堅牢な施設

@rabbit090

第1話

1

 幾分がマシになった。

 私は心底安堵する。

 「なあちゃん、どしたの?泣いてるの?笑っているの?おかしいよ、変だよ。ねえ。」

 貴子きこの声が聞こえる。

 貴子はいっつも寂しがり屋で、よく私の後ろにまとわりついていた。

 「なあちゃん…なあちゃん!朝だよ、気がついた?」

 「………ああ。」

 そこには顔を歪めた貴子がいて、

 私は床に寝そべり夢を見ていたのだ。

 数ヶ月前から、それは続いていた。

 ある日、違和感を感じて目が覚めた。やたら現実感のないその日が、嫌に気持ちが悪かったことを覚えている。

 「どなたか、いらっしゃいませんか?」 

 私は、高そうなホテルの一室で眠っていたらしい。記憶が全く無いのは酒のせいだとして、私には金がなかったから、チェックアウトのために支払う代金を持ち合わせていない。

 だから、見つけなくてはいけなかったのだ。

 私の隣にいた痕跡のある女を、だから探さねばならなかった。

 容易い気持ちだった。

 その誰かが、この金の無いロクでなしを多分救ってくれると信じていたのだから。

2

 夢なんて、いつも見ている。

 私は昼寝をするときにでさえ、いつも悪夢のようなものにうなされているのだから。

 一番いやだなと思うのは、起きた時に、その瞬間、現実と夢の世界の区別がつかなくなることだった。例えば、私を起こしに来た貴子が目の前に現れただけなのに、私は殴りかかってしまった、やってしまったという後悔を感じる羽目になるのだった。

 感じてからでは遅い、目の前にいる貴子は何も言えずに私を見ているのだから。

 「貴子、ごめん。悪気はなかったんだ。あのさ、今寝てたから、悪い夢を見ていて、襲われていたからその夢の中で出てきた怪物を殴っていたんだ。」

 何を言っているのか自分でもいまいちつかめない。私は、ひどく愚かしい人間なのだと思う。

 だけど、貴子はこう言ったのだ。

 「…そう。でもさ、ちょっとは分かってたんだ。なあちゃんがおかしいってこと、気付いてたの。でもね、私気付かないふりをしていたの。いつも通りのなあちゃんに甘えたくて、黙っていたの。あのね、なあちゃんは気付いていなかったと思うんだけど、寝ている間にね。もうここ一か月の間で、何度も壁を破っているんだよ。蹴破ったり、殴ったり、色々だけど、うん。そうだね、様子はずっとおかしいよ。見ているのも辛いくらいだよ。眉間に、こんなに深いしわを刻んでてさ、こっちも嫌になるくらいなんだ。」

 そう言いながら、自分の額に深いしわを作る。貴子がやってもふざけているようにしか感じられなくて、もどかしい。だって、私はどんなふうに振舞っていたのだろう、それを客観的にとらえた貴子は私のことをどう思っているのだろう、などと様々なことに思考を動かしてしまうのだ。私は、いつも貴子といるとこうなってしまう。

 親の前では、私は口がきけない。

 話そうと思っても、声が出ないから仕方が無い。

 「はっきり言うね、なあちゃん。悩み事があるんでしょ。消せないくらい深い悩みが、きっとあるんだよ。私、分かってるから。思い出してみて、聞くからさ。」

 貴子の顔には幼さより、最早成熟した女性としての雰囲気を漂わせていた。

 私は、つまりそんな貴子のことが仕方が無い、気になってしまっていたのだった。

 「何だよ、てか私が寝ている間なんでしょ?だったら思い出せないよ。悩んでることも特にないんだし、何なんだよ。もう、はっきり言ってくれよ。何でそう思うんだよ、何か根拠があるんだろう?」

 何かを否定したかったのだろうか、私は強い言葉で貴子の言葉を否定しようとしていた。

 つまり、貴子は私から何かを聞き出したいのだろう、そうやって息巻いているのがはっきりと分かる。でもそもそも私と貴子はどういう関係なんだっけ?時々分からなくなる。

 幼い頃から当たり前の用に一緒にいて、だから幼なじみといえばまとまりもいいのだろうが、実際は貴子は小学生の時同じクラスであったといだけの関係だから、取り立てて幼なじみと表現することは間違いであるような気もしている。

 つまり、だから。

 「貴子。お前こそどうしたんだよ。最近派手になってさ、恋、でもしたのか?」

 そうだ、様子がおかしいのは貴子の方だ。

 だから私は毎晩悪夢を見ているのかもしれない、私の中に存在する、何か貴子へ対して持っているものがあって、それが私をこの悪夢の中へと閉じ込めているのかもしれない。

 「…なあちゃん、馬鹿。変なこと言わないでよ。私がそんなふうに見えるの?綺麗になっちゃいけないの?私、もう20なんだよ?」

 「いや、そんなことは言っていないけど、あのさ。だってずっとお前、髪は真っ黒でひとつ結びのメガネで、地味だったろ?なのに今は髪を茶色に染めて香水をつけて、どうしたんだって驚いているんだ。」

 付け足すと、正確にはなぜ貴子がこんなに私を動揺させるのか、それが分からないから怖い。

 貴子のことが気になって私は、そうあの日ホテルへと足を運び彼女と寝てしまった。

 正真正銘の初めてで、彼女も満更でもない顔をしていた。それでお酒を飲みまくり、私は記憶を失い今に至る。だから解消のしようのない悪夢は、私の自業自得だと言っても過言では無いのかもしれない。

 「いけない?じゃあ、はっきり言うよ。私、そうだよ。好きな人がいるの。大好きな人だよ、今までで初めてっていうくらい好きな人。自分でも驚いているの。おかしいよね。でもさ、正直に言うと、私なあちゃんのこと好きなんだって思ってた。だから私達気が合ってずっと一緒にいるんだって思ってた。でも、違うのよ。私が好きになった人は、そうね。家族なの、離れ離れになっていただけで、本当はずっと家族だったのよって感じ…分かる?なあちゃん。」

 分からない。家族ってなんだよ。他人だろ?何だよ、何だよ貴子。

 私が貴子のことが好きだって、知ってるんだろ?なのに、何で。

4

 「なあちゃんにはきっと分からない。分かるわけがないよ。だってね。」

 『ピンポーン』

 突然チャイムが鳴り響く。嫌に緊張した状態だったからか、私は手に汗がじっとりと湿っていることに気づき、今にも噴き出しそうな程汗が滲んでいることに驚く。

 「誰だろ?ごめんなあちゃん、ちょっと出てくる。」

 「ああ…。」

 ここは貴子の部屋だ。家というより部屋だ。ワンルームで狭い、けど貴子の生活が詰まっている。そして、私はここに居候をしている下宿人で、貴子はだから私の飼い主のようなものだった。

 今の日本は、女性が圧倒的に強く、男には発言権が皆無だと言っても過言ではない。

 だから世界の中でも孤立を強く深め、生活はみなじり貧だった。でも、そこまでの状態に自分達を追い込んでまで、なぜみながこの状態を甘受しているのかというと、それは。

 

 「本当は、私達死ぬはずだったんだよね。」

 ああ、そうだ。

 日本も、世界も全部なくなるはずだった。なのになぜか生き残っていて、それで気がつけばこうなっていた。

 だから誰も彼もわけが変わらなすぎて、頭を使わず考えず、今を生きている。

 明日、突然地球が無くなるかもしれないという漠然とした不安を抱えたまま、私達は生きているのだ。


 「ねえ、なあちゃんにお客様…。えっと、鶴草さんっていうらしいよ。」

 「誰…?」 

 「とにかく出てよ。なあちゃん、キレイな女の子だよ。早く!」

 急いで向かう。だって貴子が急かすから仕方がない。

 それにしても一体誰だ?

 鶴草さんなんて、聞いたことがないのに。

 玄関へ行き扉を開けた。

 「はい、どなたでしょうか。」

 私はだいぶ訝しんでいたように思う。だから声が低くなっていたし、かなり不機嫌なように聞こえたのかもしれない。

 だからだろうか、ああ、扉を開けて彼女の顔を見た瞬間猛烈な後悔が私を襲った。

 「…え、と。この前一緒に遊ばせてもらった者です。もういいかなって思ったけど、指輪を忘れてたから。私が預かってそのままコンビニに行っている間に君いなくなってて、私ちょっと探したんだけど。」

 「あ、すみません。」

 そうだ、この人だ。私が酔っている所を助けてくれたのは、それで彼女の方が急に泣き出してかまっているうちに関係を持ってしまった。

 「だからとりあえず、大事だって言ってた指輪、失くさないようにね。泊まったホテルの人が連絡先控えていたみたい。君、結構素直なんだね。連絡先書いちゃうなんて、しかも本当だったし、笑っちゃったよ。」

 私はそう言われ猛烈な恥ずかしさで痙攣しそうになっていた。

 けれど、彼女はこう付け足した。

 「でも、この前はありがとう。私すごく辛くて、一緒にいてくれてありがたかったの。もうだいぶ平気になったから、本当に助かったよ。」

5 

良かった、のだろうか。

 この鶴草さんという女性はどうやら私を勘違いしてしまっているようで、私はただ貴子に対する反発心であなたと関係を持っただけなのに、あなたはそんな私をなんだか聖人のような扱い方で話している。

 そんなことは無いのに、と思いながらも彼女の大きく潤んだ瞳を見ていると、もうそれでもいいかという投げやりさが生まれるのだから、不思議なものだった。

 ところで、後ろでじっと話を聞いている貴子はやたらと不安そうな顔をして私の後ろへと下がっている。

 ギャルになった貴子は前みたいに私の後ろでじっとしているなんてことはあまり無くて、どんどん前に出て行っていたというのに、また飼い犬のチワワのような状態に戻っていて、少し懐かしく愛おしかった。

 「………。」

 ずっと押し黙ったままの貴子が口を開いた。

 「あのさ、じゃあ鶴草さんはその指輪を渡すためにわざわざ来てくれたんですか?」

 私は、少しじとりとした汗を感じた。だって、その指輪は貴子が昔くれたものだったから。私はずっと大事にしていて、でもそんなことがばれたら恥ずかしいから貴子の前では身に着けないようにしていたのだ。

 なのに、なぜこのタイミングで。

 あまりのシチュエーションの悪さに私は少し焦っていた。

 「それ、覚えてるの。私が修学旅行に行った時、可愛かったからなあちゃんにあげたの。なあちゃんは何か素っ気なかったけど、まさかこんなに時間が経ってまで持っていたなんて、いや、ビックリだよ。」

 言い方に含みがある。何だ、やっぱりドン引きされているのかもしれない。まあ、いや、当然の結果なんだけど。

 「…そうなの?」

 鶴草さんは無邪気に首を傾げた。

 私は、何を口にすればいいのかも分からずただはい、とだけ答えた。

 「いや、貴子。だから、私貴子がプレゼントくれるなんて珍しかったから、何か印象に残ってて、最近つけてるだけなんだ。見た目も真っ黒で、オシャレだろ?」

 そうだ、この指輪は漆黒の黒、といったようなテイストで、いやに大人びている。それもあって私はずっと身に着けていたのだから。

 だから、最早。アイデンティティと言っても過言では無いのかもしれない。事実、私はずっとこの指輪をよく身に着けていたのだから。

 貴子がいない所では。 

6

 どんどん大事になっていく。という感覚があったとして、私は貴子に対して抱く気持ちは少し違うのかもしれない、と思った。だって、最初っからお互いの存在を認め合っていて、ただの通行人として済ませられる程軽薄な相手じゃなかったのだ。なぜか、は分からないけれど、とにかく私と貴子は気が付けば仲が良い、というのだろうか、むしろ兄弟やライバル、家族、そんなような関係になっていたのだ。

 「お前さ、貴子のことどう思ってるの?いっつも一緒に居て、傍から見ると恋人っぽいけど、近くで話を聞いてると敵同士みたいじゃないか。」

 「いや、別にそんなつもりはないけど。」

 私は高校生の頃、よく一緒に放課後マクドナルドなどでだべっていた友達にそうからかわれた。その時の友達の瞳には明らかに馬鹿にしてやろう、という色が滲んでいたし、でもそれがお互いの関係があってこそだって分かってたから、私は適当に相槌を打ってその場をやりすごした。

 「なあちゃ、からかわれたんだって?ごめんね。」

 その後、何気なくお前のせいでからかわれたと貴子に話しかけたら、突然激しくシュンとしてしまったかのような顔をして、私の方を向いていた。

 その時の顔があまりにもなんていうか、切なかったので私は未だに忘れられないでいる。

 貴子、貴子。

 ああ、やっぱり私の頭の中には貴子のことしか入らない。なぜ、消してしまえばいいのだろうが、でもそうしたら私は私ではなくなるような気がしてしまうのだ。きっと、貴子が世界にいなかったことになってしまったら、私は今の私にはなっていないのだろうと思うし、それはすごく嫌なことなのだと思っている。

 

 だから、私は嫌なんだ。

 貴子、何で別の男なんかと一緒に居るんだよ。私には分からない。私は、きっと貴子のことが好きなんだと思う。それに、貴子もきっとそうなんだと思っていた。なのに、なぜ。なぜ?

 


 

 

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