一件落着です
空の大穴からの帰還を果たしたその夜。
人気のないルクス帝国の門前にクラスメイト二人を置き、そのまま魔王城へと帰ってきた次第だ。
ただ、帰って来てからがまた忙しかった。休む間もなく祝勝会の準備に駆り出され、魔都への買い出しに料理や給仕だ。
まあ、給仕まではやらなくていいと言ってくれてはいたのだが、それは性分である。
祝勝会は、それはそれは賑やかなものだった。ノイドさん達が腕によりをかけて作った晩餐に舌鼓を打ちながら、労を労い合い、語り明かした。
最後は俺とノイドさんのケーキで締め、と言う形で祝勝会はお開きと相成った。
ケーキはかなり好評で、ドクさんのにわかに上がった口角や、アダムさんの緩みきった顔を見ながら充足感に身を軽くした。
作って良かったな……。フィーナさんとシュヴァテがまだ帰ってなかったのは残念だったけど。
そして、攻略前夜にそうしたように、俺はまた夜空を見上げていた。
無事に終わった安堵と、これからに想いを馳せるその二つとで浮わつく心中を落ち着かせるためだ。
「――リュート」
「ルルノア様……」
中庭に敷かれた芝を踏む足音に振り返ると、夜風に髪を靡かせるルルノア様が立っていた。
その表情は、空の大穴攻略前の何かを憂うものではなく、晴れやかで慈しみに溢れた優しげなものだ。
「どうされたんですか? 夜は冷えますので、あまり……」
「ううん、いいの。 リュートと居たくて」
「……そ、そうですか……」
「ふふっ。なによその顔」
そんなこと言われても、不意うちだったんだからしょうがない。
ルルノア様は俺の前まで歩を進めると、俺の手を取った。
「――ありがとう、リュート。今回だけじゃなくて、ゼラのことも、ネルのことも………私のことも。 全部……せんぶ、あんたのおかげ」
「い、いえ……そんなことは」
「あるわよ! ホントに、ありがと」
ルルノア様が浮かべる微笑みは、夜の闇の中であっても尊く輝き、俺を惹き付けた。
笑ってくれた。この笑顔を守れた。
それが、何よりも嬉しい。
だが、ルルノア様はその笑顔をすぐに崩し、俯いた。
手に取った俺の手を指でいじったり、左右に振ってみたり、落ち着かない様子だ。
「……ルルノア様?」
「……っ………褒美をっ! ほ、ほほ、褒美を取らせるわっ! リュートッ!」
「は、はあ。褒美……ですか」
俺の声に肩を跳ねさせ、顔を上げたルルノア様の顔は朱に染まり、目が泳ぎまくっている。
しかし、俺を逃がさないと言わんばかりに手の力は増す一方だ。
「えーと、ありがとう……ございます……?」
「え、ええ! これはとても、とっっっても光栄で恐れ多いものなのっ! だ、だから……っ………め、目を、瞑りなさいっ!」
「目、ですか?」
「そっ、そうよっ! ほら!早くする!命令!」
「お、仰せのままに……」
言われるがままに目を瞑る。暗闇の中聞こえるのは、夜風が芝を靡かせる音。そして、ルルノア様の少しの荒い息遣いだけだ。
すると、ルルノア様が一歩。俺に距離を詰める気配がした。
ん? ちょ、ちょっと待て……!これは……!
あれか?あれなのか? いや深く考えるな……!
暴れる思考を無理矢理押さえ付けると、その時を待つ。
ルルノア様が息を飲む。そして――――。
「ルル様!」
「ここにいたのね~」
「――――ッ!?」
ゼラとネルさんの声が聞こえた瞬間、俺の前にあった熱と気配が急激に離れ、夜風が顔を撫でた。
「………リュート。何故目を瞑っているんだ?」
「いや、なんかルルノア様が……」
「っ!……わ、私そんなこと言ってないわっ!め、……目を潰しなさいって言ったのっ!」
「え!? ル、ルルノア様!?」
「気が逸れたわっ! もういいわよ、リュートッ!」
慌てるルルノア様の言葉に目を開ける。
唐突な目潰し命令にあわてふためく俺を一瞥すると、ネルさんは微笑んだ。
そして、ルルノア様を見つめる。
「………ルルちゃん……」
その声音でわかった。
………ここには、俺はいない方がいいな。
「ルルノア様。俺は、まだやることがありますので、これで」
「………そ、そう。わかったわ。……褒美は……後日ね……」
「ええ、ありがとうございます。では」
ゼラとネルさんに向けて一礼すると、俺は中庭を離れる。
ここは幼馴染み三人、水入らずの方がいい。
そして魔王城へと戻った時。
「あるじ!」
「うおっ!? ……シュヴァテ!?」
後ろから飛び付いてきたシュヴァテが俺の首筋に顔を埋め、はふはふしている。
帰ってきたのか。
「ただいま、あるじ」
「あ、ああ。おかえり、シュヴァテ」
「あのね、シュー、頑張った。 今、フィーが魔王に報告しに行った。任務、完了……」
「おお! 偉いなシュヴァテ。 俺達も色々あってさ。でも取り敢えず、ご飯にしようか。話はそれから」
「ん! あるじのご飯!」
俺は肩越しにシュヴァテを撫でると、食堂厨房への魔方陣を起動させた。
■ ■ ■ ■
中庭。
リュートが去った後、三姫が集ったそこには沈黙が流れていた。
しかし、それは以前までの気まずさや、重さを感じさせない。それは一重に彼女達の変化によるものだった。
ネルが、リュートが去った方を見ながら、再び微笑んだ。
「不思議な人ね~、執事くんは」
「……そうね。こんな簡単に、私達を変えちゃったし」
「……少し向こう見ずなところもありますがね」
「そこも可愛いじゃない~、男の子って感じがするわ~。……執事くんって呼び方、少し他人行儀かしら~」
ネルの呟きにルルノアとゼラが少し動揺するが、ネルに気にした素振りはない。
そして、ネルがルルノアに向き直った。
「―――ルルちゃん、あのね……」
「許すわ! というか、最初から怒ってないわよ! だから、ネルも私を許してね」
「……え?」
ネルにしてみれば罵られこそすれ、謝られる謂れはない。ネルの口から困惑の声が漏れた。
それに、ルルノアは続ける。
「能力が失くなってわかったの。無力の苦しみが。 多分、あの頃のネルと同じ。でも、私はそれがわかってなかった」
「ルルちゃん……」
「私は、ネルを守りたい姉って思ってた。でも、ネルは一緒に戦いたいと思ってくれていたのよね?………ごめんなさい、ネル」
弱々しいルルノアは、過去の懺悔を口にする。だが、ネルの言葉は決まっている。
「ルルちゃんは悪くないわ。悪いのは―――」
「そこまでです!!」
ゼラ声を上げがルルノアとネルの間に入る。
きっと、彼女にしかこんなことは出来ない。
「ルル様はネル殿を許し、ネル殿はルル様に悪はないと言った。―――なら、これで一件落着です!」
言いきるゼラを見て、ルルノアが破顔した。
「そうね! ゼラの言う通りだわ! ね? ネル!」
きっと、ここで全てが終わる。
あの時の後悔も、現在の罪悪も、未来の不安も。
全てが。
「――――ありがとう、二人とも」
「……では、戻りましょうか。もう遅いですし」
「ええ!行くわよ!」
ルルノアが前を歩き、ゼラが付き添い、ネルが見守る。まるで、昔の三人のまま。
すると、ルルノアが振り返った。
「あ、そうだ! これは言っておかなくちゃね!」
それは、新たな火種となるのか。
「―――リュート、私のだからね……?」
「………いえ……私は……」
「うふふ」
二人は明瞭な答えを出さず、戸惑い、笑うだけだ。
■ ■ ■ ■
「お疲れ様、フィーナ」
「いえ、御命令ですので」
「でも、やっぱりか……」
魔王の執務室。
アルトエイダ、フィーナ、レダルカの三名がいるこの部屋で調査の報告が行われる。
ネルの呪いを利用したものがいる。フィーナとシュヴァテはその調査に駆り出されていた。
だが、初めからある程度のあたりはついていた。
ネルを利用できるほど近しい人物。
まず、思い当たるのは魔王城の人間か、親族だ。
だが、魔王城の人間ではあり得ない。
何故なら、不能呪がかけられたルルノアに、魔封呪は焼け石に水。意味の無いことだ。
そして、魔王城の人間はルルノアの不能呪を知っていた。つまり容疑者から外れるのだ。
そして残るは、親族だ。
「――レント・エルメル子爵の所在が知れません。公爵領内、さらに子爵を領主とするヘイム街へ参りましたが、領主不在を言い渡されました。ですが、シュヴァテ様の嗅覚では……ほぼ間違いないかと」
「……レントか……」
「正直……ここまで来ると、ルカにお咎め無しって訳には行かねぇな」
「わかってるよ。責任は僕が持つ」
レダルカの息子、レントの離反疑惑。ネルの件が無くとも、この事が公になるのにそう時間は掛からないだろう。
そうなれば、他の貴族に示しがつかない。
レダルカは甘んじて責任を受ける旨を伝えると、フィーナに問う。
「それで、レントを利用してる黒幕は何者なのかな? 恐らく、魔族ではないよね?」
「―――貴きバベル。我らに無限の繁栄と永遠の安寧を………レント・エルメルが側近に呟いた言葉だそうです」
「……バベル教のクソ共か……いい加減にしてくれ……」
バベル教。世界に広く分布された一大宗教。
だが、それは表の姿。
魔族とも、浅からぬ因縁がある。
「それと、もう一つ」
「……まだ何かあるのか?」
アルトエイダが怪訝に問うと、フィーナは頷き、それを口にする。
「―――来る
蠢く陰謀に、アルトエイダは嘆息した。
■ ■ ■ ■
空の大穴攻略の翌朝。
魔王城の門前にアルト様と俺とゼラ、そしてグリフォンに乗るレドさんが集っていた。
「レドカリス嬢、助かったよ。長老にもよろしく言っといてくれ」
「いや、こちらも滾ることばかりだったのでな。ゼラ、師匠にはお前から挨拶しておいてくれ。このまま滞在し続けるのも体裁が悪くてな」
「はい!父上には私から言っておきます」
「父上………騎士団長?」
会話をうまく飲み込めず困惑する俺に、アルト様が補足してくれる。
「レドカリス嬢は幼い頃、ゼラと一緒にガイゼンの剣の指導を受けて育ったんだ。言わばゼラの妹弟子だな」
ガイゼンとは騎士団長の名前だ。遠征が多く、俺も歓迎会の時に顔を合わせたきりだ。
いやでも、なるほど。
小さい頃から師匠を同じくして育ったんならあの気兼ねの無さも納得だ。
ん? 妹弟子……?
「え!?……レドさん年下!?」
「む? 言っていなかったか? 私はルルノアと同い年、今年で15になる。来年からはルクスの帝都学院への入学が決まっている。なので、3年間の拘束が約束されているんだ。だから、夫探しを急いでいた」
「な、なるほど……」
その会話を聞き、ゼラが俺の前に立つ。
まるで、レドさんから俺を遠ざけるように。
「案ずるな、ゼラ。今すぐどうこうする気はない。だが、まあ……――思うところが無いわけではないがな」
「レ、レド様!」
そう言うレドさんはやはり年下とは思えないほどの艷を見せている。
なんか……怖い……。
慌てるゼラを笑うと、レドさんが手綱を握り直し、グリフォンが羽ばたく。
「世話になったな。魔王、例の件はおって連絡する!―――ではな!」
遠くなるレドさんの影を見送る。
例の件って、なんなんだろう?
アルト様に視線を送るが、アルト様のはニヤリと笑うと、
「ま、そん時が来たらな! よっし、戻るぞ!」
そう言い、魔王城内へと戻っていった
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