第33話

 






 8畳くらいの部屋の中で、窓際に置かれた書斎机と椅子という席に着きながら、書類に目を通す。


 この書類は屋敷から持って来た、まだ計算出来てない分である。


 羽ペンを手に取り、インク壷にペン先を浸す。


 その時ちらりと窓の外に視線をやると、外の景色が一定のスピードで流れていっていた。

 だが、振動は一切無い。


 ……うん、えっと、これ、馬車らしいです。


 公爵家に代々伝わる、というか、オーギュストさんのひいひいおじいちゃんが廃嫡された際、手土産にと王家から賜った由緒正しき、拡張魔法の掛かった魔道具なんだとか。


 当主専用の、馬車、らしいです。


 めっちゃ広い16畳くらいのリビングルームに、6畳くらいの魔道具製キッチン、それから、使用人用に8畳くらいの仮眠室(定員4名)

 その隣に、今、私の居る当主専用の8畳くらいの部屋、ベッド付き。


 もっかい言おうか。


 馬車らしいです、これ。


 訳が分からないよ!


 ……まあ、うん、深く考えたらまたキャパオーバーしそうなので、スルーしようと思います。


 執事さんが言うには、屋敷から会場であるお城到着まで、二時間程掛かるらしいのでそれまでに少しでも再計算を進めておこうと思います。


 現実逃避とも言うよ!

 だって書類仕事やってると没頭出来て何故か落ち着くんだもん仕方ないよね!

 リラックス出来て書類も片付くんだから一石二鳥、得しか無いならやるに決まってる。


 ちなみに、その執事さんは御者台でお馬さんを操ってます。

 それから一応、隠密さんも使用人に変装して付いて来てくれてます。


 基本的に夜会等のパーティは、パートナー必須なんだけど、オーギュストさんの場合はジュリアさんに先立たれてるから、お一人様でオッケーである。

 姪っ子ちゃんはまだ社交界デビューしてないから無理だし、妹は嫁に行ってるから婿と一緒だろうし、っていう結果らしいです。


 知り合いに未亡人でも居れば良かったかもしれないけど、その場合、オーギュストさんとその未亡人、結婚するかも! みたいな事になるらしいです。

 貴族マジ面倒。


 まあ、そんな訳でお一人様で参加となる訳ですが、執事さんは会場の中まで着いて来れません。

 隠密さんも無理です。

 オーギュストさんの記憶によれば、使用人や執事は専用の控室で待たされた後、会場の手伝い、つまりは裏方に回されるらしいからです。



 つまり、今日はマジでたった一人、貴族しか居ない、知り合いも殆ど居ないパーティに参加しなきゃいけないのです。


 正直に言おう。


 めっちゃ心細い。


 もっかい言いたい。



 めっっっちゃ心細い。



 やだー! 帰りたーい!!














 王国歴734年7月9日、734回目の建国記念日を明日に控えた王城では、きらびやかな衣装を身に纏った貴婦人や、上質な生地がふんだんに使われたサーコート等の、様々な正装姿の紳士達が思い思いに歓談していた。


 有事には市民の避難場所にもなる大ホールの収容人数は五百人余り。

 だが今はそれよりも格段に少なく、多く見積もって百人程の人数が来場していた。

 王家よりの招待を受けた大貴族、警護を任された騎士達、給仕をする為に配置された使用人、会場でのBGMを担当する宮廷楽団といった構成である。


 大量の水晶を媒介にした照明の魔道具をシャンデリアに、色違いの大理石で描かれたモザイク画の床、楽師達による楽曲演奏。

 あちこちに設置された大きな長テーブルの上には、豪奢な食器に盛り付けられた食事。

 使用人たちは、密集した場所ではトレーを使いワイングラスやシャンパングラスを運び、広い場所ではカートを使い、軽食が取りたい貴族向けの一口サイズのオードブルや、サンドイッチを運んでいた。


 そんな中、入り口の警備を任されていた騎士が、きらびやかな会場の新たな来訪者を知らせる声を上げる。


「オーギュスト・ヴェルシュタイン公爵様、ご来場!」


 張り上げられたその声に、近くに居た貴族やその妻が、朗らかだったその表情を嫌悪に歪めた。


「……嫌だわ、折角良い気分だったのに……あんな家畜のような人の姿を見なければいけないなんて……」


 口元を開いた扇で隠しながらも、それでも分かるほど心底嫌そうに眉間へ皺を寄せる妻に、貴族の男は窘めるような言葉を返した。


「これ、やめなさい、あんなでも公爵様だよ? 私達よりも爵位が高いのだから」

「だから嫌なんですわ、わざわざあんなのに謙らなければならないんですもの」

「まったく、聞かれたらどうするんだい」

「構いませんわ、あの方、誰の話も聞こえませんもの。

 それに、誰しも皆思っている事ですわ」


 キッパリと言い放った時、妻の友人らしい妙齢の女性が素早く妻へ近寄って来た。


「奥様の言う通りですわ、あんな醜い男、何故神は権力など与えてしまったのでしょう……、ああ! 見るのも嫌だわ!」

「まあ! ジャクリーン様もそうお思いですの?」


 嫌悪感を隠そうともせずに、大声で捲し立てる妻と、その友人を困ったように眺める貴族の男は、しかし二人を止めようともせず、微笑する。

 それは醜い公爵に対する嘲りと、嫌悪に満ちた笑みだった。


「あの豚、ここ暫く見なかったが寝込んでいたらしいぞ」

「あの体型だ、体を壊して当たり前だろう。むしろ少しは痩せたんじゃないか?」

「あれがか? 無理だろう、自制がきかないからあんな体型だったんだ」

「違いない!」


 ヒソヒソと、あちらこちらからそんな嘲った会話が聞こえてくる。


 そんな嘲笑と、嫌悪が満ちた会場に、重い扉の開く音が響き渡った。


 途端に、扉の近くに居た者は、会場の音という音が消えたような錯覚を覚えた事だろう。


 こつりこつり、という靴音だけが会場に響く。


 オールバックにされた青銀の髪、鋭く怜悧に切り取られたかのようなアイスブルーの瞳。

 スッと通った鼻筋に、形の良い唇。

 紺色を基調とした、騎士専用の正装であるサーコートを身に纏った、壮年の、その年齢だからこそ醸し出される色気を持った美しい男。

 その辺りの顔の造作が良いだけの若造とは一線を画す、大人の色気である。


 見ただけで上質と分かる生地に、ふんだんにあしらわれた銀糸の刺繍や、装飾。

 胸には、王家より賜ったのだろう勲章が三つ。


 鋭利な刃物を突き付けられた時のような、本能的な畏怖を感じる程の、冷たく底冷えするような美貌のその男は、サーコートを優雅に翻しながら、周りを全く気にした様子も無く、堂々と会場へ足を踏み入れた。


 その姿を見止めた誰しもが、呆然と、惚けたように口を開け、その男が行く先を邪魔しないようにと自然に道を開けて行く。


 男が会場を進むたびに、静寂は広がって行った。


「おやおや、何処の誰だかは知らないが、随分と大胆な事をする。

 皆! 気にする事は無い! アレは影武者にもなれないただの偽物だ!」


 そんな、無粋な声が響き渡るまでは。










 状況を説明しようか。


 まず、馬車から降りて会場入りしようとしたら、何故か兵士に止められてしまった。

 当主の証である指輪も付けているし、招待状だって持って来ていたのにも関わらずである。

 ちなみにこの知識はオーギュストさんの記憶に有ったもので、パーティ等に参加する際にはこの二つと正装が必須なのである。


 兵士が言うには、余りにも姿が変わり過ぎているので、本人確認が必要との事。

 まあ、言いたい事は分かるし、その感情も理解出来るんだが、如何せん態度が悪かった。


 どこで当主の指輪を盗んだのかとか、王家を欺くつもりかとか、

 とにかくもう、犯罪者扱い。


 オーギュストさんの記憶によれば、実はこの国には、魔力を登録する事が出来る魔道具がある。

 これは、冒険者組合、所謂ギルドの所属カードを作る時にも使われている技術である。

 ついでに、国立の学校の生徒証と名簿にも同じものが使われている。


 学校は分かるけど、冒険者組合とギルドが何かはサッパリなんだが、今は良いや。


 国としても便利なので、貴族の名簿としての登録も同じ技術が使われた魔道具を使用している訳で、当然、身分証明や本人確認の際、その魔道具を使って確認を行う。


 触れる事で魔力を記録、ついでに名前と簡単なデータを一緒に登録出来るというだけの簡単な造りらしいが、まあとりあえず知識に有った細かい説明はこの位にしておこう。


 ともかく、その魔道具で本人確認をしていた訳なのだが、実はこの魔道具、結果が出るまで三分は掛かる訳です。

 この国に居る全ての貴族の魔力を登録しているんだから、検索に時間が掛かるのは仕方ないと思う。

 むしろ三分とか早い方だと思う。

 だってパソコンとかじゃないし。


 まあ、平常時なら、という前提が付くけど。


 なんかもう、待ってる間、鬱陶しいくらい罵詈雑言を吐かれた。


 しかも、三分後に本人だと結果が出ても、故障だなんだと鬱陶しく騒ぎ立てたものだから、いい加減に腹が立って来た私は、ついその兵士に向けて魔力をぶち当てそうになった。


 いや、一応我慢したけどね、うん。


 だが、そこで騒ぎを聞き付けやって来たらしい上官っぽい男が、その兵士を全力で殴り付け、そのまま兵士を私の足元へ跪かせた後、頭を床に擦り付けながらの全身全霊が篭った謝罪をされてしまった。


 曰く、12年前には居なかった者であり、常日頃、問題行動の多い兵士である。

 今日は謹慎させ明日には解雇させるので、どうか納めてほしい。


 なんかもうこっちが気の毒になるくらいの謝罪っぷりに毒気が抜けた私は、仕方無く許したように振る舞いながらスルーする事にした。


 仕方ないよね、なんか半泣き通り越して軽く泣いてたもん。

 こんなにビビらせるなんて、過去のオーギュストさんてば、一体何をやらかして下さってたんでしょうか。


 考えなかった事にするけどな!



 つーかオッサンに泣かれちゃったよ私。


 引くわ。



 まあ、そんなこんなでようやく会場に入った訳ですが、なんか知らんけどめっちゃ見られるし、めっちゃ静かになるしで、余りの理不尽さにさっき不完全燃焼してたイライラがふつふつと復活して来た。


 なんなの? なんでそんなポカーンとした顔でこっち見てるの?

 イジメ? 嫌がらせ? ケンカ売ってんの? 買うよ?


 そんな中の、あの台詞だ。


 見れば、禿げ散らかったオッサンがドヤ顔で私を見ている事に気付いた。


 いやはや、すげえな、あんな散らかし方、舞台役者さんとか喜劇とか、そんなんでしか見た事無かったんだけど実際に存在してしまったよ。

 説明が難しいんだけど、バーコードと、ブロッコリーと、スキンヘッドが混在してる、感じ?


 私だったらいっそスキンヘッドにするぞ、あんなの。


 いや、何故あんなに寂しくても頭髪を残しているのかは、オーギュストさんの知識から理解出来る。

 貴族には基本、スキンヘッドが居ないからだ。

 主な理由は、この国で罪人となった者は、女性は五分刈り、男性はスキンヘッドにされてしまうので、貴族として体裁が悪いから。

 まあ、それなら仕方ないよね。


「偽物?」

「ああ、ビックリした、あの公爵があんな素敵になるなんて、ある訳がないものね」


 不意にヒソヒソと、何処かからか分からんけど、……いや意識したら分かると思うけど今は止めておこう。

 とにかく、そんな嘲ったような囁き声が聞こえて来た。

 オーギュストさんのスペックだと丸聞こえなんだが、きっと聞こえてるなんて思ってすらないだろう。


 だがしかし、なるほど、それで皆私を見てポカーンとしてたのか。

 仕方ないね、イケオジだからね、今のオーギュストさん。

 そりゃあもうイケてるオジサマだからね!


 そんな事を考えながらも、だからこそ、その辺の貴族達の余りの頭の悪さに溜息を吐きそうになった。


 なんて言うか……馬鹿しかいないのかな? 此処には。


 まあ、とりあえず今は置いといて、まずはこの禿げ散らかったオッサンに話を聞くとしよう。


「ほう、随分と自信があるようだが、何か証拠はあるのかね?」

「ハッハッハ! 何を言うかと思えば! どう見たって別人じゃないか!」


 私の問い掛けに、何か知らんけど自信満々で答える、禿げ散らかったオッサン。


 はい、頭髪と同じくらい根拠が薄いですねー。

 何言ってんでしょうねー、このオッサン。


「別人ならばこの会場へ入る際につまみ出されているのではないか?」

「ふん、どうせ金でも握らせたのだろう」


 見下しながら鼻で私を嘲笑う禿げ散らかったオッサンが無駄に腹立つんですけど、何コイツ、抜くぞその頭の毛。

  どうしよう、今までのこの一連の流れのせいでか分からんけど、このオッサンめっちゃ腹立つ。


「……貴殿は馬鹿か?この国の警備の兵士がその程度で誤魔化されると?王家を馬鹿にしているのか?」


 だってめっちゃ捕まってたからね私。

 あれで本人じゃないなんて結果出たら確実に打首決定だよ。


「ふ、ふん!なら内通者でも居れば簡単じゃないかな」

「なるほど、貴殿は馬鹿なのか」

「なんだと!?」


 なんていうかもうかなり的外れな禿げ散らかったオッサンの返答に、つい鼻で笑いながら納得する私。

 と、オッサンは顔を真っ赤にして憤った。


 お怒りの所すみませんが、いや、だってねえ、そうでしょ。


「まず国を上げての式典で、公爵家当主が別人にすり替わっているなど、血族である王家が看過しておく筈が無い。

 それ以前に、王家がそんな事にすら気付かぬ訳が無い」


 だってそうじゃなきゃ、宰相っていうでっかい膿をそのままに、今まで王家が存続してる訳無いもん。

 それはつまり、宰相の企みとかそういうのを殆ど看破して来たって事だ。

 まあ、この禿げ散らかったオッサンはそんな事全く気付いてないかもしれんけど。


 

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