
彼の父親が、かの悪名高いオーギュスト・ヴェルシュタイン公爵だからである。
ぶよぶよとした脂肪に包まれた巨体、口を開けば罵詈雑言、貴族らしい気品も、矜恃さえもどこかで棄ててしまったのか、見るに耐えぬ醜さ。
更に、国王の次という高い権力を私利私欲の為に乱用し、領地に圧制を強いる、貴族の風上にも置けない醜悪な男。
そんな男の居る家に嫁ぎたい女性など居る筈も無く、更に言えば義理とはいえ父になるなど、いくら困窮していたとしても、普通の女性ならば当たり前のように、とても容認出来るものでは無かった。
しかし、それも病より復帰したヴェルシュタイン公爵の登城により、一変する事になる。
姿を見せたのは、例えるのならば氷の彫刻、そういった芸術品を彷彿させるような、美しい偉丈夫。
あれは一体誰なのか、その場は一時騒然となった。
誰も彼も、ヴェルシュタイン公爵の本来の姿など知らなかったのだ。
理由としては、12年前に起きた戦争の際、発生した病のせいである。
当時、枯木病は王国中に広まっていた。
つまり、犠牲者は平民だけでなく貴族にも多かったのだ。
一家全員が罹患したせいで死に絶え、断絶してしまった家もあれば、尽く当主が罹患し、遠い血縁の養子を迎えざるを得ない家もあった。
特に罹患者が多かったのは、二十代から、彼等の父親世代の四十代までに掛けてと幅広く、つまり、若かりし頃のヴェルシュタイン公爵の姿を知る者は、王族等、特効薬が間に合った一握りを残し、病により死に絶えている事になる。
故に、今の貴族達は平民上がりの新興貴族であったり、幼い頃に親兄弟を亡くしたが、それでも貴族として必死に生き抜いて来たという、次世代の者ばかりなのだ。
ついこの間まで、蔑み、馬鹿にし、軽視していた公爵の変貌に、女性は掌を返したように色めき立ち、男性は困惑していた。
あれが本当にあの公爵なのか?
いや、きっと影武者だ。
しかし国王陛下が親しくしていたと聞く。
一体どういう事だ、騙されているんじゃないのか。
そういえば、昔、陛下と公爵は知己だという噂があったが。
なるほど、当時はとんだガセだと思っていたが、真実だったのか。
疑わしい話だが再誕し賢人となったと聞くぞ。
いや、それはどう考えても無いんじゃないのか。
だが、精霊王が現れたらしい。
そんな馬鹿な! それでは確定じゃないか!
賢人になれるなど、あの公爵殿は本当は良い人だったということなのか。
信じ難いが、そういう事なのだろう。
あぁ、あんなに素敵な方なら後妻になっておけば良かったわ。
ねぇ、今からでも遅くないんじゃないかしら。
わたくし、思っておりましたのよ、御子息があれだけ美しいのだから、本人があんなに醜い筈が無いって!
まあ、ならもしかして、何かの呪いを受けていたのではなくて?
あぁ、きっとそうだわ! なんてお可哀想なんでしょう!
なんて事なの、どうして気付いてあげられなかったのかしら!
あぁ、おいたわしい! 今から行って癒して差し上げたいわ。
駄目よ、きっと沢山の方々に裏切られたと思ってらっしゃる筈だわ、そっと見守る方がいいと思うの。
ねぇ、わたくし今から騎士団長様の婚約者候補に立候補しようかと思うのだけど、まだ間に合うかしら。
あら、あなたには既に婚約者がいらっしゃるじゃないの。
そんな会話が、パーティ会場である王城のそこかしこから聞こえていた。
そして、そんな噂話を聞きながら、渦中の人であるヴェルシュタイン公爵の一人息子、ミカエリス・ヴェルシュタインは、国王の護衛として王の傍らに佇みつつ、その形の良い唇を噛み締めた。
「ふむ、話題はもっぱら、オーギュストの事のようだな……、騎士団長」
「はっ、誠に遺憾ながら……、我が父が申し訳ございません」
どこか楽しげな王の言葉に、彼はすぐさま謝罪の言葉を口にした。
「何を謝る? 賢人としてだが、無事に帰って来た、……喜ばしい事だ」
しかしそれに対し王は、くつくつと喉の奥で笑い声を漏らしながら、何処か遠くを見つめ、目を細める。
自分の髭をゆっくりと撫でる王の目は、とても優しい。
だからこそ、息子である前に騎士団長である彼は、簡単に己の父親の肩を持つ訳には行かなかった。
「っしかし、我が父の言動は、陛下の御心を蔑ろにするようなものばかりでしたでしょう」
「……そう言いながら、顔が緩んでおるぞ?」
「っ!?」
ニヤリ、そんな風にどこかニヒルに笑う王の言葉に、彼は思わず片手で自分の口元を押さえた。
当の本人である彼には自覚など無かったが、彼が口元を押さえた途端に、微笑ましげにも、からかうようにも見える、小さな子供がするような無邪気な笑顔を、仕えるべき王本人に向けられた事から、どうやら本当に彼の顔は緩んでしまっていたらしい。
「も、申し訳、ございません……!」
何処か必死になって謝罪の言葉を口に出しながら、王の足元へ
「良い良い、以前の父親が帰って来て、息子の貴様が嬉しくない訳がなかろう。喜ばしいのは我も同じよ」
「しかし……!」
未だ食い下がろうとする彼に、王は威圧感を眼力と声音に込め、きっぱりと告げる。
「構わぬと言っている」
ギシリ、そんな風に音を立てながら、己が固まってしまいそうなプレッシャーを受けて、そこでようやく彼は王が普段と違う雰囲気を纏っている事に気付いた。
今までの、何かを諦めてしまったかのような空虚な瞳は既に無く、ぎらりとした、熱く燃えるような何かが王の瞳には灯っていた。
「……はっ! 差し出がましい事を申しました、申し訳ございません……!」
勢いよく頭を下げた彼は、緊張からか喉の奥が引き攣り、掠れた声で、それでも精一杯誠意を込めた謝罪の言葉を口に出す。
だがしかし、王の視線は彼をすり抜け、何処か遠くを見つめていた。
そうして、王はポツリと呟く。
「……まるで、長い悪夢を見ているようだった」
しみじみと、そして、万感の思いが篭もった王の呟きに、彼はつい顔を上げ、王を見詰める。
「……陛下?」
「長い長い、悪夢だ」
しかしどうやら、王には、彼の声は届いていないようだった。
いや、届いては居るが、敢えて聞いていないのかもしれない。
その証拠に、王は不意に彼に視線を合わせ、堂々と言い放ち、そして問い掛けた。
「だが、それももう終わった。
我等は悪夢から覚めたのだ。そうだろう?」
悪夢。
その王の言葉に、彼は息を飲む。
今まで苦しんだ12年は、彼の心も王の心も苛み続けていたこの年月は、何かも全て、ただの悪夢だったのだと、王は言っているのだ。
そして、自分達はその悪夢から解放されたのだと。
王が、己の父親であるヴェルシュタイン公爵の変貌に心を痛めていた事は、彼も知っていた。
同様に王も、彼が父親の変貌に傷付いていた事を、知っていたのだろう。
王は、この人は、父の事だけでなく、私の事までも、ずっと気に病んでいたのだろうか。
そんな風に思い至ると共に、じわりと染み込むように、王の言葉が彼の中へと浸透して行く。
そして、次に彼の中に生まれたのは、感動だった。
彼は、ぐっと歯を食いしばり、それでも何か答えなければと懸命に口を開く。
「……っはい……!」
だが、気を抜けば涙を流してしまいそうで、必死にそれを抑え込んだ彼は、たったそれだけしか答える事が出来なかった。
それから、暫くの間だったのか、それとも、少しの間だったのかもしれない。
彼の体感では長くもあり、短くも感じた沈黙の後、突如として朗らかに、王は彼へ語り掛けた。
「さあ、貴様もそろそろ行くが良い」
それは、彼をパーティへと促す言葉であった。
突然の事に一瞬だけ、何が起きたのか分からなくなってしまいつつも、王の言葉をなんとか理解し、飲み込んだのだが、当の彼は職務を全うしようとしてか、冷静に答えた。
「……いえ、私には陛下の警護がございます」
一言で言えば、堅物、生真面目、一辺倒、その辺りが妥当だろうか。
そんな彼に、王は、出来は悪いが可愛い息子を見るような、何とも微笑ましげな視線を送り、微苦笑と共に言葉を掛ける。
「建国記念パーティに騎士団長が参加せんでどうする? 国民から
「しかし……」
尚も言い淀む彼の姿に、王は胸の内に溜まってしまった溜め息を鼻から追い出しながら、どこか困ったような表情で、静かに笑った。
「挨拶も終わった。妃とも踊った。
後は執務室に戻って仕事をするだけなのだ」
「……そういう事でしたら、かしこまりました。着替えて参ります」
「あぁ、そうだ、貴様の服は用意している」
何でもない事のように告げられた、あまりにも予想外な王の言葉に、彼の頭の中は大騒ぎになった。
服!? 国の記念パーティに着るような服を、王が!? 私に!? なんで!?
混乱のせいで固まったように王を見つめ続ける彼に対して、王はイタズラが成功した時の子供のような表情を浮かべた。
「どうせ高位貴族らしくもない質素な物しか持っておるまい?」
「そ、そんな、事は、……」
何とか反論しようとしたものの、それは無い、とは言いきれなかった。
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