第35話

 



「あぁん、もうヴェル様ったら……っ! ワタシに会いに、こんな所まで来てくれるなんて……っ!」

「いや、年に1度のパーティだし、なんなら旦那サマ、太ってた去年も参加してたよね」


 ハアッ、と熱い吐息を漏らしながら頬を染め、恍惚とした表情で呟く赤髪の少女に、黒ずくめの男が呆れたような声音の言葉を返す。

 絶対アンタに会いに来た訳じゃない、と視線だけで訴えながら。


 しかし少女は、全く聞こえていないかのように、恋する乙女のような、熱に浮かされたうっとりとした顔でその身をくねらせた。


「んふ、暫く会えなかったからきっとお寂しくなられてしまったのね!」

「いや、王家からの招待だから参加するの普通だし」


 たとえ聞こえていなくても、男は言いたくて仕方がなかったのだろう。

 瞬時に少女の言葉の矛盾箇所を指摘する。


「ヴェル様の手を煩わせてしまうなんて、ワタシったら罪な女……」

「……旦那サマ、煩わしいからパーティよりも仕事してたいって言ってたけど」


 顔を布で隠してあるにも関わらず、それでも分かるほどの呆れたような視線を少女へ送りながら冷静に呟く男は、少女が自身の言葉を全く聞いていない事実に、とうとうその灰銀の瞳を此処では無い何処か遠くへ向け始めた。


「あっ、ヴェル様ったら、今ワタシを見たわ!

 んもう、ダメよヴェル様、パーティに集中しなきゃ!」

「うん、それ妄想だからね、旦那サマこっちに視線すら送ってないし、なんならココ天井裏だから」


 黒ずくめの男が言う通り、彼等が居る場所はパーティ会場の真上、天井の裏である。

 そこで、指が通るくらいの小さな穴から、階下の様子を見ているのだ。


 彼等がそんな場所に居るのは、自分の主の警護が目的だ。

 有り得てはならない事だが、不測の事態が起きた時に、対応する為である。


 この場所には、彼等の技量が高度過ぎるせいで、彼等も此処に居る事に未だ誰も気付いていないが、彼等以外にも様々な貴族に雇われた影の者が居た。

 その者達も、同じ目的である。


 表向きは。


 裏の目的は、情報収集である。


 王城では、情報収集と、警護以外の一切の活動が出来ない為、影の者が貴族を暗殺する事はない。

 何故か。


 単純に、王家に仕える影の者の実力がずば抜けているからである。


 その彼等は、一様に血のように赤い髪と瞳を持っている事から、真紅と呼ばれていた。


 国が出来た当時は要人暗殺が無い訳がなかったのだが、何処で掴んだのか、王家側が犯人を捕縛、粛正した。

 伝聞では、その悪事を暴いたのは初代真紅だと言われている。


 それ以降王城での暗殺は、どれだけ策を練ったところで上手く行かず、何度やったところで、ただ闇雲に己の命を危険に晒すだけである、という認識が根付くようになった。


 それは裏の世界でも暗黙のルールとなり、現在では王城は影の者達の社交の場、または新人のデビューの場となっていた。


 もしかしたら、伝説の真紅の末裔の姿を一目見られるかもしれない。

 そんな淡い期待と共に、仕事ついでに王城へ忍び込み、情報収集する者は後を立たない。

 だが、隠密としても暗殺者としても最高峰の彼等は、そう簡単には見付けられず、噂だけが先行しているのが現実であった。


 なんでそんなのが自分の横で、しかも自分の主に、恋する乙女みたいな視線を送っているのか、黒ずくめの男は疑問で仕方なかった。

 だが、魔に属する者にとって己の主が魅力的に映るのは本能なので、仕方ないとも思っていた。


 あの夜、自分の主と情報を纏めた結果、真紅は吸血鬼と呼ばれる魔族である事を知ったからだ。


 何故そんな種族の者が人間の国の影などやっているのか、甚だ疑問ではあるのだが、男にとっては、己の主に害が無ければ他はどうでも良かったので、完全にスルーしていた。

 恋は盲目状態である。恋じゃないけど。


「それにしてもヴェル様ったら、なんて素敵なの……」

「あ、うん、それは同意する」


 堂々と、そして優雅に、一部の隙も無く会場を歩く己の主の姿は、もはや拝んでしまいそうな程、男には神々しく見えていた。

 故の、真剣な同意である。


「あの青い瞳、冷たい眼差し……本当に素敵……、着飾るとまるで絵画ね……」

「……流石は旦那サマ、やっぱりパーティだと違うなぁ」


 その会話を聞いていた者が居れば、例えられた絵画は、物語の悪役が登場した時の場面か、と思った事だろう。

 男の主の姿は、どこからどう見ても大迫力であったのだから。


「それにしても、あの俗物、ヴェル様になんて態度かしら、ぶっ殺したい」

「うん、それめっちゃ分かる。

 でも旦那サマから許可出ないとダメなんだよね、残念の極み」


 心底嫌なモノを見てしまったと、嫌悪を隠す事すらなく、吐き捨てるかのように呟く少女に、男は再度、真面目な声音で同意した。


「何故ヴェル様はたったアレだけの言葉責めで済ませたのかしら……」

「旦那サマの事だから、何かしらお考えがあるんだろうと思うけどね」

「あぁ……なんて羨ましい、ワタシもあの冷たい眼差しを受けながら罵倒されて、そのままブツ切りにされたい……」


「うわっ、きもちわるい」


 うっとりと呟く少女の言動に、男は真剣な拒否反応を示した。

 完全な真顔での、心からの呟きである。


 まさか真紅の1人がこんな変態だなんて、誰が思っただろう。

 願わくは、あと数人居る筈の真紅達はマトモな者であってほしい、それだけを考えながら、黒ずくめの男は溜息と共にその灰銀の瞳を閉じる。

 己の主の中の人の生まれ故郷では、そういった思考はフラグと言うのだが、勿論男は知る由もない。


「あら、流石はヴェル様ね、王にまであんな事出来るなんて……!」

「へ?」


 少女の言に閉じた目をパチリと開け、急いで階下の様子をチェックすると、驚愕の事実が明らかとなった。


「……旦那サマ何してんの?」


 思わず、ぽつりと呟いてしまったが、これは仕方のない事だろう。


 男の目には、己の主が、この国の王の顔面を、片手で思いっきり掴んでいる様子が飛び込んで来たのだから。











 さて、現状の確認をしようか。


 えーと、パーティに来たら、王様の顔面を鷲掴みしてました。


 なんでだ。


 もっかい言わせて。




 なんでだ。




 頭に載った豪華な細工の、赤い宝石が中心に据えられた王冠。

 白っぽい金だからプラチナとかその辺で出来てるかもしれない。

 頭髪は綺麗な銀。

 白髪では有り得ない完全なシルバーである。

 髪質は真っ直ぐストレートで、コシがある。

 男の人は大体こんな髪質だよな、ってくらいの、丁度いい感じ。


 顔立ちは、オーギュストさんとは違うタイプの、偉丈夫ってヤツ、だった気がする。


 オーギュストさんはどちらかと言うと、線の細い方の美形に分類されると思う。

 若い頃は、体格でようやく性別が分かる程の美人だっただろう。


 一転して王様の方は、正統派の美形だ。

 若い頃は王子様感がハンパ無かった事だろう。

 歳を重ねて、威厳と余裕と、大人の色気が出ていた。


 瞳は綺麗なアメジスト色、だった気がする。


 年齢はオーギュストさんと同じくらいだったから、ナイスミドル、とは言いづらい。

 個人的な見解だが、ナイスミドルという言葉が相応しいのは50代からだと思っている。

 オーギュストさんはヒゲ似合わないけど、王様はとても良く似合っていた。

 身長はオーギュストさんより少しだけ、ほんの2、3cm低い気がする。


 私に顔面掴まれてるから何もかも台無しだけどな。

 おヒゲがチクチクします。


 ていうか、貴族の礼儀的に向こうから話し掛けられるまでこのままじゃね?


 あ、ちなみに現在、音という音が無くなってるよ!

 ざわめきも音楽も、何もかも時が止まったように聞こえなくなったよ!


 周り皆こっち見てポカーンとしてるからね! うん!


 見てないで誰か助けろ。


 いやいや待って、これどうしたらいいの?


 頭の中は混乱の極みで、体は完全に硬直してしまっている。

 だがそれでも私の頭は、これからどうしたら良いのか、何が最善なのか、ただひたすら戦略を立てていた。


 いっそ此処で魔法ぶっぱなすか?

 そしたら無かった事になるんじゃね?

 いやいやいや、それは駄目だ、王様死んじゃう。

 ていうか、お城吹っ飛ぶかもしれん。

 うん、却下。


 あ、こういう時こそ転移魔法か?

 いや、今逃げても仕方なくね?

 後から大惨事確実だよ、打首だよどう考えても。


 やっぱりお城吹っ飛ばそうかな。

 あ、でもそれだと執事さんと隠密さんも巻き込まれ死するかもだわ、駄目だね、駄目だよ。


 そんな自問自答してしまっていたが、表情は一切変えていない。

 周りから見たら一体どんな風に見えているのか、想像したくもなかった。



「まあ、ヴェルシュタイン様、ご無沙汰しております」


 突然、うふふ、と優雅に微笑みながら王妃様っぽいおば、お姉さんが私に声を掛けながら、優雅に歩いて来た。


 王様の頭の王冠と違ってピンクゴールドで出来たようなティアラは、照明の光でキラキラしている。

 中央に据えられているのは王様の王冠と同じ赤い宝石。


 頭髪は、プラチナブロンドってやつだろうか、パツキンより落ち着いた色味である。

 その色の髪は、編み込むように結い上げられ、頭の後ろで纏められていた。

 垂れ目が特徴的な、水色の瞳。

 若い頃は色んな男からアプローチを受け、あらあらうふふ、と年上のお姉さんの笑顔で躱していたのだろう。

 プロポーションは一切のたるみも無く、素晴らしいの一言。


 ハイネック+フリルの露出度の少ないドレスは、とても上品な薄いピンク色で、銀色の糸で施された幾つもの薔薇は、ところどころにアクセントとして真珠があしらわれている。


 近くで見ると、とても綺麗で優雅です。


 つーか私、基本的に語彙が無いからこんな時そんな感じの事しか言えないわ、どうしよう。


「これは王妃殿下、このような状態で申し訳ございません。

 ヴェルシュタイン公爵家、当主オーギュストに御座います」


 内心はめちゃくちゃ慌ててるし、頭の中真っ白でセリフなんか出て来ないと思ったのに、なんかサラッとそんな返答が口をついて出て来た。

 さすがはオーギュストさんである。


「あら、あの頃のように、リリーとは呼んでくださらないの?」


 何処か残念そうに、こてりと首を傾げるお姉さん。

 そんな事されると綺麗から一気に可愛らしいに変わってしまうのが不思議である。

 是非とも、このまま可愛らしいおばあちゃんになって頂きたい。


 内心物凄く真剣にそんな事を考えていたけど、不意に気付いた。


 ん? ……あれ? ちょっと待て、王様スルーされてない?

 良いの? コレこのままお話してて大丈夫なの?

 あっ、あと、あの頃とか私知らないんですけど、どうしたらいいですか。


「そう呼ぶには私は少々、歳を取り過ぎてしまいました」


 そんな、色々と訳が分からない状況下でも、アドリブでセリフがポンポン出て来てくれるのは本当にありがたかった。

 だがしかし、何を言ってしまうか分からないのはちょっと、いや、かなりハラハラする。

 だけどとりあえず、今は仕方ないと割り切るしかなさそうだ。


「あらあら、ワタクシとヴェルシュタイン様は同い歳ではありませんか」


 うふふ、と、はんなり微笑むお姉さんから告げられたそんな言葉に一瞬時が止まった気がした。



 えっ。



 えっ!?


 ちょっと待て、同い歳!?


 あ、そうか、オーギュストさんと王様が同い歳くらいで、その王様と王妃様が同じくらいだから、オーギュストさんとも同い歳と、そういう事か!


 普通に考えたら当り前の事なんだけど、中身が私であるが故の弊害である。

 この場合、私の頭が悪いから、という訳じゃなく、年齢が若いから、という理由が弊害の元だ。

 確実に、……多分、…………おそらく、………………きっと。


「ふむ、そうでしたな。

 王妃殿下はいつまでも若々しくていらっしゃるので、同じ歳だという事を失念しておりました」


 さも当然とばかりの態度で、堂々と言い放つ。


 こういう時は、逆に堂々と言ってしまえばバレないのだよ!


 内心だけでドヤ顔をしていたら、当のお姉さんはころころと笑った。


「まあ! お上手ですこと。うちの旦那様にも見習って欲しいわ」

「……ふむ、旦那様と言えば……」


 チラリと視線をずらすと、未だに私に顔を鷲掴みにされた王様の姿がある。

 ジタバタしながら、何か、むぅむぅ唸っているのだが、……ねぇお姉さん、ちょっとコレどうしたらいいですかね?


 そんなニュアンスを含めながら言葉を途中で止めると、お姉さんはようやく思い出したとばかりの表情で、ポン、と両手を叩いた。


「あら、そうだったわね、実は別室を用意しているの。どうぞ、ご案内しますわ」


 うふふ、と優雅に微笑みながら、私を案内する為か、早速歩き出そうとするお姉さん。


 って、おい。


「……妃殿下?」


 ちょっと待って、そうじゃないよお姉さん、なんとかしてこの状態。


 そんなニュアンスを頑張って含めながら怪訝そうな声音を発すると、お姉さんは無邪気に、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべてクスクスと笑った。


「うふふ、分かってますわ。

 その人もそろそろ反省したかしら。どうぞ離して差し上げて」


 楽しそうに告げられたその言葉に、ようやく手を離す事が出来るようになった訳ですが、……王様にこんな事しちゃうとか私、首飛ぶかな……。


 この場合の飛ぶ、は比喩でも何でもなく、物理的に、である。

 うん、飛ぶよね、どう考えても。


 一応頑張るつもりだけどどうなるか分からんから、挨拶だけはしておこう。

 さよなら、胴体。


 そんな事を考えながらパッと手を離す。


「ぶはっ! ちょっと走馬灯が見えたぞヴェルシュタイン公爵!」


 あ、やばい、王様軽く死にかけるくらい握ってたとか、やっぱり死刑ですよね、死刑ですね。

 うん、普通に死刑だわ。


「あらあら、突然ヴェルシュタイン様に抱き着こうとなされた貴方様の自業自得ですわ、陛下」


 これからの人生を諦めそうになっている私とは対照的に、何故か和やかに王様を咎めるお姉さん。

 当の王様本人は、むぅ、と小さく唸りながらも、しかし何処か納得した様子だった。


「それは確かにそうかもしれんが……」

「かもしれないじゃなくて、そうなんですわ。ご自重なされて?」

「うむ! 今後は善処しよう」


 ドヤ顔で、キッパリと言い放つ王様。


 ・善処

 適切に処置すること。

 例「事情に応じて善処する」


 一般的な意味→頑張ります。


 ちょっと待て威厳どこ行った。


「いやだわ、出来れば確約して下さいな」

「はっはっは! 自信が無い!」


 明るく笑い飛ばす王様に対して、若干呆れたように溜息を吐く王妃様。


「いやだわ、自信たっぷりに仰らないで下さいませ」

「仕方ないだろう? 幼馴染との再会だ」

「まったくもう、いつまでも子供みたいな人!」


 仕方の無い人、とでも言いたそうな表情で諦めたように笑う王妃様は、愛情の篭った眼差しで王様を見ていた。

 どうやら国王夫妻は、おしどり夫婦、ってやつらしい。


 ってちょっと待て、オーギュストさんと王様、幼馴染なの!?






 

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