第56話
さて、あの恐ろしいジジイと、そこはかとない不快感を放つ気持ち悪い孫娘から離れた後。
私は速攻で迷子になった。
いや、迷子っていうか、どこ行ったら良いのか、全く分からなかっただけなんだけどね。
そういう意味の迷子です。
目的が全く無いから、一体全体どこ行けば良いのか、そして何をすればいいのか分からない。
知り合いが居れば挨拶に行くべき、という事は理解していたけど、人が多くてどこから手を付けたら良いのか分からなくなってしまった。
とりあえず一番近くの、どっかで感じた気配のする男性に近寄ったんだけど、それが隠密行動なう、な我が家の隠密さんだったのはどうしようかと思った。
どう見たって普通の貴族男性だったよ、凄いよね、変装能力。
ていうか、こんなとこでも情報収集とか、仕事熱心過ぎて感心する。
あんまり働いて過労死しないで欲しいので、ほどほどにして欲しいなとかぼんやり思いながら会話してたら、なんか突然落ち込み始めて焦った。
聞けば、私のスペックが物凄いから、自分なんて必要無いんじゃないか、と思ったとか。
うん、声を大にして言いたい。
そんな訳あるか。
私には隠密さんみたいなコミュニケーション能力とか、人脈作りとか、調査とか、そんなんこのオジサマの演技しながらなんて絶対無理だ。
いや、頑張れば出来るかもしれないけど、付け焼き刃みたいにしかならないだろう。たぶん。
自分のスペックなんてまだイマイチ把握出来てないんだから、いつボロが出るか分からない。
その点、隠密さんや執事さんみたいな高スペックな人がカバーしてくれてると、本当に助かるのだ。
なので、彼が落ち込む必要なんて全く無い。
いくら元が女子で、コミュ障とかと無縁の人間でも、出来る事と出来ない事があるのである。
なので、そんな思いを込めて慰めたんだけど、なんか、失敗した気が凄くする。
や、だってさ、あのオッサン何故かキラキラした目でこっち見てたんだよ?
うん、ごめん、本当に意味が分からない。
そこはこう、影とか背負いながらも苦笑したりとかさ、そういうのが正解なんじゃないの?
しかも、慰めてる途中で通りすがりの風の精霊っぽいのが『すかーとめくりー!!』とか
なんでオジサマのスカートをめくろうとしたの風の精霊っぽいの。
穿いてねーよスカートなんて。
やだよ、変態じゃん。
あかん、ちょっと想像しそうになった、落ち着け私。
それは駄目だ。
その後すぐ、隠密さんのキラキラした目から逃げるようにあの場所から立ち去って、テラス席辺りまで戻って来ました。
だって、いたたまれない。
私基本的に尊敬されるような事、何もしてないもん。
何がどうしてあんな感じになるのか、全く理解出来ない。
ていうか、今更ながら、ふと気付いた事がある。
……この城、精霊めっちゃ居る。
今まではあんまり余裕無くて分からなかったけど、視線だけで周りを見渡せば、居るわ居るわ、小さな精霊っぽい光。
夜に見たらまるで沢山の蛍のように見えるんだろう。
プワプワしていたり、精霊同士で追いかけっこしていたり、綺麗なんだけど、なんか
特に風の精霊っぽい薄緑の光の玉が多い。
ふと、風精霊が特に沢山群がっている場所があったのでそっちを見てみたら
彼らは、明らかにカツラっぽい人の頭に微風を吹かせ、落ちるか落ちないかの瀬戸際を楽しんでらっしゃった。
やめたげてよぉ!
その人めちゃくちゃ困惑してるよ! 焦ってらっしゃるよ!
ズレてしまわないかと、めっちゃ汗かきながらハラハラドキドキしてらっしゃるよ!
可哀想だからやめたげてよぉ!
「おい、見ろ、ヴェルシュタイン公爵だ」
「あれが? あの?」
思わず私までハラハラドキドキしてしまっていた時だった。
どこからかそんな話し声が聞こえた。
物凄く不思議そうというか、疑わしげというか、不審がっている声音。
「いやいや、嘘だろ、どう考えても」
「だが、陛下からもそう呼ばれていたぞ?」
一体どこから聴こえているのか、この身体のスペックが高過ぎてさっきの一瞬で分かってしまったけど、気付いてる素振りなんてしない方が良いだろう。
飲み物を探す振りをしながら、会話には耳を傾けてしまいつつ、それでもそいつらとは一定の距離を保ち、通り過ぎる。
「なら、本当にあれがあの豚公爵だってのか?」
「おい、聞こえるぞ?」
はい、聞こえてますよ。
だがしかし、無視である。
だってホントに豚だったんだから気にしたって仕方ないし。
「おやおや、ヴェルシュタイン公爵ともあろう方が、あのような者に言わせたままとは……、
どこかねちっこく、そして嫌味ったらしいそんな言葉で、私は知らないけど、オーギュストさんの知っている男の人の声が聞こえた。
低くて、なんて言うか、良い声なんだけど、どっか胡散臭い。
そんなオジサンの声だ。
「私の知っている公爵殿は、もっと高潔だと思って居たのだが……、私は思い出を美化し過ぎてしまっていたのだろうか」
なんかネチネチとそんな事を言われているんだけど、これって、私に話し掛けてるんだろうか。
いや、でもコレ、独り言だよね?
アレかな、身分が上の人には声をかけられるまで話し掛けちゃダメっていう良く分からん貴族ルールを忠実に守ってる結果かな。
もしかして話し掛けるべき?
一応どっから言ってんのか分かっては居るし、なんならすぐ近くなんだけど、でもなんだろう。
物凄くめんどくさい人な気がする。
どうしようかな。
「いやはや、なんとも嘆かわしい! あの頃の栄光は影も形も無いという事なのか!」
あ、駄目だコレ、どんどんエスカレートして鬱陶しさに磨きが掛かってくタイプのオッサンだ。
スルーしようとこの場から離れる為に歩き出したのに、わざわざ私に付かず離れず着いて来ながらなんかまだうだうだ言ってるもん、絶対そうだ。
「何という事だろうか、時の流れとは残酷にも程がある!」
うわあ、何この人、大声でなんか言い始めた。
どうしよう関わりたくない。
……だがしかし、このまま放っておいても鬱陶しいだけだろう事は明白。
物凄くめんどくさいけど、話し掛けない、という選択は無理そうなので、頑張って話し掛けようと思います。
頑張れ私、ファイトだ私。
出来る出来る、やれば出来る!
「ふむ、騒がしいと思えば、君か」
不遜な態度を醸し出しながら、マジで一体誰なんだろうと思考を巡らせつつ、なるべく優雅に見えるよう頑張りながら振り返る。
すると視線の先には、なんていうか、絶妙に微妙な外見のナイスミドルが立っていた。
黒っぽい茶色をベースに、金の刺繍や縁取りとかのあるなんか豪華な貴族服。
身長は、今の私、というかオーギュストさんよりちょっとだけ低い。
切れ長の目は鋭く、その瞳の色は赤茶。
瞳と同系統の髪色の、ちょっと硬そうな毛はガッチガチのオールバックにされている。
顔立ちは端正と言って差し支えない程には整っているのだが、如何せん、問題は口元の髭だ。
この髭が、目の前の男性の外見を絶妙に残念にさせていた。
どこかで見たけど、なんだっけコレ。
駄目だ、思い出そうとしたけどカーネルサ○ダースしか出て来なかった。
カーネル髭じゃないよ、そっちじゃなくて、八の字に近いやつの先をカールさせた感じ。
なんかそんなアレ。
とにかく、その髭が絶妙に似合ってない。
なんでだろう、髪の毛の色が明るいからかな。
髭もその色だもんね。
あとは、もしかしてちょっと童顔なのかな?
童顔な人が髭生やすと、なんか知らんけど似合わないよね。
アレ何なんだろう。
早い話が、とにかく、髭が似合ってない。
っていうか、あの形の髭が駄目なんじゃね?
「その髭の型、変える気は無いのかね?」
「おお、ヴェルシュタイン公爵殿ではございませんか! 私の事を覚えていて下さっていたようで、恐悦至極!
大変お久しぶりでございます、アイアンハイド上級伯爵家当主、リヒャルト・アイアンハイドでございます」
わざとらしく、今気付いたみたいに明るく振る舞いながら、貴族男性が目上の者に対してする礼を、私に向けて丁寧にするオッサン。
つい言ってしまった髭についての言及はスルーされてしまったけど、口元が引き攣ってるから本当はめっちゃ気にしてるんだと思う。
まあ、そんなオッサンを眺めながら、脳内のデータベースに検索を掛けると、該当1件。
リヒャルト・アイアンハイド。
オーギュストの同級生。
何かと突っかかって来ては嫌味や皮肉を言われたり馬鹿にされたりと、良く分からないがとにかく目の敵にされていた。
社会に出てもそれは変わらず、会う度に同じ調子だったのだが、特に害が無いのでずっと放置していた。
……ずっと放置されてた可哀想なオッサンだったこの人。
え? こんな濃い人スルーしてたのオーギュストさんてば。
逆に凄いなオーギュストさん。
繊細なんだか図太いんだか。
チラッと記憶を探ってみたけど、なんて言うか、はい、可哀想な人でした。
少しはちゃんと対応してあげればいいのに、って言いたくなるくらい、若い頃からずっとサラッと流してばっかりの記憶達に、なんだか涙が出そうだ。
泣かないけどな。
そんな私ですが、実は、意外とこういう人好きだったりする。
なんて言うか、真正面から正直に悪意をぶつけて来る、陰で陥れようとかしない真っ直ぐな人って、好感が持てるよね。
オーギュストさんの記憶から察するに、この人がこんな態度を取るのはオーギュストさんだけだった。
という事は、きっとこの人はオーギュストさんの事を現在進行形でライバルか何かだと思ってるんじゃないだろうか。
だというのにめっちゃスルーしてたオーギュストさん、マジ鬼畜。
私個人は、可哀想なので構ってあげたいんだけど、どういう対応が正解なんだろうか。
……とりあえず、まずは様子見として普通に挨拶を返してみようと思います。
「なるほど、確かに君と会うのは久しいな。随分と心配を掛けてしまっていたようで申し訳無い限りだ。
この通り、昔の体重も取り戻したので安心したまえ」
あれ、挨拶っていうかなんか、ちょっとしたお礼の言葉みたいになったんだけど、はたしてこれでいいのだろうか。
だってオーギュストさんだから、どうやったって皮肉っぽく聞こえるよね?
とか思っていたら、まるで反射みたいに口が動いた。
「ところで、その髭は剃らないのかね?」
おおい!? なんか余計な一言口走ったんですけどこの口!!
「……ヴェルシュタイン公爵殿は御存知ありませんでしたかな?、この髭は今の流行りでして……」
「ふむ、そうかね、だが君には全く似合っていないな」
ちょちょちょ待て待て!
何暴言吐いちゃってんのこの口は!!
え!? 何!? 構ってあげようとした結果がコレ!?
オーギュストさんの構い方ってもしかしてコレ!? コレが標準!?
「っ……!!」
あああ! めっちゃ恐い真っ赤な顔で睨んでる! 眼力凄い! 恐い!
羞恥と悔しさ、プラスして身分の壁で反論出来ないんですねごめんなさい!!
「っ失礼する!」
内心大慌てで謝罪しようと口を開いたけど、そんな私の口から飛び出したのは
「そうかね、では、またいずれ会おう」
なんていう傲岸不遜極まりないセリフだった。
「……っ!!」
それがよっぽど癇に障ってしまったのか、彼は無言のままに勢い良く私を睨み付け、その眼力に内心でマジビビりしてしまったんだけど仕方ないと思う。
はいごめんなさい本当にすみませんわざとじゃないんです!!
ていうかなんで!? どうしてこういう時に限って肉体の癖を発揮しちゃうの!? ヤダこれ!
だがそんな大混乱な私を尻目に、彼は身を翻したかと思えば、誰がどう見たって憤慨した様子で、そのままずんずん歩き去っていってしまったのだった。
はい、やらかしましたあああ!!
頭を抱えて蹲ってしまいたい衝動を必死に押さえながら、私は息を吐き出したのだった。
リヒャルト・アイアンハイドは、オーギュスト・ヴェルシュタインの同級生である。
ヴェルシュタイン公爵家とアイアンハイド上級伯爵家は、代々騎士を輩出する家系であるがゆえに、同じ騎士科の生徒として、同じ教室で同じ授業を受けていた。
リヒャルトは当時、騎士団長になるという夢を追っていた。
だが、どれだけ努力を重ねても、オーギュストの足下にも及ばない現実に打ちひしがれた。
これでオーギュストがリヒャルトと同じように騎士団長を目指して日々研鑽していた結果ならば、彼はここまでひねくれなかっただろう。
だが、オーギュストは、騎士にならずに家督を継ぐという選択をしていたのだ。
彼が長男であり、父親が騎士団長をしていたがゆえに、家庭を大事にしたかっただけなのだろうが、オーギュストの実力を燻らせるだけの選択に、リヒャルトは激昂した。
騎士になっても家督を継ぐ事は可能であるのだから、尚更そう感じてしまったのだろう。
更に、オーギュスト程の実力があれば、すぐにでも騎士として獅子奮迅の働きをこなせるだろう、という人々の噂が、リヒャルトの感情に拍車をかけた。
何故、自分にその実力が無いのか、何故、あの男であって私ではないのか。
それは嫉妬であり、そして、羨望であった。
根が真っ直ぐなリヒャルトは、正面から批判した。
だが当のオーギュストは全く気にせず、軽く流すだけだった。
何度も何度も繰り返す内に、卒業を迎え、成人し、結婚した。
そして戦争が起き、リヒャルトは騎士として、国内に広がる謎の伝染病と戦った。
そして、それが終わった頃に出会ったオーギュストは、リヒャルトの知るオーギュストでは無かった。
自暴自棄、そして、傍若無人な、ただの愚か者だった。
そんなオーギュストの姿を見て、リヒャルトはひとつだけ、気付いた事がある。
己は、オーギュストに憧れを抱いていたのだと。
だからこそ、そんなオーギュストの姿など認める事が出来なかった。
許す事も出来なかった。
副騎士団長として、オーギュストの息子の下に着く事になっても、そんな事はどうでもいいと思える程、愚鈍になって行くオーギュストの存在を許せなかった。
いつか、騎士団長として、立って欲しかった。
そして、右腕として、彼の横に立ちたかった。
叶わぬ夢を無自覚に抱いたまま、彼は騎士として生きていた。
それが、覆された気分だったのだろう。
「あなた、ようございましたわね」
「っ、な、何がだ!」
「あぁ、ほら、ハンカチをどうぞ」
いつの間にか隣に現れた己の妻に、リヒャルトの身体が驚きに撥ねる。
「うるさい、私に構うな!」
「そうは仰いましても、鼻が出ておりますわ」
「引っ込んだ鼻などあってたまるか!」
差し出されたハンカチを拒否したものの、随分と水分を含んだ声音は誤魔化しようも無く、甲斐甲斐しく世話をされてしまう。
「そうではなくて、あの、えっと、...鼻水が...」
「……っ!?」
「あぁ、ほら、涙も」
「ぐっ、やかましい! 泣いてなどいない!」
「ふふ、本当に、ようございました」
「……ふん! 何が良かったものか、あの頃と変わらない嫌味な男だ」
「そうですわね、そういう事にしておきますわ」
「その生暖かい眼差しはなんだ、不愉快だ! 帰るぞ!」
「はい、リヒャルト様」
リヒャルトの、何もかも全部を誤魔化すような、声を荒らげながらの命令に、妻は静かに微笑んだ。
妻は知っていた。
普段から嫌いだ嫌いだと断言し、更に連呼しているリヒャルトが、自覚の無い、オーギュストの根っからのファンだと。
そして、以前のような元気を取り戻した己の伴侶の姿に、妻は思わずホッとしたような安堵の表情で微笑むのだった。
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